41-2 魔界羊のために放牧地を広げよう - もふもふとパティア -
・ネコヒト
あの大きな大きな魔界羊がやってきたその翌日、わたしは朝の放牧地にやってきました。
そこで親しい顔を探せば、令嬢マドリとシスター・クークルス、うちのパティアに、ジアとカールの姿が目に映ります。
すぐにパティアはわたしに気づいたようで、すぐには説明しがたい方法でこちらにやってきたのでした。
「ねこたんっ、ねこたん、はやおきだなー?」
「ええ、男爵のおかげで、昨日は早寝ができましたからね」
昨日は男爵にパティアを譲ってさしあげました。
彼は大商会の主ですから、この里に長く留まることができません。
そこで恋い焦がれ続けてきたパティアの、面倒を見る権利を男爵にさしあげて、わたしの方は早寝をしたのです。
男爵が持ち込んだ蒸留酒もあって、昨晩はそれなりのお祭り騒ぎになったそうでした。
「ところでパティア」
「んー、なーにー?」
「これはまた、器用に登ったものですね……」
わたしが少し遅い朝食を済ませて放牧地にやってくると、そこには魔界羊の巨体に騎乗したパティアがいました。
魔界羊がいかに飼い慣らされた家畜だったとしても、背に乗られて喜ぶとは、一度も聞いたことがありませんでした。
「でへへ……あのなー、ひつじさんがなー、のっていいよーって、のせてくれた」
「そうですか。なんとも羨ましい体質ですね」
魔王様も魔界羊がとてもお好きでした。
まあさすがに乗ろうとはしませんでしたが、あの方もきっと、これに乗れるものなら乗っていたでしょう……。
「これな、さいこーだ……。パティア、ここでくらす……」
パティアが白い羊毛に身を沈めると、わたしからは姿が見えなくなってしまいました。
モゾモゾとモコモコが揺れるので、肌触りを堪能しているのでしょう。夏だというのに暑苦しいものです。
一方の魔界羊の方は、背中のパティアを落とさないように気づかいながら、生い茂った牧草をはんでいるようでした。
「ねこさん、今日は早いですね~。おはようございます♪」
「おはようございます、ベレトさん。あの、ところでパティアちゃんを知りませんか?」
そこにハサミを持ったマドリと、木バケツを抱えたクークルスがやってきました。
パティアの居場所を聞かれたので、わたしは答えずに羊の背を指さします。
「ばぁっっ!!」
「ひゃぁぁぁーっっ?!!」
「あらパティアちゃん♪ とっても羨ましいところにいますね~♪」
すると娘は羊毛の中から顔を出して、無邪気に声を上げていました。
驚きのあまりにマドリがひっくり返って、白日にスカートの中をさらしていたようです。
「あはははっ、まどりんビックリしてるー!」
「はぁぁ……っ。ビックリしちゃいました……」
なので、わたしはそれとなく助け起こす素振りで、その中身をカバーをしておきました。
「見えていますよ」
「ひぇっ?! す、すみませんっ助かりました……っ」
それとなく忠告して、リード公爵だった者を立ち上がらせます。
続いてパティアにあきれた目を向けてから、シスター・クークルスの木バケツを眺めました。
「乳搾りですか」
「はい~♪ 魔界の羊さんは凄いですね~♪」
「それとここは暖かいですから、毛も少し刈っておくべきかと思いまして。パティアちゃんはモコモコのままがよさそうですけど……」
魔界羊は妊娠させなくとも乳が出ます。
そうすれば己の子供以外も育めるので、群れをなす彼らには都合がよかったのではないかと、ある学者が言っていました。
その学者もずいぶん前に死にましたがね。
「パティアもてつだうぞー! モコモコじゃなくても、じょにーは、かわいい」
「じょにー……? まさか、ジョニーとはその羊の名ですか? その子、雌ですよ?」
ところがメェメェメェと、ジョニーは新しい名前を喜んでいました。
よたよたと危なっかしく降りるパティアのために、わざわざ身を伏せてくれました。
「ありがと、じょにー♪」
「メェェ~♪」
娘は巨体の魔界羊に怯えることなく、背伸びをしてその頭を撫で回しています。
こういうところがまた、巨体の羊からすれば魅力的なのでしょうか。
「じゃあ、ジョニーさんから絞りましょうか♪ あ、ねこさんも手伝って下さいますよね?」
「いえ、わたしはあちらの工事の方を――」
森の方角に向けて、カールや男たちが斧を振るっていました。
伐採した樹木を運び出し、材木に変えるだけでもかなりの手間がかかります。
「ねこたん、いかないで……?」
「ええまあ、急ぐ必要もありませんね……。わたしには元から向かない作業ですし」
パティアが寂しげに残れと言うので、わたしは逆らわずに羊のジョニーに寄りました。
ああいう仕事には、バーニィとリックが男手として活躍するのですが、昨晩の深酒でまだ寝床から起き上がれないようです。
「おーいっ、ジアーッ! ひつじさん、おっぱいしぼるってー!」
わたしは右手をワキワキとさせるパティアを見つめながら、牧草地にしゃがみ込んで一部始終を見物することに決めました。
