【第14話】- 嗜みのワルツ -
ダンス講師が舞踏会で踊るワルツのステップを説明し、刻んだ手拍子のリズムに合わせて足運びを確認する。
「ではマリーヌさん、今のステップをソロで踏んでみましょう。」
幼い頃から今に続くまでダンスレッスンを受けていただけにマリーヌは講師のカウントと手拍子なら容易くステップを踏める自信がある。両肘を上げ自身の右手を架空のパートナーの左手に、左手は相手の肩に添えるイメージで姿勢を整え肩を落とし首を軽く反らしてワルツのステップを踏んでいく。
講師のカウントと手拍子に合わせて回る景色、のはずが着慣れないドレスとコルセット、そしてクリノリンの重さでいつもより動きが小さく鈍くなる。ワルツのステップは景色がくるくる回って見えるから好きなのに、身に付けている全てが邪魔としか言いようがない。
「マリーヌさん、ステップのタイミングが乱れてますよ。次は出遅れないように意識してもう一度。」
「…はい。」
講師の言葉を受けてマリーヌは喉まで出かけた言い訳混じりの苦言をなんとか飲み込んで再び両肘を上げて姿勢を整える。
「待って下さい。マリーヌはステップの流れや姿勢は取れている様なので次はドュオでやらせて下さい。」
部屋の端で寡黙にレッスンを眺めていたクリストフが突然に割って入ってきた事にマリーヌは姿勢を保ったまま驚きに伺いみる。
「君は?」
「私はマリーヌ嬢のダンス練習のパートナーを仰せつかった者です。」
ダンス講師は練習を突然に遮って割り込んできた見るからに年若い青年であるクリストフに気分を害したのか、もともと神経質そうな顔に肩眉を釣り上げて品定めするように上から下まで視線を這わせる。そんなダンス講師の失礼極まりない態度に相手が伯爵家の御令息と知っているだけにマリーヌはハラハラしてしまう。そして講師が時間をかけた品定めを終えて視線をクリストフの顔に戻すと驚いた表情へと変化する。
「君は…もしかして。」
「クリストフ・ラグナードと申します。」
「やはりそうでしたか!君があの」
「これから練習に度々お邪魔する事になると思いますので以後お見知り置きを。」
クリストフは突然態度を変えた失礼極まりないダンス講師に憤慨する事もなく平然と言葉を遮り前置きの社交儀礼もなく手短に挨拶を済ませ、毅然とあしらう姿はまさに高位者の余裕といったところだろうか。
普段は気位の高い元貴族のダンス講師もクリストフの対応に機嫌を損ねた様子は一切なく神経質にしかめていた顔を満遍の笑みに変えて頷いているのが不思議でしょうがないが、マリーヌが知らないだけでラグナード伯爵家は余程の名家なのだろう。
クリストフはマリーヌが佇む真ん中へと悠然と歩み寄り、側まで来ると左手を背中に右手を前に差し出して前へと踏み出した右足に体重を移すように軽いお辞儀をする。
「マリーヌ、僕と踊って頂けますか?」
「…クリス様。」
クリストフが屈んだ姿勢のままマリーヌを上目に見据える清潭な顔と目が合うと、その表情は先程までの人好きのする優しい雰囲気はどこかに消えて、人が変わってしまったのではと思う程に強気な眼差しに瞬時にして緊張が走る。
「…はい、…喜んで。」
マリーヌは緊張に固まる身体を叱咤して、ダンスの儀礼に倣って目の前に差し出されたクリストフの手に左手を添えて右手でドレスを摘み、目を合わせながらのカーテシーに引いた右膝を折り腰を落とす。そして、軽く触れ合わせたクリストフの意外にもしっかりとした厚い手の平に心臓がドキリと一つ跳ねる。
剣マメを何回も潰したであろう厚い手のひら、そして指の節の無骨さ、クリストフと触れ合うその手の感触に父や兄と同じ剣慣れを感じ、ただの温室育ちの令息ではないようだという思いにクリストフへの認識が一気に改められる。
(これは…、外見や雰囲気にそぐわずなかなかに剣術の鍛錬をしている手だ。)
マリーヌはクリストフに手を添えたままお辞儀からそっと体を起こし、そのままの流れでお互いに一歩前へと踏み出してマリーヌが遠慮がちにクリストフの腕に沿わせた肩に右手を置くと服の下に隠された硬く鍛えられた上腕二頭筋に意識が移る。
(細身ながらに凝縮された筋肉…。)
やはり毎日欠かさず直向きに鍛錬を積み重ねている事は身体が悠然と物語っている。父や兄のように露骨な筋肉人間にならないのはクリストフの元々の体質なのか、はたまた特別な訓練方法があるのだろうかとマリーヌの思考は徐々にダンスから遠ざかる。
(父と兄は意味のわからない程に重い訓練刀を普段の鍛錬から使っているけれど、クリス様は使ってはいないのかしら…。)
マリーヌがクリストフの上腕二頭筋からしなやかに続く肩の三角筋に目線を移したところで突然に腰をグイっと引き寄せられマリーヌは驚きに顔を上げる。
(わっ!か、顔が身体が近いってもんじゃない程に近いっ!!)
