上
「では、ブリーフィングを始める」
作戦担当士官が作戦行動の書かれた原稿を読み上げる。ブリーフィングルームに呼ばれたパイロットは、二人だけだ。俺と、小柄な女。TACネームとコールサインの確認は二人分しか行われなかったから間違いない。たったこれだけで作戦行動に当たらなければならないとは、心細くなる。
「今日の作戦行動は、敵航空基地の破壊の前段階として、敵レーダーサイトを叩くことだ」
黒板大の液晶画面に地図が映し出される。今回の目標は西にある孤島だ。それより南に、敵が航空基地を造成した島がある。
魚鱗群島。珊瑚が採れることから富の源泉として昔から奪い合われてきた島々。珊瑚は乱獲でみる影もなくなり、数十年間国境確定は棚上げされていたが、近年海底油田が発見され、領有権問題が再燃した。
お互いに万年資源不足の島国同士、資源に対する切実さと国力がどんぐりの背比べだったおかげで、お互いがお互いに勝ち目を見いだし、ほぼ同時刻に宣戦布告を投げつけあってこの戦争は始まった。
しかし、敵が攻撃と同時に宣戦布告をしてきたのに対して、俺たちの国は攻撃開始準備が整った時点で宣戦布告をした。つまり、一手遅れた。おかげさまで敵はまんまと魚鱗群島に上陸し、航空基地を築いたのみならず、早期警戒用レーダーサイトまで設置した。
今日の俺たちの仕事はレーダーサイトを破壊し、魚鱗群島の攻略を容易にすることだ。目を潰せれば敵の初動は遅くなるし、修復されたとしても敵の資源を浪費させられる。
「今回の作戦は、有人機1機と無人機3機を組み合わせた2部隊が行う。隊長機のみが有人機で、他は無人機だ。無人機は自動攻撃機能があるため、隊長としてレーダーサイト攻撃の指示さえ出せば後は帰投命令さえ出せばいい。以上。何か質問は?」
「はい。改めて確認しますが、今回の無人機は、自律型のものですか? それとも、人間が遠隔操作するものですか?」
女が尋ねる。現在の無人機は軍用ラジコンとでもいうべきオペレーターが遠隔操作しているものと、人工知能を搭載し、自律して飛行と戦闘を行う文字通りの無人機の二つに分かれる。昔は前者の方が多かったが、いまや空軍の飛行機の8割は自律型だ。無人機の8割ではなく、空軍の、だ。
「自律型だ。オペレーターは居ないが安心してくれ。彼らは熟練のパイロットの機動を学習している。状況に応じて最適の行動を取る。他にはないか?」
「ありません」
わざわざ無人機の管制について尋ねるとは妙だな、と俺は思う。女から俺へと向けられた作戦担当士官の視線に、俺は首を振る。士官はパイロットから目をそらし、ディスプレイの画面を切る。
「以上でブリーフィングは終わりだ。速やかに発進準備を整えよ」
「アイ・サー」
俺と女は敬礼し、駆け足でブリーフィングルームを出る。
敵レーダーサイト攻撃任務にあたるのは、俺が率いるハンター隊と女が率いるスポッター隊の2隊だ。
どちらも、有人戦闘機F-201バザード1機と、汎用無人機MQ-304ノルン3機から成る。俺のコールサインはハンター1で、女のコールサインはスポッター1。ついでに言うと、無人機のコールサインはハンター隊がH-1、H-2、H-3で、スポッター隊はS-1、S-2、S-3だ。
俺は無人機たちと同時に離陸し、基地上空で編隊を組み、海面に出るや否やすぐに高度を下げた。そのまま海面を這うように進む。敵に発見されないようにするには、これが一番だ。海面は電波を乱反射する。そのノイズに紛れてしまえば、敵には俺たちが見えない。
