下
俺が戦闘終了後の地上での報告やら何やらを終え、今日俺が乗った機体を整備員とともに点検し終えた時には、もう日が落ちていた。スポッター1と俺が話せたのは、全ての仕事から解放され、『ゆきの舞』で一杯やっているスポッター1を見つけてからだった。
雪が降らない南方で『ゆきの舞』という店名は妙だが、隊員クラブをチェーン店に民間委託しているからどうしようもない。名前は気に入らないが、基地内で酒が飲めるのはここしかない。挨拶と酒やらつまみやらの注文をし、俺は単刀直入に疑問を口にした。
「あれどうやったんですか?」
「あれ?」
「H-3の援護を受けて敵機を撃墜した時ですよ」
「クルビットを決めた。相手が私から無人機に標的を移した瞬間に減速と宙返りを決めて後ろについた。相手が事態を把握する前に、残弾全部ぶちこんでやった。幸いあれで敵機はおしまいだったから帰れたけど、コックピットのみ狙撃して、お守り程度でいいから弾がある状態で帰投すればよかった。うん」
「なにをやってるんですか……それに、敵機が狙いを変える瞬間なんて、どうやったらわかるんですか」
スポッター1はなんのてらいもなく言い放つ。俺は呆れた。
戦場の極限状態の中で曲芸飛行を行う胆力。それは尊敬に値する。
しかし、同時に無謀な賭けだ。クルビットはポストストールマニューバという、失速寸前で行う機動だ。空戦は相手の後方を取った者が勝つ。そのためには、相手よりも速く動ける状態であることが望ましいのだ。だが、スポッター1は敢えて減速することで相手に自分を追い抜かさせ、後方を取ったのだ。
これは命知らずな行動である。高速で飛ぶだけでも敵弾を食らう確率は下がるのだ。虫とりの時、素早く飛ぶ虫は捕らえづらいが、ゆっくりと飛ぶ虫は捕らえやすい。これと同じで、後方を取られた戦闘機が減速する事は、自ら敵弾をもらいにいくようなものなのだ。だから、スポッター1からH-3に敵が狙いを変えた瞬間しかチャンスはない。そんな離れ業を、彼女はやってみせたのだ。俺より背は低い。だが、空を制するのは俺ではなく、彼女だろう。
スポッター1は俺の問いかけに対し、首を傾げている。なぜ当たり前のことを聞くのか、といった風だった。
「なんだか、わかる。空戦をやってると、相手の呼吸みたいなのが、見える。そのリズムを崩せるタイミングとか場所が見えたら、そこを突く。それだけ。有人機でも、無人機でも一緒。いや、あの無人機は発想が人間同然だからノーカンかな」
「無人機でも一緒?」
おうむ返しに聞く。スポッター1はうなずき、つまみを飲み込んでから話し出す。
「前、アタシはノルンの開発に関わってたんだ」
「無人機の?」
「うん。まだ試作段階だったけどね。ノルン、というかヴァルハラシステムの前身の開発に関わったんだ」
「なにをしたんですか?」
「自分の飛行データをAIの学習用に提供したよ。あと、同僚と一緒に無人機と模擬戦でやりあったこともある。それまで負け知らずだった試作型の無人機を思いっきり叩けて、楽しかったよ」
面白そうにスポッター1はくすくす笑う。
「どんな様子だったんですか?」
「1機は同僚がすぐやっちゃったんだけど、同僚は残りのやつに食いつかれてさ。同僚は逃げたけど、無人機はぴったり後ろにつけてきて、撃墜判定が下るのは時間の問題だった。有人機も無人機もペアで模擬空戦をやってて、撃墜判定を食らわずにペアで帰投することが勝利の条件だったから、アタシは無人機を撃墜するより、同僚を助けることを優先する必要があった。しかもその時、同僚と無人機の距離が近かったから、誤射の危険もあったから、アタシは無人機の後ろを取らなかった」
「どうやってそこから勝ちにつなげたんですか?」
「今日とほぼ一緒。そこでアタシがあえて隙だらけの様子で割り込んで、同僚からアタシに照準を変えた瞬間に急減速して宙返りを決めてやった。これで前後が逆転するんだ。空戦は、追うものが勝つ。アタシと同僚はまんまと無人機をやっつけた、ってことだ。どうもこれはお偉いさんには予想外で、抜本的なAIの改良を行った。そして出来上がったのがヴァルハラシステム。全ての戦闘機動データをまとめて一つのスーパーコンピュータで処理することで、機体も戦場も選ばず、戦果を挙げられるように作られたシステムだ。で、その時使っていたTACネームが、ブリュンヒルドなんだ。いや、この言い方はおかしいな、今でも私のTACネームはブリュンヒルドのままだし」
