【第9話】- 思わぬ招待 -
マリーヌは実際に会うことは無いだろうと思っていた令嬢達が恋い焦がれる噂のルイドリッヒ王子を目の当たりにし、直接関わらずとも最低位である自分に至るまで巻き込んだ婚約騒動の当事者である王子は一体誰を婚約者として選ぶのだろうかという思いに不躾にも見つめてしまっていたらしく、ルイドリッヒ王子と視線がぶつかるとまたしても眩ゆい笑顔を返されてしまった。
王子に憧れを抱く令嬢達が見ていたら、あまりの衝撃に気を失う者もいるのではと思う程に王子が見せた突然の眩い笑顔は、先程まで俗な空想と回想を繰り広げていた思考を全て見透かされたように感じて、マリーヌは羞恥に居心地が悪くなり思わず咄嗟に俯いて視線を外してしまった。
王子はそんなマリーヌの何が面白いのか間髪入れずに目を細めて含み笑いをするものだから、さらに恥ずかしさが込み上げて俯く顔が熱くなる。
「ルイ王子、そろそろ執務に支障がでますよ。」
マリーヌがあまりの気まずさから顔を上げられないでいると、アレックの不機嫌そうな声が王子へと投げつけられる。マリーヌへと向けられた刺さる様な辛辣な視線がまたもや痛い。
そんなアレックはきっと妹のリリアーナを王妃にさせたいのだろうとマリーヌは確信する。私が事あるごとにリリアーナのお茶会の誘いよりもミランダ侯爵令嬢の誘いを優先するものだから過保護な兄としては許せないのだろう。
今までの謎の敵意は身の保身に体裁ばかりを気して立ち回るマリーヌが愛する妹のリリアーナを蔑ろにされたと感じた怒りからくる嫌悪なのだろうか。
結局は底辺貴族のマリーヌのちっぽけな存在がなくとも王子に見初められて国王様と王妃様に認められれば正式な婚約者となれるというのに。リリアーナにはそれだけの可憐で美しい容姿と高貴な身分が備わっているにも関わらず、非力でか弱い底辺令嬢すらも取り込みたいなんて、随分と強欲な兄だという考えに思考が纏まった。
「もうそんな時間か。」
「そうですよ、今日中に仕上げなければならない案件が数件あります。」
アレックが此処に訪れた目的をいまさら思い出したかとマリーヌはひとり心の中で悪態を吐く。そして宿敵と心臓に悪い王子がようやく目の前から立ち去る雰囲気にやっと帰れると安堵の思いが雪崩れ込む。
「ではマリーヌ。私は執務に戻らなければならなくなった。」
「…はい。王子殿下とお会いできましたこと光栄にございました。」
ルイドリッヒはマリーヌの安堵を見抜いてか、整った美しい顔に意地の悪い笑みを浮かべ、マリーヌは慌てて引きつりそうになる顔に貼り付けた笑顔を必死に強め、目線を下げて恭しく王子へと淑女の礼をとる。
王子とアレックは王女へと暫しの別れを告げて立ち去るアレックの後ろ姿に、何年も心の奥底に魚の骨のようにつっかえていた飲み込めない思いに駆られ、衝動的に宿敵アレックの名前を口にして呼び止めてしまっていた。
「あ…、お急ぎのところお呼び止めして申し訳ございません。」
「マリーヌ嬢、…見ての通り我々は急いでいるんだが、何か?」
アレックからは当然のごとくお馴染みとなった辛辣な視線とため息まじりの厳しい口調が返ってくる。ここで怯んだらずっと胸に燻り続けている答えの出ない疑問を解決できないかもしれない。これから先、本人に直接聞ける機会はないかもしれないという思いが焦りとなってマリーヌを突き動かす。
「あの…、アレック様には大変失礼な質問になるのですが。」
「マリーヌ嬢、要件があるなら早く言いってくれないか。」
元来せっかちなのか、はたまたマリーヌにだけそうなのかは定かではないが口を開いてもマリーヌへと辛辣さを投げつけるアレックには殆に嫌気がさしてくる。やはり意外な一面を垣間見ても、王子と王女がマリーヌを淑女として認めてくれても宿敵は宿敵のまま態度を和らげてはくれないのだという落胆が心をさらに重くする。
「まだ少しくらいなら大丈夫だろ。それよりマリーヌがアレックを呼び止めた理由が気になる。」
マリーヌは宿敵アレックの追い討ちをかける手厳しい物言いに一瞬怯みかけたが、ルイドリッヒ王子の寛容な言葉に後押しされて勇気を振り絞り心の内を打ち明けることを決心した。どうせ嫌われているのなら徹底的に嫌われても良いではないかとさえ思えくる。
