8-8 シスター・クークルスと蒼化病の子供たち
シスター・クークルスを抱えて、要塞ギガスラインを上り、絶景を楽しむ間もなく魔界側に抜けました。
まだ明るさが残っていた頃ですので急ぎたく、よってそれはあっという間の出来事でした。
「ふふふっ……本当に、魔族のネコヒトさんにさらわれてしまったんですね、私♪」
ですがクークルス本人はそのわずかばかりのひとときを、ずいぶん気に入ってくれたらしい。
魔界側に連れ去られたというのに、のんきにそんなことを言っていました。
それからギガスラインを離れてアンチグラビティとハイドの術を解除し、森を西に進みました。
蒼化病の里には一度行ったことがありますから、あとは300年がけの土地勘でどうにかしました。
「ネコさんって、ビックリするほどお強いんですね。こんな方に助けていただけたなんて、やっぱり私はついているのかしら……。男運はないですけど、獣運があるなら私はそれでいいかもしれません」
「わたし、獣枠なんですか? まあ男と主張するほど若くありませんが」
モンスターの徘徊する森をクークルスは驚きながらも、観光気分で付いてきてくれました。
回復魔法が使えると自慢していました。が、出番はありませんでした、わたし回避タイプですので。
魔界側に進むと夜が近づきます。
昼間がそれだけ少なくなり、暗くなってゆくのです。進んで進んで、東の空すらすっかり真っ暗闇に包まれた頃、わたしたちは蒼化病の里に到着しました。
「嘘……想像していたものと、違います……。こんな酷い、酷いです……あれが病棟、あれじゃ、魔界の森に捨てたも同然ではないですか……」
「ええ、さながら人間の闇そのものとでも言いましょうかね。正気を疑います」
彼女が心を痛めるのははなからわかっていた。
遠くから里の姿を目撃するなり、しばらく立ちすくんでしまっていた。
クークルスが悪いわけではない。そうだとしても、そうは考えない人だったので、わたしは紳士に徹して彼女の手を引いて里に招いた。
蒼化病の里はいつ見たって、存続できているのが奇跡としか言いようがありませんでした。
「あ、エレクトラムさん!」
「わぁぁぁっ、ねこさんだぁーっ!!」
「あれ、綺麗なお姉さんもいるよー?」
初めて来た頃とはあべこべです。
蒼い肌の子供たちが駆けてきて、すぐにわたしたちを取り囲みました。
食べ物を期待されているとすると、わたしらしくもなく申し訳なくなります。
「すみません、今回は物資の運び屋ではなく、別の用件で来たのです」
もう夜です、歳の低い子供たちは寝ている頃でした。
緑髪の綺麗なお姉さんの方はさっきから口を閉ざしています。レゥムの街の住民として、罪悪感を抱いているようでした。
「エレクトラムさん……?」
「うお、マジだ、いきなり現れるからよ、こっちはびっくりしたよぉ」
しばらくすると最年長のリセリとイケメンのジョグが遅れて広場に現れました。彼らはクークルスの存在に気づきます。
「あの、女の人を連れているんですか……? いえ、いい匂いがするものですから……」
「緑の髪の、品のいいお姉さんがいるよぉ。クンクン……確かに何かいい匂いするなぁ」
ジョグとリセリは仲良くやっているようです、代わりにクークルスの容姿を伝えてやるくらいには。
「わたしはクークルス・ドゥーアン。レゥムの街でシスターをしておりました。今は、今はそうですね……ふふっ、今はエレクトラムさんの花嫁かしら♪」
「え……ええええーっ?!」
「お、お嫁さんなんですか……っ!」
その冗談を冗談だとわかる者は里にいませんでした。
ジョグまでワイルドオーク面にしわを寄せて、ぶったまげておりました。
「その格好で言われると冗談になってませんよ、シスター・クークルス」
「うふふふ……なんだかちょっと良い気分だったかもしれません♪ ごめんなさい皆さん、冗談でした♪」
