8-1 消えたネコヒトは恩人を助けに行く - 種明かしと悪巧み -
残されたのはわたしと女親分のタルトだけです。
「夜逃げするって言ったって家財道具がいるだろ……。親の形見だったり、どうしても運び出したい物は誰にだってある。それに売った方が早い物だってあるからね、依頼人に代わってうちじゃそれをやるのさ」
「それはまた、想像しただけでも大変な商売ですね……」
タルトがわたしを奥に手招いた。ついてこいという意味らしいです。
赤毛のなびく背中を追い、骨董屋の店舗部分を抜けて店の2階に導かれました。
「そこにかけなよ、話を聞こうじゃないか」
2階は集会所と休憩スペースが一体化した妙な場所でした。
部屋はここ1つだけで、ベッドや調理場などの生活空間に、男衆が集まるための机と丸イスが並んでいる。
ならこの女のプライベートはどこにあるのだろうかと、疑いたくなるような変な家だったのです。
「結婚式は今日だよ。今日の昼頃だ」
「そうらしいですね、いえお酒は結構です」
わたしがテーブルに腰掛けて辺りを見回していると、タルトが火酒とクリスタルのショットグラスを置きました。
どうやらあの砂時計は使わないらしい。もしかして歓迎されているということでしょうか。
「どうせ夜が明ければアンタは外を動けない、飲みなよ」
「強引な人ですね、バーニィの昔なじみというのも納得ですよ」
断ったのにショットグラスに火酒が注がれた。
蒸留された酒です、酒気が強いのでそれだけ値段が張ります。仕方ないので一杯だけあおりました。
「誘導尋問かい? あのバカはここ旧市街の出身さ。そのときからの悪い付き合いさね」
「そんなつもりで言ったのではありませんが、薄々そんな気はしていました。おふたりはずいぶんと仲がよろしかったようで……」
グラスを空にしてしまうと2杯目を注がれる。
だからタルトから遠いところにわざと滑らせて、他に注意をそらすために今さらわたしはフードを下ろしました。
「アンタってさ、不思議なやつだね……。あたいらのわがままを聞いてくれたり、バーニィのバカをかくまったりさ……。少なくともあたいの知る魔族らしくないさね」
「わたしは変わり者ですからね。それはそうと夜逃げ屋タルト、シスター・クークルスの居場所を探れませんか?」
「それは小便するより簡単だけど、一体どうするつもりだい?」
「はい、誘拐するつもりでここに来ました。バーニィの言葉を信じると、サラサールはとてもまずい男らしいので、いっそクークルスをこちらの世界へご招待しようかと」
話が気に入ったのかタルトが片方の口元だけで笑う。
それから笑みを消して、代わりにその片方の歯を食いしばらせて酒を一気にあおった。
それだけに飽きたらず不機嫌に火酒の酒瓶の底をわたしに向ける。
「ああ、サラサールは最低のクズ野郎だよ、あたいだって同じ意見さ。……ありがとよ」
酒を注いでくれというストレートな意思表示です、それにわたしは逆らう理由もなく従った。
口調どころか嗜好、態度に髪色まで、全ての面で店主タルトは気が強い。
「いえいえ……」
「バーニィが嫌悪するのも当然さ、アイツの作戦ミスが騎士ゴライアスを殺したんだ。無謀な陽動を命令されてね、結局何にもならなかった、あんなの忠臣の末路じゃないよ」
「つまりあなたから見ても、誘拐は間違っていないと?」
「そうさね……」
懐から小さな金の砂時計が取り出されて、テーブルに音を立てて置かれる。
興奮か酒か頬を赤くしたタルトが、頬杖ついてそれを眺め、思慮していた。
金砂の全てが流れ落ちるとその顔が上がってゆく。
「相手は王族、次期国王、そして現王はもう老齢、サラサール王子はブッチギリでヤバい相手さね……」
「それはまた、超大物に見初められてしまったものですね、彼女も」
よりにもよってあんなにやさしいクークルスが選ばれてしまうなんて、何と理不尽なことでしょうか。
こうなればもう運が無かったと、割り切るしかなかったでしょう。
「けど、リセリに良くしてくれたアンタを、このまま追い出すのも仁義に反する」
「ああ、その話なのですがお伝えしたいことがあります。わたしたちはあの蒼化病患者を、移民として受け入れることにしました」
些細なことです、さらりとそう伝えるとタルトの瞳が大きく広がりました。
少しだけ、姉御さんらしくもなく潤んだようにも見えなくもない。勘違いでなければ感動と安堵も見えた。
「アンタら、いいのかい……? あの子たちを受け入れるってことは……不利をこうむるってことだよ……?」
「全部理解した上で決めました、バーニィもヤケクソで同意してくれましたよ、元騎士として見捨てられないと」
「はんっ、その姿が目に浮かぶよ」
タルトはまた思慮を始めた。
今度のものは取り止めもないものなのか、砂時計は置かなかった。
「問題は方法と時間だね。あと4時間もすれば夜が明ける、サラサール王子の別荘を探し当てたところで、すぐに朝だよ」
「ええ……こんなことなら、昼寝なんてするべきではありませんでしたよ」
