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【第13話】- 令嬢の遍歴 -

父ダグラスは豪快な笑いを引っ込めて、マリーヌの目の前へと紳士的に手を差し出す。その父の大きく厚い手に導かれて連れていかれた居間のソファーには上流階級特有の雰囲気を醸し出す青年がティーカップを片手に優雅に寛いでいた。


「クリストフ、待たせたな。」


ダグラスの呼び掛けに右手に持つティーカップをテーブルのカップ皿へと戻し、立ち上がる所作までも洗練された身のこなしで彼が貴族のそれも高位の人間である事はすぐに察しがつく。


そして無意識に察してしまった相手の身分にマリーヌはコルセットの苦しさもクリノリンの馬鹿みたいな重量も忘れて、笑顔を顔に貼り付け反射的に体面を整えてしまう自分にも貴族社会に染まりきった令嬢の遍歴を見出したものの、相手の身分を無意識に察して態度を改めてしまう自分は人として如何なものなのかと複雑な思いが込み上げる。


「ダグラス騎士総長の家でお茶が飲めるなんて光栄です。」

「ははは、それは貴重な経験をしたな。これが娘のマリーヌだ。マリーヌ、この青年はグラナード伯爵家の三男坊のクリストフだ。」


父に紹介された青年はやはり高貴な出自であった事にマリーヌは反射的に緊張が走る。宿敵アレックと同じ伯爵家でもクリストフはマリーヌへの嫌悪も敵意もなく穏やかに人好きのする笑みを浮かべている。その親しみやすい表情に心のどこかで父や母の前だから取り繕っているのかもしれないという懐疑心にまたしても自分が輪を掛けて嫌な人間に思えてくる。


ひとまず自己嫌悪には蓋をして、すでに広がっているドレスを摘みクリノリンのかなりの重量に片足で深く膝を折るのは恐ろしく感じて軽めのカーテシーに恭しく頭を下げる。


「娘のマリーヌ・フォスターです。初めまし…て?」


体を起こしクリストフの顔を正面に見上げると、どこかで見覚えのある顔に言葉の最後が疑問形になってしまった。

最近どこかで見かけた覚えはあるのだが、どこのどちら様だったかまったく思い出せない。今日は朝から失態のオンパレードと自己嫌悪の上塗りで程々に自分をやめたくなってしまう。


そんなマリーヌをクリストフは長い睫毛に縁取られた男性にしては大きなタレ目がちな瞳を面白そうに細め、マリーヌはその仕草に確かに以前会った事があると確信したが、それが何処だったのか思い出せそうで、なかなか思い出せない。


「この間のお茶会は無事に帰れたみたいだね。」

「あっ!?」


クリストフのヒントにマリーヌは思わず出てしまった自身の大きな声に慌てて口を手で抑える。

つい先日のアンジェリー王女主催のお茶会で城に入城する際に門で招待状と身分を改めた時の妙に親しげに接してきた兵士を思い出したのだ。


「失礼致しました…。クリストフ様はあの時の騎士様だったのですね。」

「僕はまだ正式な騎士ではなく研修中の身だよ。」


サンルームから差し込む陽射しに照らされた少し長めに切り揃えられた茶色い髪が光にきらめき、同時に日の光を受けて金色に輝くハシバミ色の瞳にはマリーヌの失態を侮蔑する色は一切なく、伯爵家の令息であるクリストフに嫌な思いをさせてはいないとわかりひとまず胸を撫で下ろした。


「クリストフはヴァルセリア王立学園の士官専攻の二年だったな。」

「はい。男ばかりの三男の僕は家業を継ぐ事も領地を管理する必要も無いので、卒業したら騎士団への入団を希望しています。」


父がクリストフの言葉に満足気に頷いているところを見ると、父の目に留まる程に好青年なのだろう。そう思うと自分の至らない懐疑心で初見で疑ってしまった事を改めて申し訳なく思ってしまう。


ヴァルセリア王立学園とは高貴な家柄か、市民でも余程に裕福か秀でた才覚がなければ通う事のできない国王が自ら出資する国で一番の学舎。


生徒は三年間のうち一年間で基礎教養と男は軍事を習い、女は国賓を持て成せる程に洗練された淑女教育を受けたのち、残りの二年間で専攻分野を学ぶ。医療や法学、魔石学などの特殊な専門分野はさらに四年間を在学して学ぶことになる。そして卒業したあかつきには将来が約束された、それは誉れな学歴となるのである。


身内では兄のドュークが剣技の特待枠で入学し、三年間の基礎教育を受けた後4年間の特殊技能を更に学び今年卒業したばかりだ。現在、在学しているのは第一王子のルイドリッヒ殿下と宿敵アレック、そしてミランダ侯爵令嬢と一部の顔見知りの令嬢達が通っている事は周知の事実。


大多数を貴族の子息子女がしめる為に社交シーズンである3ヶ月間は休講となるのが通例。 騎士団への入隊を目指すクリストフはその長期休暇を使ってこれから働く場となる城の兵士見習いを申し出たのだろう。


