9-1 準備不足、子供を30人を受け入れるには全てが足りない
前章のあらすじ
ギガスラインを越えて、ネコヒトは恩人シスター・クークルスを助けに向かった。
冒険者の馬車に忍び込み、クークルスの婚姻が明日の朝であることを知ると、予定を変えて夜逃げ屋タルトを頼る。
事情を伝えるとタルトは迷った後に快諾し、結婚式での花嫁誘拐という犯行計画に協力してくれた。
夜が明けて昼になると、タルトの紹介で聖堂の副司祭ホルルトに引き合わされる。
婚姻への憤慨と、現司祭を失脚させるために、副司祭はネコヒトの誘拐に全面協力してくれた。
誓いの口付けのタイミングで、ネコヒトがステンドグラスを破って式場に突入する。そこで新郎サラサール王子のメンツを潰し、シスター・クークルスを無理矢理連れ去った。
その後、地下水道を経由してレゥムの街を脱走。モンスターの出る南部の森へと逃げ込む。
しかしそこに追撃者が現れる。サラサール王子は魔軍穏健派と通じており、カエル魔族のロッグを己の欲望のために借りていたのだった。
全ては人を獣に変えるロッグの魔力を使って、見飽きた花嫁を美味しく食べるために。
ネコヒトはその最悪の刺客を間一髪で討ち取り、クークルスをギガスラインを越えて蒼化病の里に連れ去った。
里では代表のリセリが、大地の傷跡という安全な新天地があることを仲間に公表した。それでも移住を迷う者たちを説得するために、自分が本当に安全な土地かどうか見定めたいと、ベレトに同行することを決める。
こうしてネコヒトは盲目の蒼化病患者リセリと、シスター・クークルスを大地の傷痕に連れ帰った。
パティアは心待ちにしていたリセリを歓迎すると共に、クークルスという街の女に幼い対抗心を剥き出しにするのだった。
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蒼化病の里が終わる日
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9-1 準備不足、子供を30人を受け入れるには全てが足りない
わたしは今日、生まれて初めて知りました。
寝るべきときに眠れないという状態異常に陥ると、これがとてつもなく暇で、過ごし方として中途半端で、やるせない泥沼に気分が飲み込まれてゆくものなのだと。
こんな苦悶を味わうことになったネコヒトは、きっとわたし以外にそうそういないに違いないと。つれづれと、そこはかとなく……。
盲目のリセリと、シスター・クークルスの楽しい歓迎パーティが終わると、パティアたちは己の持ち場に戻っていきました。
リセリとクークルスが旅の疲れにうとうとと、気持ちよさそうに船をこぎだしたのがそのきっかけです。
わたしも一緒に眠ろうとしましたが無理でした。そこで眠れぬネコヒトはこうして狩りに出たわけです。
けれどこれはこれで都合が良いのかもしれない。
全て子供とはいえ30人がここに来るのです。その30人を養うのは生半可ではありません。
特に食糧の方が問題です。なまけ者のネコヒトにだって、今のうちに備蓄しておかなければまずいことになる、そのくらいはわかります。
「異常な意識の冴え、疲労しない肉体、これ……いつまで続くんでしょうかね。はぁ、まったく困り果ててしまいますよ……」
これまで散々惰眠をむさぼってきたのだから、これからはその分だけ働けという、亡き魔王様の思し召しでしょうか……。
ですけど魔王様、言いたくありませんが、あなただってずいぶん……。
「魔王様……わたし、正しいことをしているんでしょうかね。何が正しいのかすら、もうわたしには……」
やはり気がおかしくなっている。とにかく眠気が来るまで狩りを続けよう。疲れたらきっと眠れるはず……。
東西南北全ての方角におもむき、機械的に獣の命を狩り取り、その肉や毛皮、魔物素材を広場で待つリックやバーニィに手渡す。
これを果てしなく、いつまでも、日没を迎えても晩ご飯すら忘れて、わたしは狩猟者としての活動を続けました。
やっぱりどうかしていたんです。強い覚醒状態が、わたしという生物のあり方を一時的に変えていたのかもしれません。
「あ。今、疲れていますねわたし。それにだるいこの感覚……ああ、眠気とはなんと甘美なる祝福だったのでしょうか……」
ようやく眠気が来たのは、日付をまたいでの深夜となっておりました。
狩猟をそこで中断して、帰還がてらの採集も止めて真っ直ぐに城へと戻りました。
獲物の運搬に使っていたアンチグラビティを一時的に発動させて、城門前広場からバルコニーに飛び移り、倉庫に狩った獲物を投げ込むといつもの寝床に向かった。
「すぅすぅ……。へへへ……リセリ、おねーたん……すきー……。むにゅぅ……」
残念ながらいつもの場所はリセリに占領されていた。
肌の蒼い少女を恐れもせず、パティアがそれに隣り合って寝そべっている。
身体の正面と正面を向け合って仲睦まじく、まるで歳の離れた姉妹のように。
皮膚病を恐れるのは動物の本能と言っていい。うちの娘はそれを自然体で乗り越えていた。それが少し、親として誇らしいです。
ふかふかのネコヒトは身を反転させて、皆の寝顔を確認した後にバーニィの隣を寝場所に選びました。なにせ彼、起きておりましたので。
同様にリックもまた武人、侵入者に鋭敏です。わたしの感覚がまだ衰えていないならば、聞き耳を立てて寝たふりをしているようでした。
「おかえり。柄にもなく張り切ってたみてぇじゃねぇか、パティ公がずいぶん寂しがってたぜ、ネコヒト」
