【第1話】- 魔女と呼ばれる占師 -
「貴女様の運命の殿方は、今世においても再び相見える事となりましょう。」
王族に仕える騎士を纏める任を仰せ付かる筆頭騎士を父に持つ末っ子長女のマリーヌは王族と関わりの深い子女や公爵、侯爵、伯爵といった身分のひどく高いご令嬢との親交も厚い宮廷お抱えの占い師の口から発せられる緩やかに響く低い声に乗せられたその言葉に、一代限りの貴族である自身には身分不相応としか感じずにはいられないお茶会の場も、自分を囲むように他人の占い内容を興味津々とばかりに聞き入る年幅の近い高貴なご令嬢の面々の事もすっかり忘れ、内から込み上げる謎の不快感に眉を寄せた。
自身の感情にも関わらず突如現れた不安とも恐怖とも怒りとも取れる説明のできないそれを飲み込む術もなく、抗いようのない戸惑いに無様に呆けた口を扇子で隠す事も忘れ、占い師と自分の間に置かれたクリスタルの球体へと視線を落とす。
「・・・運命?」
マリーヌは突如として身の内に現れた釈然としない感情に自身の口から不意に漏れ出た単語に言い様のない悪寒がゾワりと全身を駆け巡った。
春の麗らかな陽気とは裏腹に、あまりの寒気に得体の知れない何かから己を守るように自身の身体を抱くようにしっかりと両腕で抱え、意思では抑える事のできない身震いを咄嗟にやり過ごす。
運命と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、幼き日に幾度となく読み聞かせられた、本を見ずとも安易に語れる程に馴染みのあるお伽話の数々。
どの物語も運命的に出会った素敵な王子様と美しいお姫様は困難を乗り越えて最後には必ず2人は結ばれ、周囲の祝福とともにいつまでも幸せな生涯を添い遂げる。そんなどこまでも幸せいっぱいな物語にマリーヌは女子の例に漏れず夢見がちな憧れを抱いていたが、先程占い師より「運命」と言う名の決定事項を突きつけられた気がして、これから自分の身に待ち受けているであろう自己選択の余地のない人知を超えた何かに人生を操られているような得体の知れない恐怖に押し潰されるような心境に陥る中、ふとひとつの疑問が生まれる。
お伽話のような漠然とした「幸せしかない運命」が、病気や貧困、犯罪や天災もあるこの世知辛い現実の世界においても果たして同じだろうか。
一時の幸せはあるとしても親や身内の身近な例を挙げても生涯を全うする程の長い年月を常に幸せな状態を維持するなどあり得ないように思える。信じたい気持ちもあるが、マリーヌにはなかなか安易には受け入れられない。
元平民の父と、この世に生を受けた瞬間から貴族の母は結婚当初から続く貴族からすると質素すぎる生活に耐えかねて、年に数回のペースで「離縁だ!」と母は騒いでいるし、資産のある裕福な伯爵家に嫁いだ叔母は、別邸に妾を囲う叔父が家を空ける度に我が家に押しかけて実の姉である母に泣き縋る様を幾度となく目の当たりにしている。
そんな身近な所でも、お金や愛の問題をかかえているのに死ぬまで幸せであり続ける事はマリーヌには非現実的な夢物語に思えて仕方がない。
父の故郷である小さな村で野山を駆け回って過ごし、貴族として最低限の勉強しかせず、何も考えないで暮らしていた5年前なら「運命」という言葉を聞いて即座に幸せな未来を連想したかもしれないが、娘の嫁ぎ先を密かに思案する家柄の古い子爵家の出である母の強い命を受けて王都に暮らして以来、貴族の中に身を置いて初めて知る自分に向けられた嫌悪や陰口、低位を蔑む辛辣な令嬢達の視線は未だに慣れない。
底辺貴族という立ち位置の私が物語のように王子様や高い爵位のご令息と結ばれようものなら、更に妬みによる針の筵のような悪意が加わる事は安易に察しが付く。
王都に暮らしてから自分の純真な心は、生まれ育った村に置いてきてしまったのかもしれないとマリーヌは思う。
今現在、マリーヌが身を置く貴族の世界は足の引っ張り合い、見栄の張り合い、そこで足をすくわれようものなら至らなさを嘲笑い蹴落とされる過酷な世界。
自分の身を守るには常に気を張り気を配り、完璧な礼儀を意識して、自我を押し殺して最下層の貴族の立場を肝に銘じて毅然たる令嬢を装わなくてはならない窮屈さ。先程告げられた「運命の殿方」がお伽話のような貴族の世界に身を置く人物を指し示すのであれば、丁重にお断りしたいという思いが新たに加わる。
私が願う幸せは貴族社会にも王都にもないのだ。そして許されるのであれば、身も心も平和に浸れるあの村へと今すぐにでも帰りたい。
それに、私の外見はお伽話に出てくるお姫様とは真逆の容姿。どちらかというと王子さまとお姫さまの運命を引き裂く悪い魔女や意地悪な義姉のほうが近いとさえ思う。
父親似の直毛の漆黒の髪、どちらかといえば垂れ目だが冷たい印象を与える母親似のグレーの瞳。右の目尻の下にある泣き黒子は妙に気位を高く感じさせるし、背丈も周りの令嬢達と比べると格段に高く、ドレスと合わせて踵の高い靴を履くと同じ年頃の男子よりも背が高くなる。
そして村で走り回って遊んだ幼少期のせいなのか父譲りの遺伝なのか、肌の色も骨格も健康的で明らかに貴族の殿方が好む理想の女性像とは真逆としかいいようがない。
決して容姿が醜い訳では無いとは思いたいが、周りの令嬢達と比べるとマリーヌの外見には贔屓目に見ても男性の庇護欲をそそる可憐な箇所が見当たらず、蝶よ花よと可愛がられてなんぼの貴族の娘としては致命的のように思える。
(…大丈夫。私は貴族の暮らしより、庶民の暮らしがいい。何より見た目も殿方に受けたためしがないし!媚を売れる可愛い性格もしてない!…甘えた仕草をしたところで兄の様に気持ち悪がられるのだわ。大丈夫!!)
