【第2話】- 底辺貴族の憂鬱 -
貴族社会では自分の些細な言動が自分の首を絞める結果を招く事を随分と前に学んだ。
些細な事でも出た釘は打たれる。必ずと断言していいほど打たれる。打たれたくなければ己の爵位より上位のご令嬢達より前に出ない事こそが身を呈して知った暗黙のルールであり最善の策なのである。
先程、リリアーナがみせた人に突然に触れたり話しかける行為は低位のマリーヌがやらかせば貴族令嬢らしからぬと判断され不躾な人間という不名誉な烙印を即押されるが、リリアーナは爵位の高いご令嬢。リリアーナの可憐な外見と上流階級特有の優美な雰囲気が相まって、全ての言動が純真のただ一言で許されてしまう。そして実際問題、伯爵令嬢のリリアーナは何をしても許される立場にあるのだ。
リリアーナの父親は政治的な発言力も強く、そして何より歴史の古い由緒正しきランディア伯爵家の当主様。上位の貴族にも一目を置かれており、富・名声・お家柄の名実ともに三拍子揃った稀に見る高貴な家柄に産まれたご令嬢であるリリアーナは王族以外の人間に気兼ねはいらない。
呼ばれたお茶会で垣間見た過保護そうな歳の離れた兄二人に加え待望の女の子の誕生で、それはそれは大切に慈しんで育てられたのだろうし、伯爵家を侮られない為にそう育てられたのかもしれない。その結果として、人の小賢しい部分を知らずに純粋な心を保ったまま暗雲渦巻く貴族社会で安穏と生きてきたのか、もしくは人の汚い部分を全て見知った上で逆手に取り奔放な振る舞いをしているのか、…後者は考えるだけで怖いのでマリーヌは思考を遮断する。
この世は貴族も平民も日常から常に不平等だ。貴族でなくとも外見が良ければそれだけで優遇されるし、育った村でさえ男というだけで働き口も広がる。現状を打開したければ「求める物に応じて直向きに努力するまで。」それは騎士として平民から貴族の端くれへまで上り詰めた父の教えでもある。その通りだと思う反面、「求める物」がわかっていても「求める物」への頑張り方がまるでわからないマリーヌには心に留める程度の格言でしかない。王都にきて以来、周りの令嬢達から浮かないように馴染めるように、気兼ねなく笑い合える友と呼び合える相手ができるように自分なりに精一杯努めてきたが未だに実を結ばない未熟な己に嫌気がさしてくる。
今回のお茶会の催しの場で自分を取り囲む令嬢達はリリアーナに合わせた様に胸の前で手を組みマリーヌへと羨望の言葉を口々にするが、言葉とは裏腹にマリーヌへと向ける視線には言い様のない不快な嘲りを感じて、マリーヌは顔に貼り付けた微笑みを引攣らせ口から漏れ出そうになる溜息をなんとか飲み込んだ。
さらにリリアーナを囲む令嬢達を遠巻きに伺い見ている別の集団も気になる。これまた第一王子の婚約候補と名高い侯爵家のご令嬢の一派の刺すような視線がマリーヌの居たたまれない気持ちにさらに追い討ちをかける。味方が一人も居ない疎外感を直視すると、さすがのマリーヌも切なくなってくる。
(…私はもしかしたら友達のできない運命なのかもしれない。)
第一王子の婚約候補は現在2人のご令嬢に絞られていて、それぞれに婚約候補ではない令嬢達の取巻き…もとい、派閥があり各家の情勢により派閥が分かれているという緊迫した状況になっている。どの家も他家より優位に立とうと必死だ。
代々受け継ぐ貴族という誉な地位を維持し繁栄させ続ける責任は子供達に及ぶほどに大変な事らしい。そのせいなのか、貴族の子供達は平民の子供達に比べるとずっと精神年齢が高い。家名と共に背負う責任に、早く大人にならなければならないのかと思うと、幼少期を子供として十分に楽しく過ごしたマリーヌからすると幾分可哀想にも思う。