冷ややかなアレックの横で2人のやり取りを見守るルイドリッヒ王子は、これからマリーヌが発する言葉に興味津々とばかりにニヤニヤとしている事は無視することに決めて、意を決して胸に引っ掛かり続けた自身では解決できない疑問を勇気を振り絞って口にする。
「アレック様は…、わたくしの何がそんなに気に入らないのでしょうか?」
アレックはマリーヌの直球な質問に驚いたのか少し目を見開いて、すでに寄せていた眉間のシワは険しさを増し、冷たく高圧的な空気をさらに身に纏うアレックのこれまでにない形相にマリーヌは怯んで思わず下唇を噛んでしまう。
アレックとは対照的に、先程から視界の端にちらつく王子の美しいニヤケ顔へと気が逸れそうになるのを必死に堪えて、マリーヌへと露骨な敵意を露わにした宿敵へと意識を集中させて負けじと視線を交じり合わせる。
「もちろん、わたくしが至らないのは承知しております。ですが、3年程前のお茶会でわたくしの何が至らなくて今にまで続くほどにアレック様の逆鱗に触れてしまったのでしょうか?」
マリーヌが負けじと一点集中した眼力に対抗するようにアレックもまた視線を強める。マリーヌの問い掛けにアレックは押し黙り無言でマリーヌを高圧的に睨み続ける。その視線にアレックの真相を探ろうとするも自身に向けられる敵意以外に何も見つからず、マリーヌの意を決した問い掛けに黙る一方で何も発さないアレックに苛立ちが募っていく。
「あはははは!」
ルイドリッヒ王子がアレックの横でずっと笑いを堪えていたのを知っていたにも関わらず、あまりにも間の悪い王子の大笑いにマリーヌは驚いてビクリと肩を震わせ笑いの主へと顔を向ける。
気が付くと脇に控えるアンジェリー王女までも声を出して可憐に笑っているのを見て、私は王族を大笑いさせてしまう程に馬鹿で間抜けな問い掛けを衝動に駆られて口走ってしまったのかと内心ひどく狼狽えてしまう。
「わ、わたくしは真剣に考え悩んで、アレック様の事をずっと心に抱えているんです。…お願いですから笑わないでください。」
「くくく、悪い悪い。そんなつもりは…くくく。」
ルイドリッヒの笑いを堪える努力は垣間見えるも、笑いを抑えようにも込み上げて止まらないとばかりに腹を抱え始める始末。兄の笑いに釣られたのかアンジェリー王女までも肩を小刻みに震わせて目に涙を溜めて笑っている。マリーヌはそんな王子と王女に半ば諦めが入る。
「もう、お好きなだけお笑いください。」
「くくく…、マリーヌすまない。でも面白すぎて止まらない。」
横目に窺い見た宿敵アレックは先程見せた高圧的な敵意はどこにいったのか何故か満足気に微笑混じりに上から見下されている気さえする。そんなアレックの変わり身が妙に腹ただしい。
勇気を出して心の内を打ち明けたというのに王子と王女に大笑いされたあまりの羞恥に耐えかねて、この場から走り去りたい衝動と、この場に留まりマリーヌを精神的にも追い詰めたアレックの謎の敵意の真相を知りたいという思いが交差する。
立ち去りたい思いが勝ったとしても底辺貴族には勝手に立ち去る事も許されない現実にマリーヌは行き場のない恥ずかしさと苛立ちを耐え忍ぶしかない。
「邪魔して悪かった。マリーヌの憂いを晴らしてやりたいんだが今は時間がない。」
笑いが収まり何事も無かったかのように王子然とした気品溢れる風格を取り戻したルイドリッヒ王子へと、誰のせいだよと思わずにはいられない。マリーヌの世界はどこまで行っても不条理にできているようだ。
「そこで、再来月にあるアンジェの誕生パーティーを兼ねた内輪の舞踏会へマリーヌを私の相手役として招待しようと思う。」
(…はい?)
余程の後ろ盾と才覚が無い限り一代貴族の子供は貴族の社交界になど招かれないというのに、いくら内輪とはいえ王家主催の舞踏会など恐れ多過ぎてマリーヌには余りにも度を越した見分不相応な突然の申し出に言葉を失う。極め付けは我が国の第一王子のエスコートを受けるなんて前代未聞過ぎる。
(何を考えてるんだ、この王子様はっ!!??)
