【第12話】- 淑女の心構え -
マリーヌは着慣れない舞踏会用のドレスに身を包み、ダンスレッスンの為に家具が片付けられた我が家で一番広い一階の居間とサンルーム続きの応接間へと向かうよう母に促されるもクリノリンによって最大限に広がったドレスを着るには我が家はあまりにも狭過ぎる事を身をもって知る事となる。
まず手始めに自室のドアへと振り返りざまにクリノリンの輪の端がドレッサーの脚にぶつかって、母からの誕生日プレゼントである花瓶が揺れて床へと落ちる寸前で側にいた父が自慢の反射神経で受け取められた事に息を呑み、続いて焦って後ろに下がった拍子に日中の陽の光を取り込んで暗がりで発光する魔光石を入れるお気に入りのランプスタンドをまたもやクリノリンで押してしまい、左右に大きく揺れたランプスタンドは倒れる寸前で慌てて駆けつけたローザによって押さえられ胸を撫で下ろした。
そして極め付けは部屋から出ようとした際に広がったクリノリンの輪がドア枠に突っかかり、その衝撃は振動となってドア付近にあるコンソールを揺らして立て掛けられたままとなっていた父から譲り受けた訓練用の木製の長剣が床へと無残に倒れるところを側にいた母が機転を気がして手で押さえてくれた。
マリーヌは矢継ぎ早に自分が仕出かした一連の出来事に気まずさも相まってあまりにも居た堪れなくなり、そのまま無理矢理に部屋を出ようとした矢先、マリーヌの強行突破にすかさず母からお叱りが入る。
通路が狭い時はクリノリンの輪を片側だけ優雅に手繰り寄せて持ち上げるのだと教えてくれたが、初めて着るドレスと何層もの鉄の輪が連なったクリノリンを優美にさり気なく片手で持ち上げる事など到底できずに、ドレスごと捲し上げた片側のクリノリンを豪快に小脇に抱えてしまったものだから下着のドロワーズまで露わになってしまい、またもや母から手厳しい叱責が入る。
初めてなのだから母には大目に優しく諭して欲しいと常日頃から心底思うが、貴族社会は初めてだから致し方ないなどの甘さは到底許されない世知辛い社会。爵位が低ければ尚更のこと手厳しい評価を下す人々。だからこそマナーを完璧にこなせない者は社交の場に出てはいけないのが暗黙のルール。
万が一、社交の場でマナーを欠いてお呼ばれした先の女主人に疎まれれば悪い噂がすぐに広まって誰にも相手にされなくなってしまう。
力の無い貴族にとっては家族の誰かが犯したマナー違反によって重要なコミニティーを失い、最悪の場合は後ろ盾と横の繋がりを失った財力のない下級貴族は没落すらもありえる。逆に言えば、誰もが認める優美な所作と社交技術が高ければ周りの貴族によって押し上げられて家督が上がり繁栄する事もある。
そして貴族達にとって頑張る姿は御法度。努力は人知れず行い頑張りを人に見せても主張してもいけない。最初から何でもできる人間などいる筈もないのに、誰にも教わらずにできましたとばかりに血の滲むような努力も汗も涙も全てを包み隠して、優雅にそしてスマートに装わなくてはいけない。
貴族たるもの“出来て当たり前”が大前提の理不尽でストイックな世界、それがマリーヌが今現在いる貴族社会なのである。
そして今、笑いを堪え顔を背ける父と怒りに耐える母を背に我が家の歩き慣れた廊下を前に予想外の緊張から生唾を飲み込む。その通路には母の趣味の一つである年代物の希少な花瓶や価値のある陶器がいくつも飾られているのである。
(これは…、今の私には通る自信が…。)
「ローザ、応接間までの花瓶や陶器を空いてる部屋に避難してちょうだい。」
「は、はい。奥様。」
ローザはマリーヌのドレスを踏まないように脇を通り抜け通路の壊れ物を手際よく慎重に空き部屋となっている客室へと運んでいく。
マリーヌはローザに余計な仕事を増やしてしまって申し訳ない気持ちになるが、本来ならば雇主側の要望を聞いて動くのは感謝されるまでもなく当たり前の事だと思うのだろうが、マリーヌは今まで自分の世話は一通り自分でこなしてきた故に申し訳なさが先に立ってしまう。
しばらくして障害物が片付けられた廊下を難無く通り抜けられた事に感謝の念が生まれ、ローザとすれ違いざまに後ろから付いてくる母には悟られないように「ありがとう、たすかったわ」と口をパクパクさせて伝えると、ローザは驚いたように微かに目を見開いて続いて微笑んでみせてくれた。
(ローザ、なんて可愛らしくていい人なのかしら。)
マリーヌは侍女といえども同年代の女子との親しげなやりとりに嬉しさのあまり感動が身体を巡る。実際はローザのほうがいくつか年上なのだが、線が細く小柄なローザは同じ年頃にも見える。自分が老けているのではという見解が頭を過ったが今は深追いするのはやめておこう。