「あー、無人機の自律戦闘システムの開発に関わってらしたんですね。そりゃ、無線では話せませんね」
適当に相槌をうつ。俺は内心の疑問がとけた。戦闘中にブリュンヒルド、とH-3が言ったのはスポッター1の事らしい。どこかで聞いた名前だ、と思ったのも当たり前だ。ブリーフィングでは、所属部隊を識別する呼び名であるコールサインと、パイロット個人を識別するTACネームを確認するのだ。任務ではコールサインばかり呼ばれるから、忘れていた。
「まあ、ね。で、これは余談だけど、ヴァルハラシステムは機械学習なんだけど、試作の無人機AIはニューロネットワークを使っていたらしいんだ。ここに大きな違いがあるらしい」
「はい?」
話が飛んだ。酔っ払い同士がしゃべっているから脈絡のなさに腹は立たない。俺は無人機の管制システムのことはよく知らない。戦闘機の飛ばし方なら誰よりも分かっている自信があるのだが。
「機械学習は、機械に人間の動作をまねさせるんだ。この話だと、戦闘機の動きだな。で、ニューロネットワークは、パイロットの脳の動きをまねるんだ。戦闘機を動かすパイロットの思考をまねるんだ。だから、狙いやすそうな新たな獲物と、今まで追っていた獲物の間で目移りしてしまう人間の悪癖を、試作AIはまねてしまったんだ。確率的には、今までの獲物を追い続けた方が勝てるのに、だ」
「あー、人間らしい迷い、ってやつですか」
「そうそう。だから、人間とは全く違う発想をする道具が必要だ、とシステム開発陣は考え、パイロットの発想を用いて戦闘機を飛ばす研究をやめて、戦闘機の機動のみを研究するようになったんだ。それとデータリンクが合わさって、ヴァルハラシステムは出来上がった」
「戦闘機動とデータリンク?」
「ヴァルハラシステムは、ノルンの収集した戦闘データを集積する。同時にデータの分析を行い、個々の事象から、普遍的な法則を編み出す。要するに、勝てる戦闘機動をプログラミングする。人間の思考とは全く違う、空を飛び、勝利するために作られた数式に従って」
「……そうですか」
俺はジョッキを傾ける。ビールの苦味がやけに舌に残った。スポッター1の話す内容を乱暴にまとめると、人間は空で戦うのに向いていない、ということだ。
ノルンがノルン同士で空戦機動を極めていけば、空を飛ぶために作られた思考を持つ無人機だけが空を飛ぶ世界が来そうだ。人間は地上の生き物だ。鳥と違って空を飛べる体の作りをしていないから、人間が空を飛ぼうとするなら、飛行機という機械を操る必要がある。しかし、飛行機自体が空を飛ぶ意思を持つなら、人間は空に行く必要がなくなる。
そう考えると、俺は虚空に放り出されたような気がした。俺が物心ついた頃には、旅客機は、全て自動制御になっていた。最近は戦死の可能性から目をそらすために給料のことしか考えていなかった。子どもの頃、俺は空を飛びたかったからパイロットを目指したのだった。人間が空を飛べる仕事は、軍用機、それも戦闘機のみになっていた。
いや、不確定な未来を考えるのはやめよう。考えるべきは次の給料日まで生き残れるかどうかだけだ。俺はジョッキをあける。店員を呼び止め、追加のビールを頼む。スポッター1も残っていた酒を飲み干し、アタシも一杯、と言う。
「データリンクの話をすると、同じ作戦に参加するノルンたちは常時データリンクされているのは知ってるよね?」
「ええ」
無人機用のデータリンクがあるというのは俺も聞いていた。ただ、有人機のデータリンクとは別、という知識しか俺にはない。
「だから、ひどい負け方をして未帰還機多数だとしても、一機でもノルンが基地に戻ってこられれば、戦闘データは全てヴァルハラシステムの中枢のスーパーコンピュータに送れる。つまり、撃墜されたものの経験からも学べるんだ。それに、ノルンは仲間を観察するように作られているから、有人機の機動データもヴァルハラシステムには自動的に入っている。ノルンが居るなら、死んだ奴がどんな動きをしたのか、って事も記録される。どんな死に方をしたのか記録される、っていうのも悪趣味だけど、1種の弔いかもわからんね。全く、ネーミングセンスがあるのかないのかわからなくなる」
