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【第3話】- 噂の王子様 -

マリーヌは言葉も思考も失い、目の前に対峙する独特な風格を漂わせた占い師をただ見つめる事しかできないでいた。その佇む様は先程まで笑いを堪えて肩を震わせていたのが嘘の様に威厳すら感じる。そんな最中、思考の端に浮かんだのは先程ご令嬢達へとマリーヌが苦し紛れに発した「平民が素敵」という言葉を聞いて戸惑いに呆けた高貴な彼女達の姿。彼女達の心境は、まさに今の自分と同じ心境だったのではないか。そんな取り留めのない思考だけが頭を巡る。


マリーヌは知りたくもなかった自分の意思に反した運命から逃れるように占い師から視線を逸らし、目の前に広がる城内の美しい薔薇園をぼんやりと眺め、焦点の合わない視界になんの足しにもならない思考ばかりが浮かんでは消えていった。


マリーヌが現実逃避をしてどれくらいたったのか定かではないが、自分の名を呼ぶ声に徐々に意識が現実に呼び戻される。


「マリーヌ嬢。マリーヌ嬢!」

「…は、はい!」


何度目かの自分を呼ぶ声に慌てて振り返り、自分の目の前に突如として現れた予想外の人物にマリーヌは驚きのあまりに自分がいる場所を瞬時に思い出す。


この国の第一王子に何度も自分の名を呼ばせてしまうというとんでもない失態を仕出かした事に一瞬で頭が冴え渡り、脳内の発狂が口から出掛かるのを寸前で食い止める。


「王子殿下っ!大変失礼を致しました!…お茶会の催しである占い師と話しをしておりました。」


慌てたマリーヌは王族からの発言の許可もないままに矢継ぎ早に弁解がましく一方的に告げてしまった事に後悔しても後の祭り、マリーヌは自分が仕出かした度重なる王族への無礼に心の中で再び絶叫した。


ところがマリーヌが犯した非礼にも悠然とした態度を崩さない第一王子は不快な表情を見せる事なく、何事も無かったかのように辺りを見回してマリーヌへと気さくに微笑む。

底辺貴族の失態に侮ったと怒るわけでもなく、嘲る訳でもないルイドリッヒの醸し出す余裕のある凛とした優しげな表情に思わず肩の力が抜ける。


ほんの少しのやり取りでも垣間見える第一王子の人となりが、令嬢達の日頃より飽きもせず大盛り上がりを見せる情報交換と称した噂話しと同じ事が伺える。興味がなくとも知り得てしまう令嬢達の口から一方的に話される2歳年上の第一王子殿下の噂話し。その内容は、まるで物語に登場する王子様さながらに女子の理想を具現化させたように完璧と言われていた。そんな人間はこの世にいるはずないし、自分には到底関わりのない雲の上の人物の噂をマリーヌは話半分で聞いていたが、ご令嬢達による王子の噂はあながち間違いではないようだ。


我が国の第一王子であるルイドリッヒ殿下は文武に優れ、頭の良さもさる事ながら、王城を守る騎士達の訓練にも参加し、適度に鍛えられて締まった身体は芸術的だとか。王族の品格を惜しげもなく露わにする黄金のように輝く髪をサラサラと風になびかせて颯爽と馬を操るとか。マリーヌは剣を振るう王子の姿も馬を自在に操る様子も実際に見た事がないが、王妃似の黄金色に輝く髪と夏の空のような印象的に濃いブルーの瞳に凛々しくも美しい顔立ちは王族が醸し出す気品の中に感じる威厳や、第一王子特有の寛容な柔らかい物腰は噂通りだと思った。

そしてドレスに合わせて踵の高い靴を履いたマリーヌが目線を上げる程に背が高く、これからもっと伸びそうな予感すら感じる。


「占い師?何処にも見当たらないようだが。」

「えっ?」


ルイドリッヒ王子の言葉にマリーヌは再び驚いて、振り返り辺りを見るも占い師の姿は何処にも見当たらず、またもや不敬とも取られかねない失態をやらかした事にどう繕って良いものかも解らず顔を上げられなくなり自分の不甲斐なさに俯向く事しかできない。周りからは令嬢達のクスクスと嘲りを含んだ微かな笑い声に、引いたはずの冷や汗が再び滲む。