バザードもノルンもステルス性を持たせた設計をしているが、今は揃って腹にどでかい対地ミサイル二発を抱えている。ミサイルにはステルス設計が適用されていないため、ミサイルのレーダー反射によって俺たちが忍び寄っている事に気付かれる可能性があるのだ。低空飛行のおかげか、敵が俺たちに攻撃をかけることはなかった。しかし隠れているだけでは勝負は始まらない。ミサイルを放つ時は敵に姿を晒すことになる。しかも、今回はスポッター1の囮役を与えられたため、派手に存在を示さねばならない。その時敵弾が飛んできて、避けられなければ俺は死ぬ。頭を振って悪い想像を振り払う。ひよっこじゃないんだ。避けられる。俺はそう自分に言い聞かせる。
攻撃開始予定時刻ぴったりに、俺は作戦空域に到着した。無線封止を解いてスポッター1に告げる。
「ハンター1、これより攻撃開始」
敵によく見えるよう、アフターバーナーを点火して勢いよくポップアップ。高度を稼ぐ。無人機たちが付いてきているのを確認し、三期の無人機にミサイル発射命令を送信する。自機のレリーズボタンも押し込む。
戦闘機から切り離された空対地ミサイル8発が、猛々しい炎を吹いて地上へと襲いかかる。それらの結末を見届けることなく、俺はチャフと赤外線フレアを身代わりとしてばら撒き、元来た方向へ急降下する。赤外線探知装置やレーダーに捉えやすい高空にいたのだ。相手には、俺がはっきりと見えている。俺がばら撒いたチャフや赤外線フレアに反応し、虚しく敵の地対空ミサイルが上空で火花と無数の破片となって落下していく。相手も必死なのだ、と俺は思う、
敵を破壊するのが、軍人の仕事だ。俺も、敵も。シェフが料理を作って客に出すのと同じように。だが、敵に殺されてやるのは俺の仕事ではない。俺は給料をもらわなければならないのだ。シェフは客が払う料理の代金で生きているのだ。俺も、金が欲しいから仕事をしている。俺の給料は海の上にはない。もっと言うなら、敵の鉛玉やミサイルでもない。
〈スポッター1、これより攻撃開始〉
無線からくぐもった女の声が聞こえる。
俺たちハンター隊が放ったミサイルの迎撃に敵が精一杯になっている間に、スポッターが第2波のミサイルを叩き込む事で、確実に敵レーダーサイトを破壊する作戦だ。データリンクによって、スポッター達が対地ミサイルを発射したことが俺にも知らされる。このまま逃げ帰れば俺たちの仕事は終わりだ。
だが、鋭い警告音がコックピットに響いた。グラスコックピットに映し出されたレーダー画面によれば、敵飛行場から迎撃機。俺はロックオンされている。俺はとっさに機体を急激に旋回させ、射線上から逃れる。大Gが体にかかり、操縦席に押し付けられる。
乱戦が始まった。ハンター隊は敵の射線から逃れるためにチャフや赤外線フレアをばら撒いて逃げに徹する一方、スポッター隊は逆に敵に食らいついていた。
俺は敵機やミサイルを必死に回避する。空戦に考える暇はない。反射的に回避し、攻撃するだけだ。行動を記憶し、言語化する暇はない。一種のゾーン状態で俺は戦うのだ。
正気に戻った時、どんな機動をしたのか手持ちの対空ミサイルを撃ち尽くしていたが、敵機の撃退に成功し、帰投ルートを進んでいた。レーダー画面を見ると、スポッター隊の無人機を表す光の点が一つ残らず消えていた。やられたんだ。なら、隊長機のスポッター1は。俺はグラスコックピットを睨みつける。レーダーの端に、敵機と重なるような位置に俺はスポッター1を見つけた。
肉眼でスポッター1を確認するため、俺は振り返って右下方を見下ろす。スポッター1が敵戦闘機に海面すれすれまで追い詰められていた。まずい。俺は叫んだ。
「逃げろスポッター!」
スポッター1は機体を滑らせて敵弾を避けているが、回避行動のせいでどんどん帰投ルートから外れている。敵機を振り切れたとしても、このままだと燃料切れでスポッターは帰れなくなる。振り切ってくれ。俺の祈りも虚しく、淡々とした女の声を無線は伝える。