「起こしてしまってすみませんね。いえ久々に調子が良かったもので。ようやくこうして眠気と疲れが来てくれましたよ」
リセリとクークルスを迎えましたし、わたしなんかいなくても平気だろうと思いこんでいました。けれどそうではなかったらしい。
「つくづく300歳の爺様とは思えねぇな……」
「それなのですけど、これはきっと反動です。レベルⅣスリープ、この術はわたしの眠気を対象に押し着せる形で発動します」
「へぇ、そりゃアンタらしい魔法もあったもんだ」
「はい、わたしは結婚式場で、100を超える賓客と兵をこの術で寝かせました。恐らくその結果が、この長い不眠状態だったのでしょう。もしかしたらこれは相手を寝かせる術ではなく、わたしを覚醒させる術なのかもしれません」
仮にわたしの眠気を1人に1時間ずつ押し着せたとすると、それは100時間という長大な数字に変わります。約4日です。
この術は魔力の代わりにわたしの無尽蔵の眠気を使うので、発動し放題というメリットがある反面、恐ろしい反動があるのだと今日痛感することになりました。
「普段あんだけ寝てんだ、4日くらい寝なくたっていいだろ」
「バーニィ、他人事だからってそんないい加減な言い方はないでしょう。こっちは気がおかしくなる一歩手前でしたよ……」
「ははは、ならここだけの話な、まるで別人みたいに見えたわ。普段のアンタがパティアに飼い慣らされた家猫なら、今日の昼間のアンタは魔族らしい魔族ネコヒトをしてたぜ」
「それはまた嫌みったらしい喩えですこと。わたしは誰にも飼われたことも……ありませんよ」
「ぉぉ? なあ、今言いよどんだか?」
「知りませんね」
ただ一度だけ、心当たりがないこともない。
わたしは魔王様に愛されていました。魔族の一員としてではなく、かわいい猫の1匹として。
「ま、そのおかげで倉庫は肉と毛皮でギッチギチだ、助かった。だがよ、それでもまだまだ足りねぇな。ガキどもが来たら、あんだけの肉の山もあっという間に骨だけになっちまう」
「30人ですからね、対して大人は4人しかいません」
それでもあちらの痩せた子らにとっては天国のような環境です。
命を掛け金にして森で食料をかき集めながら、腹を空かせていつ来るかもわからない支援を待つ生活をしているのですから。
「どうしたもんかな、何もかもが足りねぇし間に合う気がしねぇ。あ、だが畑のカブがそろそろ収穫できそうだぜ、ホーリックスちゃんがどう使いこなしてくれるか楽しみだな、ネコヒト」
「……そんな期待するな、期待されるとやりにくい」
やはり起きていた。彼女のクールな声がバーニィが勝手に上げてしまったハードルを元の位置に戻す。
「ふふふ……私はバーニィさんの気持ちがわかりますよ。お料理、リックさんに教わりたいくらいですから。今から朝食が待ち遠しいです」
起きていたのか、それとも起こしてしまったのか、シスター・クークルスまでその会話に加わりました。
はい、わたしも朝食が待ち遠しいです。森で得た果実程度ではやはり足りません。
ようやくうとうととしてきたのに、そのせいでまた目が覚めてきてしまいました。
「貴女までおだてるな……。まったく、変なシスターだ……」
「逆に考えましょうリック。そういう方だからこそ、今この場所にいるのです」
「そりゃそうだ。昼間にも言ったがこれからは俺たちも仲間だ。来てすぐで悪いけどよ、子供らの受け入れのためにがんばっていこうぜ」
夜の古城に私たちの言葉がポツリポツリと響いてゆく。
パティアとリセリの微笑ましい安眠を破ってしまわないか、そこだけが気がかりです。ですから皆、声の大きさにとても気を使っていました。
「仲間……何度聞いても良い響きですね。明日からは私も本格的にがんばりますので、色々教えて下さいねバーニィさん、ホーリックスさん」
まばらながらも言葉が絶えることなく行き来してゆく。
眠気はあるが話し足りない、ある種の興奮状態が起きている者たちに続きの言葉をつむがせた。
深夜の世界は寝返りの物音すら冴え渡り、ときおり夜鳥たちが妖しい鳴き声を上げる。
シスター・クークルスは社交的で、誰が相手でも態度を変えない人です。知らぬうちにすっかり、バーニィとリックとも打ち解けているようでした。
「すみませんが皆さん、こんな真夜中に起こしておいてなんですが……、お先に眠ります。では、おやすみ……」
寝ると決めたらわたしの耳に届くものなどない。
実に約36時間ぶりのやすらぎがネコヒトを包み込み、夢すら見ることのない深き安眠に誘っていきました。
クークルスとリセリには悪いですが、しばらく忙しくなります。
受け入れるからには、ひもじかったり、帰りたくなったり、不便な思いをさせたくないのです。
怠惰で日和見主義のわたしがこんな感情を抱くなんて、本当のベレトートルートを知るリックはきっと意外に思っているでしょう。
メギドフレイムの白き炎がキラキラと深夜の部屋の壁を照らして、冷え込んでいく世界をやさしく暖めてくれていました。
ここは安住の地です。誰にも見つかってはならない者が生きられる最後の土地です。
蒼化病の子供たちは、そういった意味ではパティアとバーニィ、リックにとても近い。もちろんわたしにも。
既に人間に捨てられたも同然の子供たちを、仲間としてここに招き入れる。
それは行いとして間違っていない。自己満足から始まるボランティアでもない。
同じ立場の者をただ救いたいのです、わたしたちは。