●◎(ΦωΦ)◎●
クークルスが羊を落ち着かせて、マドリが乳の絞り方を説明し始めました。
少し意外です。彼に酪農の知識があるとは思いませんでした。
「ミルクが逆流するとよくないから、こうやって上から順番に指をかけていって」
「おぉぉぉぉ~~……でたぁーっ!」
「うわっ、ビュービュー出てる……。魔界の羊って凄い……」
白い乳が吹き出して、木バケツの底を叩きました。
マドリが慣れた手つきで長細い乳首を絞ると、草の匂いのする乳が集まってゆきます。
「あらお上手……。ふふふ~、魔界のお嬢様も、こういうことをするんですね~♪」
「ええっとその、親戚の家に行ったときに、少し……」
リードが説明を困って手を止めると、シスター・クークルスが乳搾りを交代しました。
こちらの手つきも随分と慣れています。
「クーッ、ずるい! パティアもやるー!」
「わ、私もそれやってみたい! なんか凄く楽しそう……」
クークルスにもできるならばと、パティアとジアが興奮混じりに食いつきました。
そんな二人にクークルスはニコニコと微笑んで、まずはジアから別の乳首を握らせます。
うちの娘ですか? 鼻息荒くして、いい子で我慢しています。
「わっわっ、本当に出た……!? えっと、上から順番に、ぎゅ……わぁぁぁ……♪」
普段大人っぽいジアが、子供の笑顔を見せるとなかなかくるものがあります。
やさしいシスター・クークルスからしてもそうだったようで、蒼化病を患い、迫害を受けてきた女の子が無邪気な笑顔を浮かべる姿に喜んでいました。
「パティアもするーっ! じょにーは、パティアがしぼるーっ! お、おぉー?」
シスター・クークルスがやさしく微笑みながら、パティアの手を取ったようです。
そのパティアの手を魔界羊の乳首へと運んで、やさしく包ませました。
ちなみにマドリはこの場を離れて、黒毛の魔界羊の毛刈りにかかったようでした。
「ぎゅぅぅ~ってするのか?」
「はい。だけど下からギュッてしたらダメですよ。上から下、緩めて、上から下です」
「わかった! ギュッギュッギュッ!! おわぁぁ~っ、でたぁぁーっ!!」
生の乳が顔に跳ね返っても、パティアは目を輝かすばかりです。
要領を得たようで、ジアと顔を合わせて笑い出しました。
「心配でしたか、ねこさん?」
「ええ、それは当然。乱暴にして、パティアがジョニーさんに嫌われる姿を見たくはないですから」
「男爵様によると、ローズちゃんだそうですけどね~♪」
「そっちの方が似合っているではないですか」
「メェ~……」
するとローズさんあらためジョニーさんが、わたしたちに向けて首を振って見せました。
ジョニーがいいんですか……? 後で後悔しませんか、それ……。
「ほらー、じょにーがいいって、いってるぞー? ろーずちゃんも、かわいいけどなー」
「私はローズがいいと思うけど……」
ジョニーの一頭だけで、大きな木バケツがいっぱいになりました。
恐るべし魔界羊です。その分だけ、牛並みの大食いなのですがね。
「たくさん絞れましたが、里の者全員で分け合うには足りませんね。シチューにするにも量が不足していますし、乳は保存も利きませんからね……」
「それなんですけど、バターやチーズにするのはどうでしょうか。バターならパンにも使えますし」
なるほど。人口を考えるとそれ以外になさそうです。
そろそろ全ての食料を共有するという、これまでの形では無理が出てくる頃でした。
とはいえわたしとしては、皆で食べ物を集めて、皆で分け合う今の姿が理想です。
助け合って生きている実感がわきますから。
「そんなこと、できるのか!?」
「ええ、最も無難な案かと」
「うん、バターなら簡単に作れるよ。だけど何か、ミルクを詰められる容器があると楽なんですけど……」
そう言いながら、頼るようにマドリがわたしに目を向けました。
パティアたちにバターを作ってみせたいそうです。
「ではこうしましょう。まず、ゾエを叩き起こして下さい。寝室にいないのならば、恐らく風呂ですので、引っ張り出すといいでしょう」
「わかった! それでー?」
「密封性の高いガラス瓶を作らせて下さい。後はマドリが教えて下さいますよ」
「み……みっぺ……。わかたっ、みっぺの、ガラスびんだなー? パティアにまかせろー!」
「それじゃ全然通じないよっ、パティア! しょうがないし私もついてくね……」
「すみませんがそうして下さい」
「任せて! いこっ、パティア!」
「きょうそうか! まけない!」
パティアとジアが笑い合いながら、古城の中へと駆けて行くのを見守りました。
それが済むと羊を二人に任せて、わたしは伐採を少し手伝うことにしました。
アンチグラビティの力を使えば、伐採された材木の搬送も格段に楽になります。
牧草を食べ尽くされる前に、急ぎ放牧地を広げるとしましょう。
何せあの巨体ですから、もしも脱走されたら手を焼くことになります。




