40-2 魔界羊がきた日 - ネコヒト -
・ネコヒト
「ば、化けネコッッ!?」
「囲め、束になってかかれ!」
「だ、ダメだ、コイツ強すぎる、撤退だっ、一時撤退するっ!!」
最悪の場合、正統派の軍勢をまとめてわたしが相手にするつもりでいたのですが、おかしいですね。
わたしはその役を、イリスに取られてしまっていました。
正統派の小隊すら、たった一匹で追い払ってしまうこの戦闘力、既に野生動物の域を越えています。
「アォォ~♪」
この非常に賢い大山猫は、わたしが輸送隊の護衛として、局所局所でハイドを全体にかける仕事を担っている間――自ら敵を遊撃して、とんでもない戦闘力で、敵軍を追い払って下さっていました。
「おいネコ野郎! なんなんだあのデカ猫はよぉっ!?」
「わかったら苦労などありませんよ。きっとあなたと同じ、パティアのファンといったところでしょう」
初めてヌルとイリスと出会ったあの日、アイアンホーンを倒したのは、やはりこの大山猫なのかもしれません。
術を使っている様子はありませんが、それにしたって、あまりに強すぎます。
時代が時代なら、神獣と崇められかねない知能と強さを、イリスは併せ持っていました。
ハイドを発動させながら戦うのは無理があるので、この展開は非常に助かりましたがね……。
「イリス、もう十分です。日没までここで待機しましょう」
「アオッ♪」
猫がネコヒトに擦り寄ると、なぜか里の人間たちがニヤニヤと笑います。
きっと見物なのでしょうね。わたしはイリスのあごを軽くかいて、男爵にその役割を押し付けました。
「賢いヤツだ。パティアさんが夢中になるのもわかるぜ……へへへ」
「猫はお嫌いなのでは?」
「うるせぇっ、ネコヒトと猫は別だ!」
「……ええ、それを否定する理由はわたしにもありませんね」
後は日没を待つだけです。
幸いは同行者に沈黙を使える者がいたため、魔界羊の鳴き声はそれでどうにかなりました。
後はパティアがデモンストレーション通りに、外の世界を飲み込んでくれるのを待つだけです。
ところがしばらくして、ふいに奥の草むらが揺れました。
敵かとわたしたちは振り返りましたが、それはイリスです。
待機と言ったのに、何かをくわえてわたしの前にやってきました。
「おや、これはサンショの実ですか。あなた、猫科のくせに渋い物を好みますね」
枝ごと採集されたサンショの実です。
これは乾燥させれば、肉や魚にちょうどいいピリリとした香辛料になります。
「アオッ、アオォ~ッ♪」
「この木、どこにあったのですか? リックに渡したらあなたの株が上がりますよ」
そう問いかけると、イリスがわたしを案内してくれることになりました。
背中でそう言っていたのです。
「少し行ってきます。そうですね、あなたとあなたと、あなた。採集を手伝って下さい」
「肉が美味くなるなら止める理由がねぇ、いってこいや」
こうしてわたしは日没を目前に寄り道をしました。
サンショの木を見つけると、急いで実を採集します。
可能ならばそのうち、このサンショの木を引っこ抜いて、里の中に移植しましょう。
付近を探せば、同じ木が他にも生えているはずです。
「ふぅ……あまり欲張ると、戦闘に巻き込まれかねませんか。そろそろ戻り――おや」
さあ戻ろうと呼びかけたところで、一陣の風が通りすぎました。
風と共に灰色の世界が押し寄せて、わたしたちを飲み込んだのです。
作戦は成功です。
猫の陶器、割り符を持つ物だけが認識できる、里の結界の内部へと、わたしたちは労せずに戻ることができたのでした。
後は急いでパティアとの合流を果たすだけですね。
「ア、アォ……」
「おや珍しい。あなたも驚いたりするのですね」
さしものイリスも驚いていました。
イリスには首輪を付けて、そこにパティアの小さな陶器をくくりつけてあります。
結界の外に外出できるようにと、パティアとクークルスが余計な機転をくれたものでした。
「アォッ……!」
続いてイリスはわたしに一瞥して、一目散に里の方角に走り去ってゆきます。
目当てはパティアでしょう。わたしたちも急いで男爵と合流しました。
「遅ぇじゃねぇか! さあ行くぞっ、行くぞ行くぞパティアさんに会いに行くぞ!」
「ずいぶんと入れ込んでいますね」
「当然だ! 久々のパティアさんだぞ、このネコ野郎!」
男爵とわたしは、後続の輸送隊を商会の者に任せて、魔界羊4頭を連れて先行しました。
サイレスの術を解くと、メェメェとやかましい鳴き声が上げて羊たちが駆けます。
しばらく森の中を行軍するとやがて、男爵のお目当てが飛んできました。
「ねーこーたーーんっっ! あっ、あああああーっっ、ひーつーじーっ、さんだぁぁぁーっっ!!」
てっきりいつもの体当たりが飛んでくるかと警戒したのですが、わたしと男爵はスルーされてしまいました。
