8-3 さよなら王子様、ネコヒトとの愛の逃避行
そうこうしてシスター・クークルス誘拐計画、決行直前となりました。
身軽さを活かしてわたしは聖堂の屋根に登り、眠気をこらえながらそこで合図を待っておりました。
合図が来たら屋上に固定したロープを使って降下し、ステンドグラスを蹴り破って内部に突入します。
ネコヒトは落下に強い。高さを利用して獲物を掌握するという今回のミッションは、わたしの得意とする作戦傾向でした。
「さてさて……」
やっと合図が来ました。
敷地の林側より、光の照明魔法がわたしに向かってチカチカと放たれました。
3回光ったら突入準備に入れ、もう3回光ったら突入しろ。
後者の光もわたしに届いたので、指令通りにネコヒトが降下を開始した。
「では誓いの口づけを」
ステンドグラスの向こう側で言葉が聞こえました。残念ですがそうはさせません。
ステンドグラス、綺麗なこれをただ作るだけで莫大な金が蒸発します。
その文化と英知と職人の努力の塊を、わたしは遠心力を利用した蹴りで粉々にぶち破り、空中で魔導書とレイピアを取り出して花嫁と新郎の前にドンと着地しました。
「きゃぁぁぁっ、えっあなた、誰っ?! あ、あら……っ?」
「な、なななっ、何だぁ貴様はぁッッ?! まさか暗殺者……こ、殺せ、このチビ野郎を殺せ!!」
サラサール王子はシスター・クークルスとの口付け、その直前に押し入られた。
だというのに嫁を守ろうともせず捨て逃げて、今も自分だけ下がろうとしていました。
「ご機嫌よう、美しき花嫁クークルス。ついでに根性無しのサラサール王子、僭越ながら花嫁はこのわたしがいただきます、これだけの美女、人間にはもったいない……」
そうするとおっさん王子が己の間違いに気づいた。
そうです最初からあなたなんて狙ってません。殺す気だったらあなたもう死んでます。
サラサール王子は色黒のおじさんで、白のタキシードのお腹がちょっとだらしなく膨らんでいました。顔つきが気に入らない、陰鬱な顔をするタイプです。
「目当ては俺の嫁かっ! はははっ、だが貴様ごときがここから逃げられると思って――ぐっ、ぎゃっ、やっ、痛ァァァッッ?!」
「あなたは黙っていて下さい」
どこからどう見ても悪党の顔をしていた。言質もどことなく高慢、気に入らないのでレイピアで右肩、左腕、左ふともも、右足首を神速で突いてやった。
「王子ッ、おのれ賊め、ここから生きて帰れると思うなよ!!」
たったそれだけで、肥満体型の老けた王子様が地に崩れる。
死にはしませんけど、しばらくこれで身動きも悪いことも出来なくなるでしょう。
「えっええっ、ま、まさか貴方っ、エレ……貴方、なのですか……っ?」
「はい、宣言を撤回しにきました、わたしは結婚に反対です、この男の妻になることは、死を意味する、よってあなたをこれより誘拐いたします」
汚い血をレイピアから払いそれを一端鞘へと納めると、直属の近衛兵たちがサラサールに飛びつき引きずるように連れ去った。
同時に残りの兵がわたしに飛びかかってくる。わざと隙を見せただけだというのに。
ナコトの書を開いてわたしは力強く叫んだ。
「スリープ! スリープ! スリープ! 愚か者を守る者共よ、わたしの代わりに眠りなさい!」
効果範囲を広げたものを3方向に放った。
範囲のせいかさすがに即効性とはいかないようだったが、すぐにグラリグラリと会場の賓客、聖職者、近衛兵たちが揺れ始める。飛びかかってきたやつはすぐさま膝を突いていた。
魔法耐性の低い者から、一般人から順番に床や座席に倒れ込み、次々と意識を失ってゆく。
アンチグラビティの陰に隠れていて今日まで地味だったが、これはまたとんでもない力です。強制的に寝かせて戦闘終了にしてしまえるのだから。
いやそれだけではない。かけた対象の数だけ、わたしの意識は強く覚醒した。200人近い賓客と軍人に使うとそれは強烈な感覚です。
「な、なにを、した……こんな、高位の魔法を……。ま、さか、高位、魔、族……」
現司祭は最後まで抵抗したが無駄だった、仮面に隠された小柄な謎の男を驚き睨みながらも、祭壇に前のめりになって崩れていった。
サラサールとクークルス、副司祭ら目撃者役を残して、他の全てを眠りの世界に封じ込めた。眠りは眠りでも、見る夢は悪夢確定でしょうけどね。
「お前たち、起きろ、何をしているっ! うっうっ……痛い、動けない……貴様ッ、俺は次期国王だぞッ、うぐぅっ……?!!」
サラサールを無視してわたしはクークルスの手を引きました。逃げようという意図を伝えるためにまずはひかえめに。
「待って下さいっ、私、もう逃げるつもりはありません……。全部、わかった上でここにいるんです……。どうか、わたしを捨てて、貴方だけでも逃げて下さい……お願い、逃げて……もういいんです……」
わたしの恩人ともあろう者が悲痛な叫びを上げた。
全て理解した上で犠牲になるという。後宮に入れられ、飽きられた後はハーレムの中でいじめ殺される運命を受け入れるという。
「わかりました、ではわたしはあなたを力ずくで略奪することにします。ご機嫌よう、愚かな人間ども、美しき美姫はいただいていきますよ」
書のページをめくり、アンチグラビティを発動させました。
続いて書をしまい込み、わたしはクークルスを一方的に抱き上げる。
「きゃっ……えっえっ、私の話ちゃんと聞いてましたか?! それにあのっ、あのっ、これってお姫様抱っこ、というものであって……うぅぅぅっ、この歳でこれは、これは恥ずかしいです……っ!!」
「我慢されて下さい」
2人で走るよりこっちの方が断然速い。なるほどパティアより重い、これが人間の女性の重さか。
「我が妻をどうするつもりだ……! そいつは俺の獲物だ、絶対に、絶対に渡さんぞっ! その頬は俺の……俺の物だ、地獄の果まで追いかけて必ず、殺すぞ貴様ァァッッ!!」
クークルスと同世代の若者が言ったのなら、だいぶ印象が変わったかもしれません。
さあ逃げましょう、逃避行の始まりです。
「こうなったら……ヤツだ、ヤツを呼べ、あの野郎を! 絶対に逃がさんぞッ仮面のチビ野郎めェェェーッッ!!」
「ところでシスター、せっかくさらわれるのですし、サラサールに何か別れの言葉はございますか?」
王子は惨めに地にはいつくばって憎悪を私に向けていた。
彼のような立場からすれば、こんな仕打ちは初めてだろう。
「え、ええっと……そ、そうですね……。ごめんなさいサラサール様、どうやら私、さらわれてしまうみたいです……。えーっと、そうですね、今日まで、たくさんのご寄付、ありがとうございました♪ ……わっ?!」
ステンドグラスをぶち破った上に王子様のピンチです、新手が現れた。
現司祭失脚のためのパフォーマンスはこんなところで十分でしょう。
「サラサール王子が!! おのれ賊め、な、なぁぁーっ?!!」
わたしはクークルスを抱き上げたまま、その追っ手の頭上を飛び越え、予定していた西への退路をひた走った。邪魔そうなやつらは寝かせつつ。
不思議です、わたしの感覚は超人的に冴え渡り、まるで現役時代を取り戻したかのような加速感を味わっていました。