「ルイドリッヒ王子殿下。…度重なる不敬をお許しください。」


マリーヌはもうこれ以上の失態は許されない緊張からか、微かに震える手を身体の前に添えて、出来る限り誠意を込めて謝る。今のマリーヌに出来る事はただ一つ、誠心誠意の気持ちを込めて貴族社会の頂点に君臨する王族へと頭を下げて許しを乞うべく謝るしかない。


頭を下げたままのマリーヌへ何も言わないルイドリッヒ王子に不安が募り、謝罪への許しも頭を上げる許しも得ないまま、恐る恐る頭を上げて王子の顔を上目に覗き見る。ルイドリッヒ王子はマリーヌと目が合うと眉を少し下げて、ただ黙って柔らかい笑みを浮かべた。マリーヌは王子のその表情に「何も気にする事はない」と言われたように感じたが、王子からは許しの言葉はまだない。


マリーヌは間近で見る事など到底ありえない第一王子の凛々しくも美しい顔を失礼のない様に気を付けながら慎重に伺い見るも、王子は微笑を浮かべるだけで何も言わない事に困惑し、戸惑いに視線を下げる。


(…どうしよう、どうしよう!怒ってる?怒ってない?どっちなの??)


下位貴族の犯した不敬を安易に許せば王族に限らず高位として示しが付かなくなる。その為に貴族は上下関係を常に意識して重んじるし、格下の相手にも自分が上位である事を知らしめる為に、不敬があった際は余程に気心知れた人物でなければ容赦はしない。


不敬罪は君主制を根底から覆しかねない為に、事と場合によっては大罪にも成り得ると、いつだったか嫌々受けた貴族勉強で家庭教師から学んだ気がする。それに母からもマリーヌが貴族のお茶会に参加する度に念を押される事柄だ。そして王都に住むようになって貴族達が上下関係をいかに重要視しているかも身を以て知ったからこそ、マリーヌは今まで慎重に貴族社会を拙いなりに渡ってきたというのに、今まで培った対ご令嬢の処世術は王子相手にはまるで役に立たない事を痛感する。


(このままでは不敬罪で罰せられてしまう…!没落して社交の場に呼ばれなくなれば、むしろラッキー?!いやいやいや…父が血反吐を吐くほど努力して手に入れた地位に泥を塗り責任を取って職を辞されるのは可哀想。でも…、元平民の根性逞しい父なら食い扶持には困らないかもれない。ダメダメ、根っから貴族気質な母が発狂して倒れてしまう…。)


マリーヌはどう対処していいのか皆目見当が付かない状況に思考が開き直りの方向へと暴走する。

優しそうなルイドリッヒ王子殿下ならきっと成人前の女子供へ鞭打ちの罰は流石にないだろうと自分を勇気ずけ、マリーヌは周囲でざわつく噂好きのご令嬢方の目もある為に今回の己が犯した醜態が誇張して両親の耳に入るのを覚悟で、なけなしの貴族としての誇りを奮い立たせ毅然と姿勢を正し、ルイドリッヒ王子の目を真っ直ぐに見返して彼が尚も湛える笑みにマリーヌは微笑みで返した。その瞬間、王子の背後に構えるご令嬢一同からは何様だとばかりに顔が歪み批判の声が漏れ出る。王子のすぐ脇に一歩下がり陣取るリリアーナだけが大きな目を丸くして、得意のキョトンとした顔に小首を傾げている。


そのマリーヌのなけなしの気合の微笑みに王子は一瞬、驚く様子を見せたが先程よりもしっかりとした満足気な笑顔に変わる。その様子にリリアーナの表情は驚きに変わり、取り巻く令嬢達は初めて見るルイドリッヒの眩い笑顔にうっとりと目を細め批判した口からは甘い溜息が漏れ出る。