城で勤めるには騎士や兵士でなくとも、末端の使用人に至るまで確かな出自と爵位のある人物からの推薦、そして職務への能力が必要になる。


城勤めの使用人の場合は高位貴族の屋敷で下積みをした後、雇い主の貴族が王族へと人材を斡旋するのが一般的で、数は圧倒的に少ないが平民でも自身の頑張り次第で、勤め先で認められれば雇い主である貴族の家が身元保証人となり城勤めへの後押しが得られる。


王族へと信頼に足る人材を斡旋するにはかなりの資金と労力と時間が掛かるのだが城勤めへと多く輩出すればする程に王族への家名の覚えが明るくなる。それ故にどの家も使用人の育成に必死だ。その影響は雇用主の令嬢達にも及んでいて、城勤めへと何人輩出したと定番のお家自慢の一つとなっている。


そしてマリーヌの父の様に誉れな身分も学歴もない平民が騎士になるには国の兵士試験に合格した後、厳しい下積みに継ぐ下積みを経て実績と功績を積み上げ国王の目にとまる程に成り上がらなくてはならない。


目の前のクリストフは見るからに貴族然とした立ち居振る舞いに悠然と微笑んでいるが卒業前にすでに城で見習いができるという事は家柄、人格、能力、後ろ盾、全てにおいて揃っているのだろう。そんな俗な思考を巡らせていたマリーヌは不意に目が合ったクリストフに柔らかく笑い掛けられ心臓がドキリと一つ跳ねる。


「ダグラス騎士総長がマリーヌ嬢の舞踏会の事を気にされていたので、僭越ながら練習相手を申し出てみました。」

「そ、そうでしたの…。」


クリストフは裏表を感じない純粋そうな明るい笑顔に背後から燦々と差し込む陽射しを背負って、それはそれは後光のようにクリストフ自身が眩く発光しているようにも思えてしまう。

そのあまりの眩しさと先程知りもしないのにクリストフの人間性を疑ってしまった罪悪感も相まってマリーヌは直視できずに思わず俯いてしまった。


「不躾にも突然に伺ってしまって気分を害されていないといいのですが…。」


マリーヌの視線を外した所作を勘違いしたのかクリストフは眩い後光を背負ったまま口にした申し訳なさそうな声に、マリーヌは高位のそれも年上の殿方に気を使われてしまう経験は初めての事で焦りと戸惑いが走り慌てて顔を上げる。


「そ、そんな事はございません。…お恥ずかしながら、わたくしダンスがとても苦手なので、クリストフ様にお申し出て頂いてとても嬉しく思っております。」


「僕もダンスは嗜む程度なのですが、マリーヌ嬢が安心して踊れるように頑張りますね。」


自分へと向けられる嫌悪のない眼差しに棘も含みもない気遣う優しい言葉と嘲りのない暖かい笑顔、そして背後に背負う眩しい程の後光にマリーヌは今まで出会った事のない様子を見せるクリストフに心はザワつき落ち着かない気分になる。


「これから練習とはいえパートナーになるのだから、気兼ねなくクリスと呼んで下さい。」


そして再び柔らかく微笑むクリストフにマリーヌの心臓は急激に高鳴り早鐘を打つ。高貴な伯爵位の令息からこんなにも一端の令嬢として扱われていいのだろうかと慣れない状況にドキドキしてしまう。


「あ、あの…ではクリス様。」

「はい、何でしょうか?」

「わたくしの事はマリーヌと、…お呼び下さい。」


思い切って言ってみたものの、さすがに調子に乗りすぎたかという思いに恥ずかしさが込み上げて、あまりの居た堪れなさにクリストフから目を逸らし再び俯いてしまった。底辺貴族が調子に乗って馬鹿を言ってると思われていたらどうしようかと、冷やかなものが全身を重く駆け巡る。


「わかりました。ではマリーヌ、ダンスの練習を一緒に頑張りましょうね。」


自身へと向けられるクリストフの穏やかな声にマリーヌは目線を上げて恐る恐る顔を伺い見ると、またもや嫌悪や蔑みなど微塵も感じない微笑みを湛えているクリストフに安堵の思いが雪崩れ込む。


「よし!じゃあ俺は任務に戻る。クリストフ、後は任せた。」


「ダグラス騎士総長、任されました!このクリストフが命に代えてもマリーヌ嬢をダンスの猛者に仕立ててみせます!」


父ダグラスから発せられた軽い言葉にクリストフは城の騎士や兵士さながらに直立不動に脚を打ち鳴らして右手を胸に当て父へと誓いの敬礼をする。


父と母はそんなクリストフに満足気に微笑み頷いているが、たかだか娘のダンス練習にまるで重大な任務を仰せつかったようなクリストフの敬礼にマリーヌは突如として違和感に覆い尽くされる。ダンスの猛者とは一体何なのだろうか…。


「マリーヌ、くれぐれもクリストフの足を踏み過ぎるなよ。」


父は娘へと失礼極まりない言葉を残し笑いながら行ってしまった。父の後ろを母が見送りについて行く。

マリーヌは言い知れぬ嫌な予感に、居間に残されたクリストフへと視線を向けると優し気にニコリと笑みを返され逆光によって後光の様に照らされた先程と何も変わらない優しい笑顔に気のせいかと思う事にして、クリストフの眩しい笑みにマリーヌは恥ずかし気に微笑みを返した。


お読み頂きありがとうございます!

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