今現在マリーヌに友達と呼べる人がいないのは、どちらの派閥にも所属していないのが問題なのかもしれない。王都に来た頃は何も知らずに母親に促され呼ばれたお茶会にほいほい出向いていたが、どこにでも顔を出しどこにも所属しないマリーヌは今では嫌煙された存在だ。そもそも、呼ばれたお茶会は全て高位爵位のご令嬢からのお誘いなのでマリーヌには断る権利はないのだけれど。
それでも友達という憧れを諦めきれずに、どこかの派閥に加わろうかとも思ったが、あっちはどうのこっちはどうのと言った悪口…もとい、辛口の批評や最新のドレスや装飾品やらお家自慢にまったく付いていけず、それでいて各々の派閥が顔を合わせる今回の様な王家主催のお茶会になると、お互い笑顔で談笑するのだからマリーヌは軽く人間不信…もとい、ご令嬢達の社交能力の高さに萎縮し尊敬の念すら感じる。
そんなこんなでマリーヌは未だに友達がいない。
父の教えに従い友達を求めるなら貴族のご令嬢達の話題に賛同し合わせれば、形だけの友達はできるのだとは思うけれど、一人が寂しいというだけで本心を隠し相手に合わせて愛想笑いをして、腹の内を探り合って付き合うのはとても心が疲弊するし、自分の独りよがりな想いを相手に押し付けて利用しているようで気が引ける。そして何より、信頼した人に手の平を返されたら立ち直れそうにない。いつ裏切られるかとビクビクしながら付き合う友達は私が求める憧れの友達像とは違う気がする。
臆病風に吹かれて心を打ち解けられないのは自分に自信が無いせいなのか、底辺貴族という負い目がそうさせるのか、最新のドレスや装飾品に興味がないせいなのかもしれないし、自慢できる物が何も無いからなのかもしれない。
友達の作り方もわからない今の自分に、王都で親友を作るんだと意気込んでいた当時の単純思考だった自分を思い返すと虚しさが込み上げる。
(とりあえず、この場を何とかしないと…。)
マリーヌは令嬢達の笑顔の奥に潜む刺すような視線に耐えかねて、この場を打開しようと違う話題を考えるも、爵位の一番低いマリーヌは今回のお茶会の催しである占いの順番も最後で他に占いを振る相手もなく、興味はあったが占いの結果が良くも悪くも後々面倒になりそうな予感から辞退しようとした矢先、お断りを申し出る前にお茶会の主催者である年下の愛らしい王女に促されれば断る術はなく、結果的に予想通り周囲の反感を買う事態を招く不甲斐なさに、未だにうまく立ち回れない未熟な己を呪うしかない。
このまま微笑み続ければ、底辺貴族がお高くとまっていると陰で言われるだろうし、謙遜すれば良い占い結果が出なかったご令嬢方に嫌味と思われそうだ。考えれば考えるほど適切な言葉が思い浮かばない。そもそも、派閥ごとに親交の深いご令嬢達は各々自然と集まり、誰とも属さないマリーヌはお茶会の席の隅の方でいつも通り振舞われたお菓子やお茶を独り堪能していた為に令嬢方の占いの内容をまったく聞いていなかった。最後にいつも詰めの甘い自分に心の中で舌打ちをする。
(この状況…、詰んだな私。)
あてにならない自分になす術も無く、最早やり過ごすしかないこの状況に、さらに微笑みが硬く引き攣り口元の痙攣さえ感じてきて、胃もキリキリ痛み始め耐えられないと悲鳴を上げる。精神的に追い詰められたマリーヌは空気を読まない占い師に理不尽な怒りすら覚えてくる。
マリーヌの世界には都合よく助けてくれる素敵な王子様は存在しない。貴族の最低限の嗜みである嫌いな勉強もダンスや楽器のお稽古も、今まさに直面している苦手な貴族のお茶会でも、誰も助けてはくれない。全ては自分で考え対処しなくてはならない。そして上手くこなせない時は全て自分に返ってくる。
幼い時から嫌な事に直面すると白馬に乗った王子様か魔法使いが現れる事を切に願ったものだが、この世の中そんな都合よくはできていない。やりたくない勉強を逃れたい一心で具合さえ悪くなればと願っても健康そのもののマリーヌには己の体調すらも思い通りにはならないし、そんなマリーヌを見知った大人達は嫌だと駄々をこねても安易に甘やかしてはくれない。