「ルイドリッヒお兄様。マリーヌ様はわたくしの意向で占い師とお話しなさっていたのです。」


味方が誰一人としていない窮地の状況下で自身を庇いだてしてくれる愛らしい声の登場にマリーヌは驚きに振り返り、声の主である年下のアンジェリー王女が天使か女神のように見えてくる。


「ああ、わかっているよアンジェ。」


ルイドリッヒ王子はどこか不安そうな様子の年幅の離れた妹のアンジェリー王女へと愛しむ笑みを向け頭をそっと撫で、あどけなさが残る王女はルイドリッヒの優しい仕草に答える様に愛くるしい純粋さを湛えた笑顔で慕う兄を見上げる。

目の前で繰り広げられる絵になるほどに美しい兄と妹のやり取りに、マリーヌは微笑ましいと思う反面、自分と兄には徹底的に欠けているお互いを慈しみ合う兄妹愛に心が震える程に感動した。


「マリーヌ嬢、からかってすまなかった。」

「い、いえ。わたくしは大丈夫でございます。」


ルイドリッヒの突然の謝罪に、マリーヌは大丈夫ではなかったにも関わらず咄嗟に平然を装って思わず勢いで大丈夫と告げてしまった。

先程まで目まぐるしく巡らせた思考内では、マリーヌの不敬罪により家族は貴族社会から追放され、あまりにも不名誉な突然の没落のショックから寝付いてしまった母を私が介抱し、父は剣を握る手を斧に持ち変えて木樵となって家族を養うところまで行っていた。まったくもって大丈夫ではない。


底辺貴族からしたら末恐ろしいどころの騒ぎではない王族のからかいは心から勘弁願いたい。肝が冷えるどころか、肝が消し飛ぶほど何一つ面白くないし笑えない。


しかし、私を庇い立ててくれたアンジェリー王女には感謝しても感謝しきれない。私にはあの場を切り抜ける打開策はまったくと言っていいほどに持ち合わせてはいなかった。令嬢達の剣幕が立ち込めるあの雰囲気に躊躇なく割って入り、ただ一言で場の雰囲気を円満に収拾してしまうその手腕は、内向的な性格のまだ幼さが残る11歳の少女とはいえ、すでに王族の貫禄を感じる。


マリーヌはアンジェリー王女へと感謝と尊敬の念に駆られ、下位から話しかけるのは不敬とわかっていても感謝の気持ちを伝えずにはいられない。


「アンジェリー王女殿下。庇い立て頂きました事、心より感謝致します。畏れ多くもわたくし、アンジェリー王女殿下のお心のお優しさをとても嬉しく思いました。そして…、王女殿下の大切なお茶会の場を騒がせてしまい申し訳ございませんでした。」


アンジェリーはマリーヌから突然に告げられた感謝と詫びの言葉に驚いたのか、兄のルイドリッヒよりも淡く澄み渡るような冬の青空を連想する大きな瞳をさらに大きくして、絹ように白い頬を薔薇色に染め照れたようにはにかむ笑みを返してくれた。


普段は内向的で恥ずかしがり屋なのか、あまり表情を見せず言葉数も少ない王女が突然に見せた愛くるしい仕草に、マリーヌは育った村に置いてきてしまったはずの純真な心を取り戻した様に思える。


マリーヌは何の駆け引きも憶測も取り繕う必要もない、ただただ純粋な王女とのやり取りに、心の底から嬉しい気持ちに満たされた。こんなにも素直な気持ちで人と接したのはいつぶりかと想いを馳せる。そして我が国の愛するべき王女へと慈愛と敬愛に微笑みを返す。


「マリーヌ様どうぞお気になさらないで、お兄様が突然にお越しになられたのですから騒がしくなってしまったのですわ。」


年下の幼い王女が愛らしい笑顔でマリーヌへと告げた後、マリーヌが安易に許されてしまった事への不満な様子を隠しもしない令嬢達へと妙に迫力のある少女らしからぬ笑顔で見渡す。マリーヌはアンジェリー王女の突然の言動に慈愛と敬愛の笑みを浮かべたまま固まってしまった。