パティアは剛毅です。魔界原産の巨大な羊など、少しも怖がらずに、そのもこもこの羊毛に飛び付いたようでした。
黒、白、焦げ茶に薄茶の羊たちにパティアが目を輝かす姿を目にすると、わたしはつい口元がだらしなくなってしまいます。
「しゅごい……もっふもふ! おっきいのが、こんなに……! おー、よしよしよしよしぃー、パティアも、みんなが、しゅき……おわぁぁっっ!?」
というよりですね……魔界羊にまで娘はやたらにモテてモテまくっていました。
さすがは獣たらしと感心ところで、そこに男爵まで大人げなく割り込んで、パティアに撫でてもらおうとしたようですね……。
「あああああああああっっ、パティアすわぁぁぁーんっっ!!」
もはや何がなんだかわからない、もみくちゃの状態です。
そこに遅れて、クレイとリック、ラブレー少年もやってきました。
ラブレーはええ、主であり同族である男爵の醜態に困っていました。
普段の男爵はもっとこう、恐い系の方なのですがね……。今さらですがこれは別人です。
「だ、男爵様っ、イヌヒトとしての誇りをもう少し……っ」
「ムダだニャ。これは何も聞こえてないニャー。それと、ようこそ同胞たちよ、ここが新たなネコヒトの里、その名もネコタンランドニャ! みんなを歓迎するニャ! ……だいぶ、ワンコちゃんが混じってますがニャ」
クレイは即座に、移民希望者が同行しているのを察したようです。
カスケードヒルにまだ残っていたネコヒトの移民希望者が50名。さらに20名ほどのイヌヒトの民も里への移民を望んだので、勢いで連れてきてしまいました。
「ほわぁぁーっ、わんわんもふえるのかっ!? ようこそーっ、ようこそネコタンランドへ! わんわんはー、パティアもかんげいするぞー!」
「わふぅぅぅぅーっっ♪ パティアすわぁぁんっ、撫でて撫でて撫でてっキュゥゥンッッ♪」
「だ、男爵様ッ、人前でそういう声出したらっ、商会の権威が……!」
「だから、これは聞こえてないやつですニャ……」
モフらぬ理由などなく、地べたにはいつくばる男爵の腹を、パティアが撫で回します。
するともう、そこにあるのはなんと言うか――あまりの情けなさに表現を控えたくなる、見苦しい光景が広がりました。
いつものことですが、イヌヒトのプライドはどこに消えたのですか、男爵……。
「大先輩も物資の調達お疲れにゃ。後はこっちでよろしくやっとくにゃ」
「それはまた、あなたも変わったものですね……」
「当然ニャ。明日の酒がかかってるニャ」
クレイとネコヒトの民が羊を連れて行くと、パティアがようやくわたしに気づいてくれたようです。
「ねこたんっ、おかえりぃぃぃーっ!」
「ただいま。ずいぶんとそっちのけにされてしまいましたね……。魔界羊は気に入りましたか?」
「うんっ、きにいった! これは、かわいい! それに、でっかい! あ、ミルクも、いっぱいかー?」
「ええ、この大きさです。いっぱいでますよ。さすがに里の全員分とはいきませんがね」
「しゅごい! ゆめみたいだ!」
パティアは見るも情けない白目でくねる男爵を撫で回しながら、元気いっぱいに羊たちが向かった里へと目を向けています。
「教官、こうなると、あの放牧地を、さらに大きくしないとな……」
「そうですね。あの頭数だと、牧草が根こそぎ喰らい尽くされるのもそう遠くなさそうです。ピッコロとファゴットとも、仲良くしてくれるといいのですが……」
「だがミルクがあれば、チーズやバター、シチューが作れる。教官のおかげだ」
「おお、それは楽しみですね。わたしも乳製品は大好きですので」
リックが嬉しそうに笑っていました。
あの大きな十時槍を肩にかけているので、戦いを期待していたようです。
「そうでした。イリスがこれを見つけてくれました」
……肝心のイリスの姿がありません。
神出鬼没というか、てっきりパティアと合流したと思ったのですが……。
まあいいですか。
「これは……サンショか! どこで見つけた!?」
「広がった結界の奥です。しばらくここの結界は、そのままにしておいてもいいかもしれませんね」
「教官、明日は焼き肉にしよう!」
「悪くありません。物資も調達できましたし、これからもう少しがんばっていきましょう」
「ああ!」
香辛料を手に入れた料理人は、戦いの喜びではなく、人を楽しませる喜びを見つけてくれました。
やはりリックは外の世界に戻らない方が幸せでしょう。
いえ、ここの里は最初から、そんな連中ばかりが集まった、追放者たちの隠れ里でした。
わたしはこうして、酒とミルクとガラスと鉄。調理器具や農具と工具を持ち帰りました。
再三ですみません。
4月30日に超天才錬金術師2巻が発売します。
既に各サイトで予約が始まっていますので、お気が向きましたら1巻ともども買い支え、予約していただけると嬉しいです。
ねこたんも書籍化したい……。
こんなに楽しい作品なのに……!