マリーヌは王子が発した言葉が聞き間違いなのか、はたまた幻聴の類かもしれないが底辺貴族の立場をしっかりとわきまえて夢の中だろうとキッチリお断りをせねばなるまい。
「あの、王子陛下…」
「アンジェ、マリーヌを招待してもいいだろ?」
マリーヌの苦言を言わせない為にか、すかさずルイドリッヒ王子が言葉をかぶせる。
「王子殿下それは…」
「ふふふ、もちろんですわお兄様。」
アンジェリー王女もマリーヌの言葉にかぶせる。なんて息のあった兄妹なんだと感心を通り越して思わず装った笑顔の奥で歯軋りしてしまう。しかし、ここで流される訳にはいかない。
「わたくしには…」
「ルイ王子!この微妙な時期に無駄な争いの種を蒔くような行動は控えてください。」
挙げ句の果てにアレックまでもマリーヌの言葉を遮ってきたことに焦りと苛立ちが強くなる。だが一拍遅れて、マリーヌが言うに言えなかった苦言を王族へと代弁してくれた事にようやく気が付きアレックの顔を驚きに見上げる。宿敵だろうが王子と王女に物申せるのはこの場にアレックただ一人。
(アレック様、思いの丈を王族に申して下さいまし!そしてマリーヌには舞踏会への参列は相応しくないと存分に豪語してくださいまし!!)
マリーヌは啀み合っている関係を一時休戦し、宿敵アレックへと希望を託す事にした。マリーヌが期待と懇願に見上げた視線にアレックは「任された」とばかりに頼もしく頷く。
さすがアレック様!味方につけばなんと頼もしいお方だ!
「ルイ王子の代わりに私がマリーヌ嬢をエスコート致しましょう。」
(…んん???)
「…アレック様、今なんて」
「そうきたかアレック。お前もなかなかの策士だな。しかし、おまえには妹君のエスコートがあるだろ。」
話しが進むにつれて内容に不可解な点が増えてくる。今のマリーヌの頭ではどう解釈して、どう対処するのが正解なのか見当もつかない。
「…あの、それは」
「私の場合、妹のリリアーナは兄か父に任せればいいのです。そもそも、あなたは主役であるアンジェリー様のエスコート役を仰せつかっているんですよ。」
マリーヌはことごとく言葉を遮られた挙句に目の前で繰り広げられる話の流れに頭がまったく着いてこない。
(…この話しの流れは、底辺貴族の私が舞踏会でとんでもない粗相をしでかさない様に誰がお目付役になるのかという話しでいいのだろうか?)
「…それでしたら」
「アレック様、わたくしもルイドリッヒお兄様のエスコートでなくともリカムお兄様に頼めばいいのです。」
「アンジェリー様、長兄であるルイドリッヒ王子のエスコートは王妃様の意向なのですよ。」
アレックはアンジェリー王女へと諭すように優しく微笑んで伝える。アンジェリー王女はアレックの子供扱いがよほど癇に障ったらしく、儚げだった大きくて愛らしい目元を強くして見上げるほど大きいアレックへと挑む様に顎を上げて挑戦的に一歩前へと踏み込む。
先程のお茶会での不躾な令嬢達への喝といい今といい、アンジェリー王女の内向的とばかり思っていた認識を改めなければとマリーヌは心で思った。
「わたくしがルイお兄様と一緒にお母様に直訴すれば問題はないはずよ。」
「しかし、それはあまりにも…。やはりここは私が受けるのが最善かと思いますが。」
「アレック様こそ、マリーヌ様との確執をお忘れではないかしら?それこそ女性からしたら最善ではなく最悪と思いますわ。」
「それは…これから改善していけば問題ございません。」
アンジェリー王女とアレックの謎の攻防戦に、自分の話しをしている筈なのに”舞踏会に参列するのはマリーヌの意思”とばかりに物事が意図に反して勝手に突き進んでいく。
何とかして舞踏会に参列する流れを食い止めたいのに、なす術のない己に焦りと困惑ばかりが募っていく。
「あの、ですから…」
「アレック、舞踏会へは俺が招待したんだ。お前がエスコートする流れはおかしいだろ。」
「ルイ王子、私は王子の意向と現在の情勢の妥協点をお伝えしているのです。」
王子の一人称がいつの間に”俺”になった事は聞かなかった事にして、そもそもマリーヌを舞踏会に参列させなければ問題は解決するのではないかという思いに苛立ちが頂点に達した。
「わたくしには舞踏会の参列は見分不相応な申し出でございます!」
マリーヌが希望を託したアレックには任せておけないと業を煮やして言うに言い切れなかった苦言を口にできて気分はスッキリしたのはいいが、マリーヌ本人を無視して話しを進めていた三人の視線が一斉に集中する。目の前に揃った高貴な面々の視線に、焦りと苛立ちから思わず力み過ぎて淑女らしからぬ声を張ってしまった事にジワジワと羞恥心が込み上げる。
(…あぁ、やってしまった。王族の御前でなんという醜体。)