今し方、内向的で純真な少女であらせられるアンジェリー王女殿下は寛大なお言葉の中に、今回のお茶会の主催者である王女を差し置いて勝手に騒いだ令嬢達への叱咤を第一王子であらせられる兄をダシに嫌味を言ってのけはしなかったか?その後に令嬢達へと威圧感たっぷりな笑顔でトドメの追い討ちをかけはしなかっただろうか?


先程、村に置いてきた純真な心を取り戻し胸に宿したマリーヌは突然に訪れた戸惑いに笑顔を固まらせたままルイドリッヒ王子へと顔を向ける。ルイドリッヒはマリーヌの視線に気が付き、尚も平然と笑みを返すのみ。

そして、もはや王子の背景と化したご令嬢方はアンジェリー王女の言葉の含みを理解して、王族主催のお茶会で自分達が犯してしまった不敬なマナー違反にようやく気が付き、自分達へと向けられた有無を言わせない王女の笑顔の迫力に血の気が引き明らかな動揺から美しく整えた顔を引き攣らせてマリーヌ同様に固まってしまっている様は先程までの勢いが微塵もなく逆に痛々しい。


「アンジェ、子女のお茶会に呼ばれてもいないのに不躾にも来てしまって悪かったね。とある好奇心に駆られて来てしまった。」

「もう、お兄様ったら仕方がないですわね。」

「ハハハ、アンジェは心が広いな。」

「ちょうどお茶会も終わりの頃合いでしたの。お兄様はお気になさらないで。」


ルイドリッヒは背後のお通夜のように静まり返る令嬢達の惨状にまったく気が付かないのか気にならないのか、妹へと少しの罪悪感も感じない詫びの言葉を告げ、アンジェリーも兄の背後に広がる青ざめた令嬢達を気にするそぶりもなく、兄に拗ねるように口を尖らせたのち兄妹は笑い合う。

令嬢達と王子と王女のあまりの温度差に、健康そのもののマリーヌでさえ風邪を引いてしまいそうだ。


「皆様、本日はお茶会に起こし頂きありがとうございました。どうぞ気を付けてお帰りを。」


アンジェリー王女は愛らしさと煌びやかさを卓越した上品な仕立ての淡いピンクのドレスの裾を優雅に摘み、淑女のお手本の様な完璧なお辞儀を令嬢達へと披露する。王女から突然に告げられた余りにも早過ぎる解散の言葉に血の気が引いたままのご令嬢達は動揺に狼狽える様子にはマリーヌも思わず同情してしまう程だ。


そして解散を告げられたならマリーヌは早々に帰りたいところだが底辺令嬢の帰る順番はもちろん最後の最後。これは帰るまでにまだまだ時間がかかりそうだという目算に溜息を押し込む。


動揺に立ち直れない令嬢達は縋る様に支持する派閥の主の顔を縋るように伺い見ている。

その視線を察したリリアーナと対立する派閥を持つ侯爵家のご令嬢であるミランダが毅然と王女の前へと進み出て、アンジェリー王女に劣らない完璧なお辞儀を披露する。流れる様に優美なカーテシー。そして王族への敬愛と忠義を感じる別れの挨拶の言葉。マリーヌは立ち位置的に上座となるその場からそっと脇へと離れながら、あの状況で物怖じもせずに率先して前へと進み出たミランダ侯爵令嬢の豪胆な胆力に、これぞ貴族のご令嬢の品格と威厳だと心の中で賞賛の拍手を讃えた。次に数ある伯爵家でも格の高いリリアーナが何事もなかったかのように前へと進み出て別れの挨拶をする。派閥の主達のその様子にようやく安堵したご令嬢達が続々と後に続いた。

お読み頂き誠にありがとうございます。

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