だけれど運命の相手がいるのなら、ここまで追い込んだ責任を取って私のピンチを助けてくれよと思わずにはいられない。マリーヌはまだ見ぬ運命の相手を呪いたくなってきた。
そんなマリーヌの八つ当たりじみた思考の中に微かな妙案とも思える打開策が閃いた。こうなったら微かに見出した希望に縋るしかない。マリーヌは勇気を出して椅子から立ち上がり、ドレスの裾をはしたなく握らぬように、周囲に不安を悟られないように、毅然とした態度に見えるように汗ばんだ手を上品に前に添えて、声が震えないように喉と腹に力を入れる。
「そ、そうですわねリリアーナ様!運命の殿方はもしかしたら、しがない平民かもしれませんわね!身分を超えて惹かれ合う運命的な相手は素敵ですものね!」
マリーヌは先程目の当たりにしたリリアーナの真似をしようと思い付き、さっそく両手を組んで天を仰ぎ、見上げた日差しのあまりの眩しさに目を細め、現状を打開できた自分にほくそ笑んだ。発した言葉に気合いを入れ過ぎたせいで出足の第一声を噛んでしまった事は大目にみてほしい。
リリアーナを含めたご令嬢達は、マリーヌが突如発した運命の相手が普段蔑む対象の「平民」という事に不意を突かれたのか、その「平民」を素敵と言ってのけたのが自分達の中にまったく無い感覚だったのか、一同唖然として言葉を失い殺伐とした雰囲気が吹き飛び、辺りには戸惑いと困惑のみとなった。
(私もやればできるじゃない!自分に褒美を与えたい気分だわ!)
マリーヌは己の危機を打開できた達成感に満遍の笑みで唖然とする周囲へと賛同を求めるかのように優雅に見渡した。
「いいえ。平民という事はございません。貴女様の前世から結ばれる運命の殿方は高貴なお方へとお生まれになっております。」
1人涼しげに座る占い師から突如発せられた緩やかに響く低い声は困惑から立ち直れない静寂の中、令嬢達に等しく届き、視線は一斉に占い師へと向けられ、続いて満遍の笑みを凍りつかせたマリーヌへと視線が移動した。マリーヌは辛辣だけとなったご令嬢達の視線を一身に受けて、じとりとした嫌な汗を全身に感じる。
(おのれ占い師め…。)
マリーヌは度重なる心労と一身に受けた痛い程の視線に、貼り付けた笑顔の目尻に痙攣を感じ冷や汗が背中をを伝う。徐々に正気を取り戻す令嬢達の表情がワナワナと嫉妬に狂気染みてゆく。
たかが占いされど占い。現在も家の為に生き、将来も嫁ぎ先の家の為に生きる事を義務付けられているご令嬢方には占い事でも格の高い相手、誰よりも裕福で幸せな未来への暗示は喉から手が出るほどに欲しいに違いない。令嬢達が殺気立つ中、純真で無邪気なリリアーナだけが無言にきょとんとマリーヌを見つめている。
(ヤバイ…。これはマズイやつだ…。)
マリーヌはこれから起こるであろう惨劇を覚悟した。すると後方にいた一部の令嬢達が漏らした息を飲む音が占い師と共に中心部にいるマリーヌにまで伝わり、続いて何事かと振り返った令嬢達から一斉に桃色の吐息が立ち昇った。
「ルイドリッヒ様!」
リリアーナが令嬢達の視線を一身に集める人物の名前を条件反射的にいち早く呼ぶと、マリーヌ同様中心部にいたリリアーナの背後に控えた令嬢達の人垣が一斉に一筋の道を作り出し、第一王子までの通路となる。マリーヌは藁をも縋る思いの所に、まさか本物の王子様が現れて占い師への怒りも忘れ、突然の救世主に心から感謝した。
「ルイドリッヒ様!お久しゅうございます!」
リリアーナは贔屓の令嬢達の微笑ましい視線を一身に受けて、自分の為に出来たその一筋の道を意中の王子へと優雅にそして可憐に駆け出した。リリアーナが通った後は再び令嬢達の人垣で埋まり、令嬢達の煌びやかな背中の壁にマリーヌは周囲の注意が他所へ逸れた事に安堵の息を吐いて、ストレスからの解放に身体の力が一気に抜けて先程まで占いを受けていた椅子へとへたり込む。
(…助かったー!第一王子ナイス!!)