「結婚式が終わった後は、サラサールがシスターさんを都に連れ帰る。そうなっちまえばもうおしまいさ。ハネムーンの後に離宮に連れ込まれて出れやしない、遺体とならない限りね……」
「わたしが余計なことを言わなかったら、こうも早く彼女は決断しませんでした。わたしのせいだなんて軟弱なことは言いませんが、どうにかしたいのです」
すると赤毛のタルトが荒っぽく立ち上がりました。頼もしい眼差しです、女だというのに慕われてる理由がわかりました。
「夜明けまでにあたいが居場所を突き止めるよ」
「……いえ、やっぱり少し待って下さい」
「なんだいっ、ああだこうだやってる暇はないよっ!」
「質問です。クークルスにも親族、関係者、親しい者がいる。もし彼女が別荘地より姿を消したら、彼らはどうなるのでしょうか?」
タルトはそのことを理解していたのかもしれない、あまり動じたようには見えない。
ただ胸くそ悪そうに舌打ちした。
「良いところ村八分、場合によっては腹いせに……殺される可能性もないこともない。瀬戸際で逃げて、次期国王サラサールの顔を潰したんだからね」
「そうなると、わたしが別荘に押し掛けても、彼女は首を縦に振らないでしょうね。自己犠牲を選ぶタイプです」
親しい者に害が及べばわたしは憎まれてしまいますし、そもそもそれじゃ恩返しにならない。
……ならば仕方ありません。
「結婚式のスケジュールと、聖堂の間取り図、それと仮面を手配して下さい」
「なっ、なんだいそれはっ?! まさかアンタ……ッ、王族の結婚式を襲うつもりかい?!」
「はい、悪党に誘拐されたことになれば、クークルスの周囲の者は傷つきません。大丈夫です、わたし、アンチグラビティの他にもう1つ隠し玉を持っているのです」
わたしはナコトの書を取り出して大判に変えました。
酒の染み着いたテーブルにそれを置き、ページを開きました。
アンチグラビティ、それからスリープの術を紹介します。これがわたしの使える奥の手だと。
「驚いたよ……だけど、なるほどね、これならいけるかもしれない。アンチグラビティを利用した逃走力と、スリープの制圧力……。ふんっ、悪くないじゃないか……」
しかしその時でした。急に荒っぽい夜風が流れ込み、書のページがめくれてしまいました。
ですがそこから先は空白のページ、だったはずなのですけど、書としてみすぼらしい結果にはなりませんでした。
続きのページに、あるはずのないかすれた文字と、挿し絵が浮かんでいたからです。
「なんだいこれは?」
「はて……ここから先のページは真っ白だったはずなのですが、おかしいですね……」
まともに読めたものではない。
術の名前は【××ィー×】だそうだ、これでは読解など不可能です。
「ふーんそうかい、ならしばらく経てばちゃんと読めるようになるんじゃないかい?」
「なるほど、ページが生まれかかっている、という解釈ですか」
つくづく正体不明の書でした。
もしかしたらパティアの書にもページが増えていたりするのでしょうか。これは帰ったら確認しませんと。
「謝礼は必ずします、よろしければクークルスの夜逃げ――いえ誘拐を手伝ってくれませんか、タルト」
「何だい、今さらよそよそしいこと言うんじゃないよ! 聖堂にもうちの協力者がいるからね、今からやれること全部やって、朝になったら戻るよ。ああ、謝礼はいらないよ、ただリセリを幸せにしてやってくれたら、それでいい、勝手に信じるからねエレクトラム・ベル」
「もちろんお約束しましょう」
わたしの見送りを断って、タルトは矢のように夜の旧市街に消えました。
ならわたしは時間まで惰眠を――むさぼりたいところを我慢して、部屋の片隅にある本棚に歩み寄り、説話集を手に取りました。
わたしのスリープは、わたしの眠気を押し付ける形で作用します。
よって寝て満足してしまっては仕損じる可能があったのです。
●◎(ΦωΦ)◎●
夜逃げ屋タルトは約束通りの品を届けてくれました。
レゥム大聖堂の見取り図、結婚式のスケジュール、不気味な無表情の白仮面を用意してくれたのです。
しかしタルトは暗躍のプロ、求められた成果以上の仕事をこなす。
さらには誘拐計画に賛同する内部の協力者まで、彼女が調達してきてくれたのでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
一方その頃、パティアは――
深夜遅く、変な寝言を漏らしていたそうです。
「パティア、おねえちゃんに……なるんだぞ……。いっぱい、まほー、おべんきょして……おっぱい、でっかくなる……。もみもみ、へへ、へへへ……」
「う、うぅ……はっはぅっ、あっああっ……。くっ、くぅん……」
その晩も寝ぼけながら牛魔族リックの胸をもみしだき、バーニィを眠れなくさせたそうです。
「パティ公め、なんてだらしねぇ寝顔してやがる……。はぁ……無事に戻ってこいよ、ネコヒト。顔洗ってくっか……」
「あっあんっ、あんっ、やぁん……っ」
「ぐへへへへぇ……♪」
寝れるかバカ野郎……だそうですよ。




