【第19話】- 宿敵からの施し -
マリーヌは逃げ帰るべきか待つべきか考えあぐねてランディア家の豪華な一室を行ったり来たりとするも正解が見出せない現状がいよいよ面倒になってきて、一層の事このまま帰ってしまおうかと唯一の出入り口である扉のドアノブに手を掛けようと手を伸ばしたその時、目の前の両開きの扉からノックが二度響き肩をびくりと強張らせ伸ばした手を咄嗟に引っ込める。
「マリーヌ様、アレック坊ちゃまの指示でお着替えをお持ち致しました。」
(アレック、坊っちゃま…。)
先程までマリーヌを強迫し怯えさせ、あまりの恐怖に慄き震え上がらせたアレックは確かに間違いなくランディア家の”お坊っちゃま”なのだが、マリーヌの知っているいかにも偉そうで見るからに気位の高いアレックが使用人達からの呼ばれ方のギャップに思わず笑いが込み上げてくる。
「マリーヌ様?入室してもよろしいでしょうか?」
扉の向こうから返事のないマリーヌへと訝しげな声で再び尋ねられ、必死に笑いを飲み込んで咳払いをする。
「ゴホン。ど、どうぞ。」
マリーヌの入室の許可と共にランディア家の使用人が3人程部屋の中へと順に入りマリーヌへと恭しく頭を下げる。
「わたくし共がマリーヌ様のお着替えを手伝わせて頂きます。」
「…はい。よろしくお願いします。」
マリーヌひとりに3人がかりとは随分と大袈裟ではなかろうかと驚きに彼女達を見入ってしまう。マリーヌは普段のドレスなら1人で着れるし、コルセットを着けるならローザ1人で事足りる。伯爵家ともなると令嬢1人の着替えに3人の侍女が通例なのかしらと思っているうちにランディア家の使用人達はマリーヌを取り囲み、あれよあれよとドレスを脱がされコルセットの後ろの編上げの紐までも華麗に解かれてゆく。
(っ!?)
気がつけばコルセットを前で押さえていないとズリ落ちて、他所様のそれも伯爵家の広い部屋の真ん中で滑稽にも裸同然の姿を露わにしてしまう羞恥にコルセットを押さえる手に力を入れて必死にしがみつく。
「コルセットからお手をお離し下さい。」
「いえ、これだけは離せません!」
頑なにコルセットを離さないマリーヌに見兼ねた1人の使用人が別の使用人に目配せをして、どこからともなく衝立を広げる。マリーヌは衝立の裏へと促され温められたタオルも渡されて、マリーヌは遮られた目隠しにようやくコルセットから手を離し衝立の上へと引っ掛けて渡されたタオルで紅茶に濡れた体を拭く。
頃合いを見計らった使用人の1人が「失礼します。」と衝立に入り紅茶に汚れたコルセットと使ったタオルを回収し、新しいコルセットをマリーヌへと手渡して2人がかりで手早く締め上げられていく。
マリーヌが毎朝ローザの締め上げによって漏れ出る悲鳴も出ない程にそれは手慣れた手つきで素早くそして息が止まる程に強く締め上げられていく。
「マリーヌ様、失礼します。」
「?」
3人目の使用人がコルセットの息苦しさに耐え忍ぶマリーヌの正面へとやってくる。今度は何だろうかと思った矢先、何の戸惑いもなく使用人の女性の手がコルセットの中のマリーヌの慎み深い胸を掴み上へと引っ張り上げる。
(ひゃ〜〜〜っ!!??)