「ネーミングセンス?」
「ノルン、っていうのはワルキューレの別名なんだよ。神話のワルキューレは死んだ戦士の魂をヴァルハラに送る。無人機のノルンたちは戦闘機動データをスーパーコンピュータに送る。ヴァルハラでは来るべき最終戦争に備えて戦士の魂は戦闘訓練をしている一方で、スーパーコンピュータはデータを吟味して、明日の戦闘に備える。そっくりじゃあないか」
「確かに。でも、魂とデータじゃ、随分違う気がする」
「そりゃあね。でも、アタシの一部が空を飛び続けるのは間違いないさ。ノルンは、アタシのTACネームを覚えている。それだけで十分さ」
「確かに」
俺には反論のしようがない。それにしても、と俺は思う。スポッター1のTACネーム、ブリュンヒルドとは妙な名前だ。
「そういえば、あなたのTACネーム、随分珍しいですね。何か由来が?」
「あー、ブリュンヒルド? ワルキューレの名前だよ。一説によるとワルキューレは姉妹で、その一番上のワルキューレの名前なんだ。人間の男に裏切られて悲惨な最期を遂げた、って伝説があるから、あまり縁起は良くないんだけどねぇ」
スポッター1は陽気にノルンの自慢話を始める。
「ノルンは凄い。救難無線は国も軍民も関係なく受信しなければならない。だから、どんな飛行機でも救難無線を受信できる態勢になってるんだ。救難無線を使って、ノルンは敵の気を引いたんだ。とんでもない戦士だよ。国際法上の問題はあるかもしれないが、誰もヴァルハラシステムに法律の講義なんてしてない。仕方のないことだ」
スポッター1は追加のビールをあおる。俺もビールをすする。ノルンはとんでもない戦士、とスポッター1は言うが、俺にはそうは思えなかった。
〈This is H-3/ covering Burunhild〉
――お姉様、今助けますね。
あの時、H-3が言いたかったのはそういう事なんじゃないか、と俺は思った。救難無線を使ったのも、自分に出せる精一杯の『助けたい』というニュアンスをスポッター1に伝えたかったのではないか。
スポッター1にそう言ったら、きっと否定されるだろう。ヴァルハラシステムは戦闘用の思考以外行わない。感傷からセリフを吐くことなどない、と。だとしても、敵の気を引くためなら〈こちらH-3、スポッター1を援護する〉と言えばいいだけなのだ。あえてブリュンヒルドと言う必要はない。
スポッター1がノルンを自慢に思うように、ノルンの方もヴァルハラシステム成立の契機となったスポッター1を特別なものとしてカテゴライズしていてもおかしくはないのではないか。
「ノルンを単純に戦士、とくくるのはちょっと納得できないんですよね」
「なんでさ?」
「あの時、俺の隊のノルンは3機いました。残燃料が帰投ギリギリの一方、残弾数が最も多いのがH-1。残弾ゼロだが残燃料が最も多いのがH-3。H-2はどちらもぼちぼち、といった感じでした。ノルンが敵を倒すつもりなら、H-1を敵に向かわせたでしょう。でも、そうしなかった。H-3が囮を引き受けたんです。つまり、全員で帰れる可能性が最も高い選択肢をノルンは選んだんですよ。二兎を追う者は一兎をも得ず、ということわざがある通り、敵があなたとH-3の間で目移りしているうちに、どちらも敵を振り切れる可能性が出てくる。まさかあなたが戦場でクルビットを決めるとは思ってなかったでしょうけど」
「確かに。戦士というより、チームプレイヤー、といった方が近いね」
「神話で、ノルンはワルキューレの別名、でしたよね」
「そうだよ。神話のワルキューレは戦場に介入して、勝たせる戦士と死なせる戦士を決める。だから運命の女神ノルンと同一視されてる」
「なるほど。あなたは死ぬ運命じゃない、とH-3は判断したんですよ。ついでに言うなら、妹が姉を助けないわけがない」
「違いない」
スポッター1は愉快そうに笑う。案外、スポッター1はロマンチストなのかもしれないと俺は思った。それから多少世間話をして、俺とスポッター1は別れた。
翌日、スポッター1と俺が付き合い始めたという噂が整備員の間で大流行したのは別の話である。