【第15話】- ダンスの猛者 -
「ではカウントしますよ。」
講師の手拍子からカウントが入りクリストフと共にワルツの最初の一歩を踏み出す。クリノリンの重さや煩わしいドレスがあるにもかかわらず羽の様に出足の一歩が軽い、そこからのスピードのあるターン。流れる景色に風を感じるほど軽やかなステップ。今まで相手の足を踏まずにつっかえる事もなく、こんなにも高揚する程に軽やかにステップを踏めた事は一度もない。一連の流れを終えて呼吸が乱れたのか興奮からなのか姿勢を正した肩が呼吸に合わせて上下する。
「エクセレント!」
いつもは細かいダメ出しばかりのダンス講師が拍手喝采に自分以上に興奮している様子を見ると、自分が体感した以上に様になっていたのだろう。
マリーヌは感動にクリストフを見るも、あまりにも平然とした無感動な様子に拍子抜けしてしまう。クリストフは無感動どころか腕を組み徐々に眉を険しく寄せて考えるように顎に手を置く。
「クリス様?」
「マリーヌ、君は今までダンスをソロでしか踊ってこなかったのかな?」
鋭い眼差しと抑揚のないクリストフの問い掛けに、足を踏んでしまったかもという思考が一瞬過ぎり肝が冷えるも踏んだ感覚など一切なかった事を思い出し大丈夫と自身に言い聞かせる。
「…最近は基礎練習が多かったのでソロでしたけど、前までは兄が練習のパートナーでした。」
「そうか…。」
マリーヌとダンス講師が感動している中、クリストフだけが今のステップに納得がいかないとばかりに目線を下げて顔をしかめる。兄がパートナーだと何が問題なのかさっぱりわからない。というかその前に先程の素晴らしいステップのどこがいけなかったのかマリーヌこそ納得がいかない。
「舞踏会で踊るダンスは必ずドュオだというのに、君は一人で踊っているのかと思ったよ。」
あんなに素晴らしく感じた先程のステップの手厳しい指摘にマリーヌだけではなくダンス講師までも興奮が引き潮の様に引いていくのがわかる。辺りの静けさは空気まで重くし、身に付けたコルセットがさらに身体を締め付けクリノリンが先程よりも体と心に重くのしかかる。
「マリーヌ。君が踊ったと思っている今のダンスはワルツじゃない。何故だかわかる?」
「…えっと。…わかりません。」
答えられないマリーヌをクリストフは腕を組んだまま真顔で見つめ、今までで一番楽しく踊れて浮き足立った気持ちは急激にしぼんでいく。
先程、一緒に踏んだステップがワルツではないというのなら私は一体何を踊っていたのだろうか、クリストフが何を言いたいのか真意がさっぱり分からない。
貴族が踊るワルツの最低ラインにも及ばないお粗末なステップに成す術なしと判断されてさじを投げられたのだろうか。やはり自分は何をやっても所詮は令嬢の真似事から脱せ無いという劣等感に苛まれ、低い爵位と同等の令嬢としての自信の無さと羞恥に視線は自然と床へと落ちる。
「今踏んだステップは予め知っていた動きを僕が君の動きに合わせてリードしたわけだけれど、君から僕への意識は何も感じなかった。お互いが身体全体で会話をして作り上げるのがダンスだというのに。」
令嬢としてのマリーヌを指摘するのではなく、あくまでもダンスへの純粋な指摘に意表を突かれ思わず顔を上げると待ち構えていたかの様に交わったクリストフの視線にはマリーヌへの嘲りなどの含みはやはり一切感じない。
その目元に映るのはマリーヌへとダンスを教えようとする真摯な想いただ一つ。
クリストフの真剣な眼差しにマリーヌは瞬間で気が引き締まり、先程言われた言葉を頭の中でで復唱する。
(身体で会話をして…、ダンスを作り上げる…。)
ダンスでも兄にリードされた事はないし、日常生活でも父以外にエスコートされたことのないマリーヌは想像だにしなかった。
ましてやダンスで意思疎通など考えもしなかったマリーヌはクリストフの言葉に目から鱗が出そうだ。
実際にマリーヌの中でのダンスは各自が出遅れない様に相手と合わせて決められたステップをカウントやリズムに合わせて踏んでいくものだと認識でいた。