マリーヌがあまりの衝撃に心の中で叫び声を上げているうちにもう片方の胸も上へと引っ張り上げられる。そのあまりの衝撃に放心しているうちにコルセットは着させ終わり、目の前に明らかに高級な絹で仕立てた今時のエンパイヤのドレスが差し出されマリーヌは目を瞬いて意識を取り戻す。
「…あの、そのドレスは何でしょうか?」
「アレック坊っちゃまより指示を受けたドレスにございます。」
マリーヌは見るからにお高そうなドレスを目の前に、借りる側の事も考えて欲しいものだと思うまもなく着々とドレスを着る準備に取り掛かる使用人達。
「あの…」
「マリーヌ様、アレック坊っちゃまの指示でございます。」
おそらくどこぞの貴族令嬢であろう行儀見習い中の使用人の女性はマリーヌの言葉を遮り有無を言う隙を与えない程に手際よく準備されたドレスへと誘導する。彼女達は雇い主の息子であるアレックから受けた指示を何が何でも遂行するだろう。
「…あの、私のドレスは」
「汚れたお召し物は慎重にシミ抜きしております。ご安心下さい。」
「それはあまりにも申し訳な」
「アレック坊っちゃまの指示でございます。」
またもや素直に従えとばかりに言葉を遮られ彼女達も仕事なのだと諦めて、母のお下がりのドレスとは比べ物にならない光沢のある滑らかな肌触りの良さに値段の事をついつい考えてしまう。
ランディア家は絹や布の輸出入で財を成していると記憶している。
この良質な生地で作られた今時のデザインに繊細な金糸の刺繍が一面に施されたドレスはきっと我が家を破産させてしまう程に高価やもしれぬという憶測に緊張が全身を駆け巡る。
(まさか!?宿敵アレックの真の目的はこのドレスと関係があるのかもしれない!)
うっかりドレスの裾を踏んづけて布を破りでもしたら弁償など到底できないし、一生涯アレックの使用人となって足蹴にされながら死ぬまでこき使われ続けるのではないかという恐怖に早くも脱ぎたくなってくる。しかしどんなに脱ぎたくても自分のドレスが手元に無い事には逃げ帰る事も叶わない現状に苦渋の決断に至る。
マリーヌが恐ろし過ぎるこのドレスをどうしたものかと考えを巡らせて対応策を練る中、いつの間にかドレッサーの前へと座らされて長い黒髪をブラシで丹念にとかされて顔に軽く白粉をはたかれ淡い口紅を塗られていた。
「マリーヌ様、アレック坊っちゃまをお呼び致しますのでしばらくここでお待ち下さい。」
そして使用人達は再び恭しく一礼をして部屋を立ち去り、部屋に1人取り残されたマリーヌはドレッサーの前に座りながら憂鬱に深い溜息を吐く。
目の前の鏡に視線を移すとそこには今時のデザインに仕立てられた高級なドレスを着て、美しく整えられた髪に軽く化粧をほどこされた垢抜けた自分が鏡に映っている。
コルセットによって無意味に寄せ上げられた恥ずかし過ぎる胸元は何層にも重なるレースで上品に隠され腰のくびれが繊細に強調されて女性の品性を感じさせる細身のシルエットは黙っているだけで、どこぞの高貴な貴族令嬢として見えなくも無い。
母のお古のドレスと同じグレーのエンパイアドレスだというのに、こうも印象が違うものかとまじまじと見入ってしまう。だけれど鏡に映る姿は全て仮初めの姿だという事に虚しさが込み上げてくる。
白粉の下には色白とは言えない健康的な色をした素肌が隠されているし、お世辞にも大きいとは言えない胸はコルセットとランディア家の使用人の巧みな技によっていつも以上に押し上げられ腰のくびれを強調し、借り物の高価なドレスを身に纏い、身分も品位も気品も令嬢として見劣りする中身。
どこまでも本来の自分を偽って、中身が伴わずに外見だけ高貴な令嬢に装った鏡に映る自分はあまりにも滑稽に思えて気持ちは急激に冷え込んでくる。
そして再び部屋にノック音が響き、マリーヌは咄嗟に暗い気持ちに蓋をしてドレッサーのスツールから立ち上がり、ドレスの無いシワをさっと伸ばして背筋を正して返事をする。
(落ち込んでる場合では無かったわ!弱みを握らせない為にもしっかりしなと!私の人生がかかっているんだもの根性よマリーヌ!!)
マリーヌは宿敵アレックを迎え討つために気合いを入れて臨戦態勢の準備に令嬢の鎧を身に纏う。そしてゆっくりと開いた扉から現れた予想外の人物の登場に驚きのあまり固まる。
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