王子と王女は顔を見合い、アレックは羞恥にまみれたマリーヌの赤い顔を呆れたように見ている。姿勢だけはなんとか毅然を振舞ってはいても顔に熱が集中して凄く熱い。顔が赤くなっている自分を想像すると尚更恥ずかしさが込み上げてくる。
「わたくしはマリーヌ様に誕生日を一緒に祝って頂きたいのですが過分な想いでしたのでしょうか…。」
ルイドリッヒ王子からマリーヌへと視線を戻したアンジェリー王女は可憐にしおらしく目線を下げて発した言葉と庇護欲をそそる気落したような姿にマリーヌは身体の熱が急速に冷やされる。
「アンジェリー王女殿下。その様な事はございません。わたくしは王女殿下がご生誕された日を心より祝福しております。」
マリーヌの言葉に視線を上げたアンジェリー王女は眩いほどに顔をほころばせ、そのあまりにも純真な笑顔にマリーヌは安堵に胸をなでおろす。
「それでしたら何の問題もなく、わたくしのお誕生日の祝いの席にいらして頂けますね。ふふふ。」
マリーヌへと満遍の笑みをたたえて発した王女の言葉に逃げ道を完全に塞がれた事を悟り、先程の安堵が瞬間にしてどこかに吹き飛んでしまった。
マリーヌがどう断ろうと目の前のあどけなさが残る少女であらせられる無垢な王女殿下の心を傷つけてしまうではないか。マリーヌは王女の愛らしい笑みに生唾を飲み込み覚悟を決める。
「アンジェリー王女殿下よりその様に言って頂けて、とても光栄にございます。わたくしには身に余る誉なご招待を深く感謝致します。」
マリーヌはドレスの裾を摘み垂直に腰をゆったりと屈めながら顎を引いて王族に敬意が伝わるように恭しく深く頭を下げる。
「恐れ入りますが、祝賀会への同伴は父か兄にて伺わせていただきたく存じます。わたくしのわがままを何卒ご容赦ください。」
「マリーヌ、それは無理だと思うよ。」
マリーヌの決死の要望を即答で否定された王子の言葉に今の自分の顔はきっと苦虫を潰したような、おおよそ人には見せられない表情であろう事は鏡を見ずとも予測できる。ここは表を上げずに礼の姿勢で耐えるしかない。
「ダグラス卿は国王の警護と城内警備の指揮がある故に外せない。デューク氏は近々、王命を持って他国へと長期に渡航する予定と記憶している。」
「…さようでございましたか。身内の事情に疎く大変失礼を致しました。」
「ダグラス卿の任も、兄上のデューク氏の件も身内といえども安易に他言できない情報。マリーヌも他言無用で頼む。」
「はい。…かしこまりました。」
マリーヌは屈んだ礼の姿勢をとったままの無理な体勢で足腰が限界に達し、筋肉の震えを悟られないように恭しく表を上げる。顔を上げて見た王子の表情には、底辺貴族が生意気にも口にした要望を咎める様子もなく穏やかに柔らかな笑みを浮かべていた。
それなのに…なんだろうか、この全身を飲み込むような先行きの薄暗さは。内輪とはいえ王族が主催する舞踏会に呼ばれるなど貴族令嬢からしたら、あまりの誉れに天にも登る想いだろうに、マリーヌは今まさに暗雲渦巻く奈落の底へと続く崖の上に立たされているような心境だ。
「改めて舞踏会の招待状を送る事にするから受け取ってくれ。」
「かしこまりました…。」
わが国の第一王子にここまで言わせてしまわせては覚悟を決めて観念するしか無い思いに素直に承諾を受け入れる。
「ルイ王子、本当にもう行かないと執務に支障がでます。」
「ああ、わかっている。」
「マリーヌ嬢、我々は執務が差し迫っているので、ここで失礼する。」
なかなか別れを切り出さない王子の代わりに執務へと戻る別れの言葉を口にしたアレックからは以前のような蔑む視線も辛辣な口調もなく、かと言って友好的とも言えない事務的な様子にマリーヌが長く抱えていたアレックの謎の敵意の真相は結局わからずじまい。意を決した問い掛けは有耶無耶のまま、あまりの消化不良に胸がモヤモヤする。
「わたくしもマリーヌ様への招待状の手配がありますので失礼致しますわね。」
「アンジェリー王女殿下、身に余る程に光栄でございます。本日の優美なお茶会にもお呼び頂きましたこと、重ねて感謝致します。」
マリーヌはドレスの裾を再び摘み感謝と別れのお辞儀をして立ち去る高貴な三人を見送る。
主城へと向かう三人の並んだ背に、疲労と安堵とモヤモヤと更なる憂鬱が一気に押寄せてマリーヌは何も考えられずにただ呆然と立ち竦んだ。
「…足が痛い。」
マリーヌの呟きはお茶会の後片付けをする使用人達の喧騒に掻き消えて、俯いて覗いた足の浮腫みに吐いた溜息は春風によって掻き消されていった。
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