だがクリストフと踊ってみて実際にエスコートされリードされるという事を体感してしまった今、ダンスに意思疎通など感じたことのなかったマリーヌはダンスへの認識を全て改めなければならないと思わざるを得ない。
「マリーヌ、君に言っているんだけど聞いてる?」
「は、はい!」
クリストフの厳しい言葉にマリーヌは驚きに呆けた顔を引き締め、慌てて姿勢を正して返事を返す。
…なんだろうか、この馴染みのある緊張感は。
「実際の舞踏会は大勢がひしめき合って踊る。周りの踊り手と接触しない為にも急な進路変更やステップ変更があるというのにお互いが体感で意思疎通できてなければ話にならない。」
「はい!」
ダンス講師は生徒であるマリーヌが指摘されているというのにその通りとばかりに頷いている。今までのダンスレッスンでそんな話しは一切なかった事を考えると、底辺貴族が舞踏会に招かれる事など無いとタカをくくって形だけそれっぽく見えるように教えていたのだろうと大方察しはつく。
「ではもう一度やろう。まずは自分がどうエスコートされて相手がどの様にリードしているのかを意識するだけでいい。」
「はい!」
それから何度も何度もステップは繰り返される。
カウント係となったダンス講師が次のレッスンを理由に名残惜しそうに立ち去った後もお互いがコンタクトを取れる距離感の指摘に始まり可動域を広げる立ち位置、肩や腕の高さ角度、身体の軸に足運び、指摘され修正し身体に何度も覚えさせる。執拗に繰り返されるステップに剣の稽古や乗馬では使わない筋肉が悲鳴をあげていく。
ダンス中は姿勢をキープするのに役立った忌まわしきコルセットは深く息が吸えず乱れる呼吸を整えられず息苦しさを増し、クリノリンの重さも相まって流石にふらついてしまう。
「今日はここまでにしておこう。」
「は、はい…。ありがと、うござい…ました。」
マリーヌはクリストフの終わりの言葉に気が抜けてガクガクの足腰と酸欠状態が限界に達し、足元が砕けるようにその場に座り込んでしまった。
床に座ってはしたないとか令嬢としての体裁とかクリストフに嫌悪されようと、ここまで限界に達すると取り繕う余裕さえもなくなる。なけなしの乙女心で疲労困憊の体が後ろへと引っ繰り返りそうになるのを堪えるので精一杯だ。
床に広がったドレスの真ん中で苦しい呼吸を整えようと目を瞑り肩で息をする。
気合いと根性の全てを出しつくしてレッスンを終わらせるあたりは鬼に思えてくる。まるで父や兄とする剣の稽古のようだと疲れ果てた思考の端に思う。
「ここまで僕の練習に付いて来られる令嬢は他にいないよ。」
(…でしょうね。)
クリストフは床へとはしたなく座り込むマリーヌを咎める様子は一切なく、練習時の厳しさは微塵も消え失せ満足気な笑顔に差し出されたタオルをマリーヌはありがたく受け取る。乾き切った喉から発した筈のお礼の言葉は音にはならなかった。
普段の剣の稽古や乗馬で普通の令嬢よりも体力や筋力には自信のあるマリーヌを限界までしごき上げる人物は父や兄以外知らない。
「いま水を持ってきてあげよう。マリーヌがここまでとはダグラス総長の言っていた通りで正直驚いた。」
(…父の言葉通り。)
疲れた思考の端にクリストフの言葉が引っ掛かり顔を拭う手が止まる。ルイドリッヒ王子が先日言っていた父が訓練時に発する兵士への励ましとやらだろうか。
そういえば朝方、父へと問い詰め忘れた事をはたと思い出し、ならばクリストフへと聞こうと顔を上げる。
「はい、水を持ってきたよ。」
クリストフは用意された水の入ったグラスをマリーヌの目の前へと差し出し、マリーヌはあまりの喉の渇きに受け取ったそばからゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干す。
「ふはぁ、ありがとうございます。生き返りました。」
クリストフは飲み干した空のグラスをさり気無くマリーヌから回収して脇へと置くと両手を差し出す。マリーヌはクリストフの手を掴むと意図も簡単に引き起こしてくれた。何から何まで介抱されて今更ながら羞恥がこみ上げ恥ずかしさのあまり顔を上げられない。