〈スポッター1、エンゲージ〉
スポッターは戦う気のようだ。生き残った俺の率いる無人機を援護に向かわせようか。俺は無人機の武装を確認する。いや無駄だ。全機対空ミサイルは使い切っているし、機銃弾も数秒分しか残っていない。敵の基地は俺たちの基地より近い。敵が燃料切れを恐れて引き返すことは、期待できない。
前を向く。グラスコックピットにはスポッターに覆いかぶさるように敵機を示す赤い三角形が表示されている。くそ。あと一発でいい。対空ミサイルがあったら。見えているのに、仲間を助けられないのは本当につらい。いっそのこと神が悪魔に、敵機が突然不調を起こすことでも願おうか。俺がそう思った瞬間、俺の真後ろにいた無人機が突然右旋回し、スポッターに向かいはじめた。H-3。残弾ゼロ。ただし残燃料は俺の率いる無人機のうちで一番多い。H-3は囮になる気だ。俺の背筋を冷たいものが走る。
馬鹿やめろ。俺はH-3に帰投命令を再送信する。受諾、と返事が帰ってくるが、H-3は相変わらずスポッターに向かっている。どうしたんだH-3。熟練のパイロットの機動を学習しているとはいえ、やっぱり機械だ。壊れたのかもしれない。救難無線に突然ノイズが走る。無機的な声がヘルメットの中を流れる。警告音声と同じ女の声。
〈This is H-3/ covering Burunhild〉
「ブリュンヒルド?」
どこかで聞いた名前。誰だろう。俺はキャノピ越しにH-3とスポッターを見ることしかできない。H-3は墜落しているかのように一直線にスポッターの元へ降下する。H-3は敵機とスポッターの間に割り込むと、機速を落とし、まっすぐに飛びはじめた。身代わりになる気だ。でも無駄だ、H-3。敵はお前をすぐに落として、スポッターもやられてしまうだろう。レーダー画面には三機が重なり合って映る。敵機がH-3に向けて発砲。その次の瞬間、水柱があがった。急加速したH-3が水柱を貫き戦域から離脱。そのまま急上昇し、何事も無かったかのように俺の後ろに戻り、最初からそこにいた、といった風にしれっと編隊に加わる。こいつは、援護しようとした仲間からあっさりと離れた。俺は最悪の事態が起きてしまったと感じた。
やられたか、スポッター。助けられなかったか。白い水柱に続いて、ぶすぶすと黒い煙が立ち上る。波間に赤い炎がちらつく。その上を、悠然と一機の戦闘機が飛んでいた。レーダーを確認すると、敵味方不明を表す黄色だった。肉眼で確認しようにも、巻き上げられた海水や煙のもやのせいで、矢じりのような姿しか見えない。俺は機影に向けてIFFを発信する。回答がなければ、奴の次の獲物は、俺だ。無人機を囮に逃げるしかない。
グラスコックピットを注視する。黄色の表示が緑に変わる。IFFに応答。味方――スポッターだ!
「ご無事でしたか!」
〈H-3のおかげで。ハンター1に感謝する。本当にありがとう〉
「いえ、H-3が勝手に……俺は、H-3に帰投命令を送信して、あなたを見捨てさせようとしました。感謝される筋合いなんて、ありません」
〈なるほど……コンピュータは忘れない、というのは本当みたいだ。あの時のアタシの名前を、ばっちり覚えてるんだね、ヴァルハラシステム〉
「ヴァルハラシステム?」
〈機密に触れる長い話になる。敵にこの会話を傍受されていないとも限らない。帰投し、戦果報告を行い、作戦行動を終えたら、当たり障りのないところだけ話すよ〉
「そうですね、迂闊でした。では、帰投後」
俺はスポッター1との通信を切る。入れ替わりに管制塔から着陸についての指示が来る。俺はいつも通り、管制に従って着陸し、空から地上へと戻った。