「お姫様お手を。」
父にそう言われて反射的に手を差し出したその先に待ち構える第二の難関である階段に直面しマリーヌは思わず息を呑む。
普段の足先が少し覗くくらいの丈のドレスでさえ階段で油断すると裾を踏んで危うく前につんのめる事が多々あるが、クリノリンで最大限に広がったドレスは裾を踏むことはなくとも足元の段差がまったく見えないという恐怖感が凄まじい。
幸いにして階段は広く、並んだ父の手を右手にしっかり握り左手を目一杯に伸ばして手摺を掴み足先で階段の段差を探り当てて一段一段を慎重に下りる。
足元の見え無さと一段降りるごとに後ろの段に乗ったクリノリンの鉄の輪がカシャンと音を立てて落ちる度に支えのない前方に重量が偏り片足にズシリと身体に重くのしかかる。おぼつかない足元に少しでも踏み外せば階下に転がり落ちかもしれないという恐怖も相まって思わず及び腰になってしまう。
「マリーヌ、ドレスとクリノリンを優美に持ちなさいと先程も言ったわよね!そして視線は下ではなく前を見て姿勢を正しなさい!エスコート役の手や手摺はみっともなく握らない!」
またしてもクリノリン初体験のマリーヌにはハードルが高過ぎる母の叱責が入る。
世の中の令嬢方の優雅な所作にかける只ならぬ熱意はクリノリンの枷すらも超越する気合いによって成し得ている卓越した技と言ってもいいだろう。
その磨き上げられた技の全ては他者に軽んじられない為なのか、上に立つ者としてのプライドがそうさせるのか、はたまた注目を集めたい為なのか、その全てにしても息苦しいコルセットを己の意思で限界まで締め上げ、重過ぎて安易に歩く事も座る事もできない危険極まりないクリノリンを身に付けて、上品さと優美さを競い合う彼女達の美への情熱に心からの拍手を贈りたい。
美への情熱も薄く、貴族としての誇りもないに等しい、陰日向で目立たず安穏としていたい自分には舞踏会という名の淑女達の戦の場にはあまりにも場違いな人間ではないかと思わずにはいられない。
マリーヌは己の貴族令嬢としての振る舞いの自信の無さや淑女としての心構えの至らなさを再確認して思わず項垂れてしまう。
「大丈夫だマリーヌ、俺を信じろ。」
「…お父様。」
父はマリーヌが階段の序盤で恐れをなして足が竦んだとでも思ったのか、はたまた気落ちした心を悟られたのかは定かではないが、マリーヌを励ます漢らしくも頼もしい父の言葉に嬉しくて顔を上げて見ると、今にも笑い出しそうな父と目が合う。
母の怒りが爆発寸前の手前、涼しい顔を装った口元と目元のヒクつきで必死に笑いを堪えているのが安易に察しがつく。
コルセットの息苦しさとクリノリンの事で頭がいっぱいで今まで父の様子にまで気が回らなかったが、度重なるマリーヌの失態がよほどに面白かったと見て取れる。
マリーヌと目が合うと我慢も限界とばかりに口角が上へと引きつり始めた父の顔に、無性に悔しさと苛立ちが込み上げて、意を決して握りしめていた手摺から手を離しドロワーズが見えないように気を付けながらクリノリンを手繰り寄せ、父の手を掴む右手の指先と背筋をピンと伸ばし腹筋に力を入れて、正面を見据えて優雅さと上品さを意識して、慎重にゆっくりと足先で段差を探り自力で一段一段を慎重に下りる。
途方もなく長く感じた階段の最後の一段を下りて自慢気に父へと振り返ると、父の我慢は限界に達して豪快に吹き出した笑いに大きな手でマリーヌの頭を数回叩くように撫でる。
「えらいえらい。途中からよく自力で降りられたな。」
「もう、お父様ったら!私はもう子供ではないのよ!」
淑女を意識したのにまさかの子供扱いな褒め方に納得がいかなくて腕を組んでそっぽを向くマリーヌに父ダグラスはさらに笑いを強める。
久しぶりに会っても相変わらずな父とのやり取りにマリーヌも何だかんだ可笑しくなってきて思わず笑いを吹き出してしまう。
階段の数段上から笑い合う父と娘を見下ろしている母の顔から先程までの怒りの形相が消えているところを見ると、気合いを入れて降りた階段の所作は合格点だったのだろう。
「今日は淑女なおまえのダンス練習にもってこいの人間を連れてきてやったぞ。」
「え…?」
父の突然の帰宅と階段までのエスコートでマリーヌはてっきり父がダンスの練習相手なのかと思い込んでいただけに落胆が隠せない。
「悪いな、俺はこの後すぐに任務があるから練習には付き合ってやれないんだ。」
「わかっているわ…。」
ダグラスはガッカリした娘の曇った顔に悪びれもなく謝ると、再び笑って頭を優しく撫でた。
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