「あの…、お見苦しいところをお見せ致しました。」
「いいんだ、気にしないで。」
マリーヌは咎める様子の一切ないクリストフの優しい声色に視線を上げる。目の前で優しく微笑んでいる人物が先程までの鬼の様なレッスンをした同一人物とは微塵も感じない程に穏やかな様子に、あのレッスンは夢だと思いたいが全身の筋肉の強張りと疲労感が現実だと訴えている。
「マリーヌ、君に伝えないといけない事がある。」
「…はい。」
「ラグナード家は代々王族が主催する催しを取り仕切る任を仰せつかっているんだ。…もちろん今回の王女殿下の誕生日を祝う舞踏会も。」
クリストフはマリーヌを引き起こすのに繋いだままの両手を握り真摯に目を見つめ訴えるようにマリーヌへと静かに伝える。クリストフのその言葉に不可解に思っていたダンス講師の豹変ぶりを今更ながらに理解した。
「舞踏会とは読んで字の如くダンスを主とした催し。…残念だが、今のマリーヌのダンスでは舞踏会で踊る事は君の…いや、フォスター家に泥を塗る事になるだろう。」
マリーヌを傷付けないように気遣ってなのかクリストフは慎重に言葉を紡いでいく。
申し訳なさそうに話す様子は逆にマリーヌのほうが申し訳なくなってくる。クリストフの今日という日をマリーヌのダンス練習に潰させてしまったが、そもそも舞踏会には行きたくないのだと目の前の心を痛めるクリストフへと伝えなくてはなるまい。
「クリス様…」
「だけど大丈夫、僕が君の力になる。」
クリストフは両手に握るマリーヌの手に力を込めて突如目を輝かせ力強く発したクリストフの言葉に意表を突かれる。
「クリス様?」
何だろうか、この身に覚えのある不安は。マリーヌは過酷なダンス練習の疲労からか頭が回らず上手く言葉が出てこない。
「僕が全身全霊をかけてダンスを伝授しよう!」
「…あの」
「舞踏会ではダンスを制した一握りの者だけが華として輝ける過酷な舞台!」
「…そんな」
クリストフがマリーヌの否定的な言葉を否定するように目を瞑りゆっくりと首を横に振り、そしてマリーヌを力強く見つめ返す。
「心配しなくていい。僕が君を舞踏会に咲く一輪の大輪の薔薇にしてみせる!」
クリストフは謎の熱意を瞳に宿しマリーヌの肩を力強く叩く。またもや予期せぬ方向へと勝手に事が進んでいる気がしてならない不安に駆られて戸惑いに視線を落とす。
このまま流されれば前回の二の舞ということは一目瞭然だ。盛大に勘違いをしているクリストフに自分の思いを告げる為にマリーヌは意を決して顔を上げ熱く意気込むクリストフへと目線を合わせる。
「あの、…わたくし」
「大丈夫だから、それ以上は言わなくていい。」
クリストフは人差し指でマリーヌの唇をそっと押し当て続く言葉を制止する。そして、マリーヌを包み込むように優しく穏やかに微笑む。
「淑女として胸を張って踊れるように。貴族の令嬢として恥じないダンスを教えてあげるからマリーヌは何も心配しなくていい。」
マリーヌはクリストフの言葉に脳天に雷が落ちたかのような衝撃が身体を駆け巡る。
(淑女として…、貴族の令嬢として胸を張れる…ダンス。)
今まで令嬢としての自信も淑女として胸を張れるところも人として誇れる事など何も無いマリーヌはあまりの衝撃に言葉を失う。
クリストフがマリーヌへとダンスを通じて伝えたい事は、マリーヌが喉から手が出る程に求めていても自分には無理だと諦めてきた事柄ではなかろうか。
「…クリス様。いえ!師匠っ!!わたくし必死に頑張ります!」
クリストフはマリーヌの意気込みに大きく見開いた瞳を満遍の笑みに変え大きく頷き、自身の右手を左胸へと当てる。
「君をダンスの猛者にするとクリストフ・ラグナードが此処に約束する!」
こうして両者の同意の元、マリーヌはダンスの猛者と成るべく2人は師弟関係となった。
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