マリーヌは自分の外見と内面を客観的に評価を下し、貴族の爵位同様に女性としても底辺な自己評価に空虚しくなる気持ちに蓋をして根拠なく「大丈夫」と自分に言い聞かせた。
動揺した気持ちを落ち着かせればマリーヌもお年頃のもうすぐ15歳。「運命」と聞けばどんな相手なのか興味も湧いてきた。目の前に置かれた過去も未来も映し出すとされる水晶のすぐ奥に鎮座する深い緑色をした異国の幾何学模様の刺繍が施されたローブを深く被る魔女とも呼ばれる占い師へと視線を上げ占いの続きを聞こうとした矢先、先程まで独り動揺し思いを巡らせていたマリーヌを他所に、少女と女性の狭間にあるお年頃のご令嬢達は羨望の黄色い声を一斉に上げていた。
「凄いわマリーヌ!あなたには運命の殿方がいるのですって!」
今の自分の心境とは間違いなく真逆であろう歓喜と羨望を含んだ高くて愛らしい声に、マリーヌは自分が今いる場所をようやく思い出し、自身の腕に手を添えた少女のあどけなさを残した伯爵のご令嬢へと、固まる顔の口角を必死に上げて振り返る。
「・・・リリアーナ様、そのようでございますね。」
リリアーナはマリーヌの咄嗟に繕った固い表情と、感情の乗らない言葉が返ってきた事に驚いたのか信じられないとばかりに肩をすくめて、女子なら誰もが羨む長いまつ毛に縁取られた大きな瞳を驚きに見開いた。
身分も外見も間違いなく同年代における貴族のご令嬢のトップクラスに位置する彼女は、第一王子の婚約者の最有力候補と噂が絶えない。
そんな彼女が新緑のようなグリーンの大きな瞳を春先の日の光をめいいっぱいに取り込んで、潤んだ目元は一層輝き、普段は雪の様に透けるほど白い頬を蒸気させながら、淡い金色をした腰ほどまである緩やかに巻かれた豊かな長い髪を肩から払いのけ、反応の悪いマリーヌへとズイっと突然迫ってきた。マリーヌはリリアーナの勢いに後ろへ咄嗟に引こうとする不敬とも取られかねない身体の反射を必死に抑え込んだ為にリリアーナの可憐な顔がひどく近くてとても居心地が悪くなる。
「あなたには運命の殿方がいるのよ!とてもロマンチックだわ!」
リリアーナは強張ったマリーヌの腕に添えた手を今度は自身の胸の前で組み、うっとりと空想にふけるように天を仰ぎ見た。マリーヌはリリアーナの顔が離れた事に心から安堵し、そして同性でも見惚れるほどに可憐なリリアーナの忙しなく変わる無邪気な表情や仕草、気安さをマリーヌはいつも羨ましく思ってしまう。そして、自分も気安く無邪気に返せたらと叶わぬ幻想を抱いてしまう。
「まるでお伽話のお姫様のようだわぁ。」
リリアーナはホゥと物思いに溜息をつき、マリーヌはリリアーナの容姿や純粋そうな性格こそお伽話にでてくるお姫様そのものだとも思ったが、口に出す前に実際にこの国のお姫様となるのかもしれないと思い直し言葉を飲み込んで、結局なんと返答したら正解なのかも解らずに、いつも通り無難に笑みを返すだけにとどめた。
(…リリアーナ様。お願いですから、それ以上の深追いはどうかご勘弁を…。)
マリーヌはこの後に待ち構えているであろう己の身に降りかかる最悪の事態を想像して全身の血の気が引いていくのがわかった。
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