42-3 ご注文は? - 赤いやつです -
何かの気配に目覚めると、そこに今回のわたしの旅の目的が立っていました。
彼女はふてぶてしくも人のベッドで眠る客人に、いつも通りの不機嫌そうな目を向けています。
『あたいのベッドで寝て無事な男はアンタだけだよ』とでも言いたそうな目つきでした。
「思ったより遅かったですね。今どれくらいですか?」
「昼前さね。それで、今日は何が欲しいんだい?」
赤毛のタルトを訪ねるときはいつだって夜で、だいたいわたしからの不意打ちでした。
夜はくすんで見えるその髪も、昼間はまるで燃える炎のようです。
わたしは寝ぼけまなこで顔を洗い、彼女の質問をぼんやりと反すうしました。
「フフ……何が欲しい、ですか」
「なんだいその顔は……。またろくでもないこと言い出すんじゃないだろうね……?」
彼女が疑いの目を向けてきます。
さて、どこからこの動かぬ山を動かしたものやら、最初の切り口が重要になるでしょう。
「なんとか言いなよ」
「すみません、色々と考えるところがありまして。ですが、決して悪い話ではないはずです」
「そうかい。……それはそうとアンタ、その後の調子はどうなんだい?」
そう言いながらタルトはワインをグラスへと注いで、わたしを誘うように手招いてからイスへと腰掛けました。
断る理由もありません。彼女の向かいに座り直すと、わたしの分まで注がれることになったのは、もはや言うまでもないことです。
「里の方なら好調です。外の戦争のせいで迷惑をこうむってはいますが、それもいずれ――」
「そっちじゃないよ、アンタの身体の方を聞いたんだよ!」
「死にかけたとは思えないほどに調子がいいです」
「そうかい、そりゃよかったよ。けどあの子、パティアの様子はどうだったんだい……?」
気の強い女親分が心配そうに気の強い眉を下げて、それをごまかすように酒をあおった。
わたしはバーニィではありませんが、隠れ里のあのビールを早く彼女に飲ませてあげたくなりました。
「あの後は大変でした。わたしから離れてくれなくなりましてね、丸一日中、ずっと張り付かれてしまいましたよ」
「そうかい……あの子にも申し訳ないことをしたね……。アンタに尻拭いを頼んじゃってさ」
この態度はわたしの予定にありません。
タルトといえば気が強くて、グイグイと自分のペースに引き込むような、女バーニィみたいな面がありましたから。
ですがわたしに恩義を感じているということは、今こそ好機でしょうか。
「今のレゥムの姿を見ると、それも今さらだと思いますよ。よくもまあ、こうも簡単に共存してくれたもので。わたしたちが長年諦め続けてきたことを、こうも簡単に解決されるとは思いませんでした」
時代の流れというものは、わたしたちの想像を超えるほどの力を持っているのだと、思い知らされました。
これはニュクスの望んだ結末とは別物ですが、彼はもしかしたらこの新しい秩序を喜んでいるのかもしれません。
「あたいらは最低の悪王を倒してくれたアンタと、ギガスラインを守ってくれたサレの穏健派に、ただ感謝してるだけさ。ああそれで、注文はなんだい?」
「はい、まずは赤毛の女を一人」
冗談と受け取られないよう、真顔で彼女に来訪の意図を伝えました。
「なんだいそりゃ、笑えない冗談はよしてくれよ」
「いいえ、わたしは本気です。わたしはあなたを迎えに来ました。買い物ついでで恐縮ですが、わたしたちには他でもないあなたが必要です」
いつかこんな日が来るだろうと、彼女だって予想や期待をしていたはずです。
赤毛のタルトがごまかすように酒瓶を手に取り、かすかに震える手で己のワインを注ぐ。
酒をこぼしていることに気付かずに、グラスを口へとその運ぶ姿からは、深い動揺しか見て取れません。
「バカ言うんじゃないよ……」
ですがそれはあのタルトでした。
気丈にも己の顔面へと自ら平手打ちをすると、あの恐い目でわたしを睨んできました。
「寝言はよしな、あたいには役割があるんだ。あたいがアンタたちの代わりに、こっち側の諸々を斡旋してやんなかったら、誰がアンタたちのために動くのさ!」
「その役割はもう必要ありません」
「はぁっ!? 言うに事欠いて、ふざけんじゃないよっ! アンタやリセリのためにあたいはっ!」
「タルト、この街を見て下さい。今やわたしは、ギガスラインを正面から抜けることができます。この姿を隠さずに街で買い物もできます。穏健派と西パナギウムの間で、まだ小規模ですが貿易も行われているそうです」
情勢が変わりました。
彼女がレゥムに残らなければならない理由は、もうどこにもありません。
「だから用済みだって言うのかいっ!? アンタ、どれだけ自分が勝手なこと言ってるか、わかってるんだろうね!!」
「タルト、冷静に考えて下さい。今のわたしたちは移民者には事足りています。さらに多くの非戦闘員を連れて、魔界の森という紛争地を突っ切るのは無謀です。……何よりわたしはこれ以上、あなたを犠牲にするつもりはありません」
しかし女の涙というのは、どうしてこうも男を動揺させるのでしょうね。
旧市街を束ねる女親分の瞳から、光るものが流れ落ちました。
わたしたちの里に来るたびに、彼女はこう思っていたはずなのです。
リセリとバーニィのいるこの地に残りたい、一緒に暮らしたいと。
「あたいはやりたいからやってるんだ! お節介はよしてくんなっ!」
「それもわかっています。あなたは夜逃げ屋を始めるような、義賊気質の女ですから」
「だったらっ、あたいなんてほっときなよっ!」
今だけ、わたしにはタルトが十代の乙女に見えました。
涙をこぼしながら、わたしなんてほおっておいてなんて言われたら、誰だってそれに近い印象を覚えます。
「そうですか」
「そ、そうさ! あたいは今の生活を楽しんでるのさっ、邪魔しないでもらいたいねっ!」
「ですがリセリが言っていましたよ」
「――ッッ!?」
リセリはタルトの弱点です。
こうして弱っている絶好のタイミングでわたしはカードを切り、今や涙の乙女でしかない彼女を追いつめました。
「お姉ちゃんが嫌じゃなかったら、こっちで一緒に暮らそう。と……。バーニィだってあなたに会いたがっています。自分が仕込んだビールを、あなたにどうしても飲ませたいそうでしてね」
「ビール……ビールだって? あのバカ、もうちょっと気の利いた口説き文句を考えなよ……」
バーニィが歓迎していることを知ると、タルトが嬉しそうに口元を微笑ませました。
もはや落ちたも当然です。彼女も古いしがらみにきっと打ち勝てます。
「いえ、わたしも飲んでみましたが、あんなに美味しいビールは久々でしたよ」
「で、でも……。あたいには、こっち側の仕事が……。あたいがいなかったら、誰が連中の面倒を見るのさ……」
「何を言っているのです。あなたはもう十分に尽くしたでしょう。今度はあなたが、自分の人生を取り戻す番ですよ。あなたは自由になるべきです」