マリーヌは冷やっと体験からの安堵からか急激に火照った顔を手持ちの扇子でパタパタと扇いでいると、視界の端に占い師が顔を俯向からせたまま肩を小刻みに震えさせているのが目に留まり、その様子に占い師の身に何が起きているのか理解できずに扇子を扇ぐ手が止まる。
「あの…、占い師様。どこかお加減がよろしくないのでしょうか?」
マリーヌが尋ねるも返事はなく、ただ肩を震えさせる占い師に余程深刻な症状なのかと咄嗟に扇子を置いて立ち上がり占い師の側へと行き、触れるのは失礼かと躊躇ったが肩を震わせ俯向く背にそっと手を置き伺い見る。
「占い師様、お加減が悪いのです…ね?」
ローブに隠れた俯向く顔を除き見れば、口角が上がった口元に、笑いを堪えているのだと理解するのに数秒かかり、先程のマリーヌの一連の流れを見て笑いを堪えているのだと理解するのにまた数秒。
「う、占い師様!その笑いは余りにも失礼ですわ!」
「…くくく。」
マリーヌの小声の批判を聞いて占い師の口からは、もう限界とばかりに堪えた笑いが微かに漏れ出て肩が大きく震える。マリーヌからしたら不愉快極まりない占い師の様子に具合が悪かった訳ではなかった事を安堵するも、自分の窮地を笑われた怒りも通り越し、何だか馬鹿らしくなって呆れて溜息が漏れる。
「もういい加減、お笑いになるのはおやめくださいませ。先程の占いも私をからかったのですね!」
「くくく。…あぁ可笑しい。」
「もう!勝手にお笑いになればよろしいわ!」
マリーヌの冷や汗体験の元凶である占い師のまさに他人事のように思える一言に、通り越したはずの怒りが再び舞い戻り思わずみけんにシワが寄る。その様子を確認した占い師はマリーヌの何が面白かったのか、さらに堪える笑いを強めて肩を震えさせる。
「占い師様もお人が悪いですわ!おかげで寿命が縮む思いでしたのに!」
マリーヌは埒のあかない占い師の反応に胸の前で腕を組んで顔を背け、占い師に呆れながらも先程の占いはやはりからかわれたのかと、あまりの安堵にほっと溜息が漏れる。
「さっき言った事は全て本当ですよ。ですのでご安心くださいマリーヌ嬢。」
「…っ!?」
再び本来の落ち着きのある穏やかな声を取り戻し、どこか洗練されせた仕草で緩やかに立ち上がりながら発した占い師の口からマリーヌがもっとも聞きたくない言葉が告げられた。
マリーヌはあまりの驚きに背けていた顔を勢いよく振り返り、同じ目線の高さとなった占い師を唖然と見入る。深く被ったローブから微かに覗かせる先程とは違う不敵な笑みを浮かべた紅く色付いた薄い口元に真実である事を見い出してしまったマリーヌは起きながらにして金縛りにあったように固まった。
お読み頂き誠にありがとうございます。