しかし泥まみれのウェディングドレスと、ネコヒト、この図がまたさらなる誤解を生みそうです。さらって来たのではないかと。いえ、さらってきたんでした。
「なんだよー、人間とネコ人間のカップルとかさー、面白いと俺おもったのになー!」
「わかるー! ねえねえっ、かけおち、かけおちなの!?」
「おいおめぇら! あんまエレクトラムさんを、困らせるんじゃねぇよ。あ、おいらはジョグ、こっちの子が里の代表のリセリだよ。あ、おいらこんななりだからよ、もし脅かしてたんならすまねぇ……」
クークルスは最初ジョグの姿に少しだけ驚いていました。
当たり前のように里へととけ込んでいることから、すぐに善良な男だとわかってくれたようです。
まあヘコヘコと頭を低くして、その後ろに手を当てて、相手を気づかうその姿が魔族らしいかといえば、ほど遠い。
「わたしたちの用件はわかっていますね、説得は済みましたかリセリさん?」
「それは……すみません、実はまだ一部の子に出来ていません……。あ、ここにいる子たちはみんな知ってます」
「そうですか。シスター・クークルス、実はですね。わたしたちはここの子らを、うちの里で受け入れるつもりなのです」
それだけでクークルスの口元に笑顔が浮かびました。
心やさしい人はいつだって他人の不幸に共感し過ぎてしまいます。まるで自分のことのように喜びだしていました。
「それは素晴らしいことです、私賛成です、お願いですっ、私にもぜひ協力させて下さい! あ、手始めに私が説得を……!」
「すみませんクークルスさん、それは私が自分でやります。みんなを起こしてきて、大事な話があるから……」
わたしは賛成です、今がちょうど良い機会です。
やがて広場に住民の全てが集まると、リセリが隠していた誘いを公にしました。
「みんな聞いて! エレクトラムさんは、ここより安全な外の世界から来たの! そこに行けば大丈夫、誰にも殺されることもないし、虐められることもない! モンスターに狙われることもない、ジョグさんと一緒に、これからもずっとみんな一緒に暮らせるの……! もう誰も欠けずに済むの……!」
もしここに残ろうものなら、もはや死が約束されたようなものです。
それだけあってリセリの主張は切実でした。
「皆さんのご両親との手紙のやり取りは、これまでより少しだけ難しくなります。ですがその代わりに、移民の誘いを持ちかけようかと考えております。約束は出来ませんが、もしかしたら元の家族とまた暮らせるかもしれませんよ。ここでの暮らしを続けて死んでいくよりも、わたしたちの里で生き繋いでみてはどうでしょうか」
当然そこには様々な事情の子がいました。
親にまだ愛されている子もいれば、完全に見捨てられている子も。
全体的に見れば大半が誘いに肯定的でした。けれども住む場所を変えるには勇気がいます。
今すぐ行くぞという流れには、わかっていましたがならないみたいでした。
「っ……なら私が行ってくる……! みんなの代わりに私が見てくるよ! 目は見えないけど、残りの感覚でわかる、悪い人がいないかどうか私が見てくるから! ジョグさん、みんなをお願い……」
リセリとしては仲間が欠けるなんてあり得ない、そこで自ら視察に行くと言い出しました。
「お、おい……平気かぁリセリ? 何か、心配だぞおいら……ご、ご迷惑かからねぇかな……?」
「別に構いませんよ。そうでしょう、シスター・クークルス」
「はい……とても立派だと思います。ネコさんの里は良いところですよ、私行ったことありませんけどわかります。ネコさん、いつだって里の仲間のためにレゥムの街に現れるんですから……」
話は最終的にリセリを派遣するという形でまとまりました。
リセリという予定にないおみやげを連れて、私は己の安住の地へと盲目の乙女と、聖堂の淑女を誘い行くのでした。
大地の傷痕、その新天地に期待を込めた、里の子供たちの見送りを受けながら。