意識が現実に戻ると頭一つ分ほど背の高いクリストフのあまりにも近過ぎる距離に、剣の鍛練方法に思いを馳せていた思考が現実へと一気に引き戻される。
(いけない!ダンスに集中しないと!!)
マリーヌへと真っ直ぐに射抜くクリストフの真剣な眼差しに、慌てて姿勢を正し首を軽く反らしてワルツの姿勢を整える。
「2人とも素晴らしい!クリストフさん完璧なホールドです!」
ダンス講師は興奮気味に拍手をしている。普段は気怠そうに指導をする講師のこんなにも抑揚のある声を出す姿は初めて見る。そして、今までダンスの練習相手はいつも兄でお互い兄妹相手に過度に触れたくもくっつきたくもなくて、今ほど至近距離のホールドは初めてでクリストフの息遣いまでも直に感じてしまう不慣れな近さに気恥ずかしさから心臓がドキドキしてしまう。
布越しに感じるクリストフの温もりと自身へと真っ直ぐに向けられる人が変わってしまったかの様な眼差しはマリーヌをあまりにも落ち着かない気分にさせる。
(うん?ちょっと待てよ。…紛いなりにも伯爵家の御令息の足を踏んでしまったらまずいのではっ!?)
クリストフの至近距離にマリーヌは違う方向でドキドキしてきた。
ダンスの練習でどんなに兄との距離を取っても足を踏まずに終えた事など未だ嘗て一度もない。マリーヌが足を踏む度に大袈裟に痛がり露骨にうんざりした顔を露わにする兄の姿が思い出される。
伯爵家の御令息の足を絶対に踏んでしまうという緊迫感が徐々に強くなり胸の高鳴りはドキドキを通り越し緊張のあまりヒヤヒヤしてきた。
マリーヌの頭の中はクリストフの足を踏んでしまいダンスどころの騒ぎではなくなる思考で埋め尽くされる。
「マリーヌ。大丈夫、僕にまかせて。」
クリストフはマリーヌの不安に駆られた思考を察したのか、突然に自身へと向けられた気遣う言葉にマリーヌはワルツの体制をとったまま驚きに視線だけクリストフへと向けるとまたもや陽の光を背中に纏った後光がより一層輝きを放ちマリーヌへと優しく微笑む。
(っ…!?)
今までの人生経験で男性にこんなにもあからさまに優しく一端の貴族令嬢のように気遣われた事など未だ嘗て一度もない。あまりの驚きで上手い言葉が出てこない。
「…クリス様。」
マリーヌが戸惑いに名前を呼ぶとクリストフはただ黙って優しく微笑むのみ。そして突如思考に舞い降りた「クリス様は足を踏んだくらいでは怒らないのではないだろうか」という謎の安心感がマリーヌを包み込む。
マリーヌは緊迫した緊張が解けて身体から変な力が抜けるとクリストフは微笑みながら頷いてみせる。その仕草はまるで「何回踏んでも怒らないよ」と言われているようでマリーヌの抱いた安心感は更なる心強さとなる。
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