39-5 畑仕事と思春期の少年たち - 余話 -
食堂に入ると、温かなスープと小麦の香り、それにネコヒトの体臭と石鹸の匂いが漂っていました。
何せ民の9割がネコヒト族という状況です。
食堂はさながらネコヒト屋敷となって、席という席が毛皮で埋め尽くされていました。
彼らは配膳された料理を美味しそうに口にして、仲のいい友人や恋人を隣において騒がしく語り合っておりました。
まもなくしてパティアとリックが合流すると、わたしたちも端の席に着き、リックの方は厨房へと戻っていったようです。
「たべよー、ねこたん。はぐっ……うまぁっ!」
「ええ。しかしあの肉は、さすがに間に合いませんでしたか」
「あむあむ……。ねこちゃんたち、いっぱい、ふえたからなー。それでも、ごうかだぞー、じゅるるぅー」
「あまり大きな音を立ててスープを飲むと、都会の人に笑われますよ」
今日の夕飯は、干し肉と野菜8種のスープに丸いパンで、確かにここ最近からすれば豪華です。
さらに畑を広げて収穫を増やすまでは、どうにか自給自足で工面してゆくしかないでしょう。
穏健派と正統派が、早く停戦してくれればいいのですが……。
長い停滞が続いた魔界の情勢をかんがみれば、ちょっとやそっとではこの戦乱、収まらないのかもしれません。
「ところでパティア」
「んー、にゃふぃー? あぐあぐ……ずずぅぅ……ぷはぁっ!」
「食べにくいので、少しだけ離れてくれませんか?」
「うーうん。きょうはー、ねこたんと、ずっといっしょのひ」
「そうですか」
幸い私は左利きです。
パティアと肘をぶつけ合うことはありませんでした。
それでもぴったりと寄り添われると、料理の味に集中できません。
ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、ピーマン、ゴボウ、山芋、大豆、アサギの葉に、干し肉――スープは見るからに栄養があって、食べがいもありました。
「ねこたん、たべるの、はやいなー?」
「はい、一応わたしも男の子ですので。それよりパティア、その緑色のやつも食べないとダメですよ」
「えーー……。パティア、みどりの、きらい……」
「いえ、今日のは特に美味しいですよ。騙されたと思って食べてみて下さい」
「そうかー……? じゃあ……ん、はむぅっ! んっんぅっ、んぐぅっ……!?」
吐き出すという発想がないようで、パティアは顔をひきつらせると、口の中の物を丸飲みにしました。
「ねこたんっ、うそつき! しゅごい、にがかったぞー!!」
「フフフ、騙す気はなかったのですがね。ですがちゃんと食べて偉かったですよ。では、行きましょうか」
「ごまかすきか、ねこたんっ! ……あっ、もしやっ、パティアもいくぞー!」
プンスカと怒りながらもパティアは人に寄りかかっていましたので、わたしは支えながら立ち上がりました。
わたしが席を立つと、バーニィやアルス、マドリなどの視線がこちらに集まります。
「おや、わかってしまいましたか」
「うんっ、パティアは、ねこたんのむすめだぞー。ねこたんたつと、だいたい、あそこいく。あっ、リセリもいいかー?」
「ええ、勧誘はあなたに任せました」
「へへーい、やったー! リセリー、いっしょに、うたおー!」
その一言で、なんだかお遊戯会じみたような、そんな気もしましたが、構わずわたしは食堂の中央へと向かう。
パティアはリセリとジョグの席に駆けていって、こちらに歌姫を引っ張ってきてくれました。
パティアがリュート、わたしがフルートを奏でて、リセリとパティアが歌います。
リセリの歌声は清らかで、パティアの方は音程がだいぶ狂っていましたが、元気があるのでよしとしましょう。
心踊る明るい旋律と歌声に身を任せながら、楽しいひと時が続いてゆきました。
そんなわけでして、そこにアルスとマドリが乱入するのに、そう長い時間はかからなかったようです。
さらにはバーニィまでそこに加わって、男らしい低音でヘタクソな歌声を披露すると、お調子者どもがドンチャンと食器を叩きだす展開にもなりました。
そんな酒でも入っているかのような大騒ぎの中で、わたしはこっそりと、ヌルとイリスを注視します。
ジョグに世話をされながらも、一人と一匹は音楽と歌声に満ちあふれるこの夜に、盛り上がるというよりもむしろ――とても感動しているように見えました。
「にゃーにゃーにゃーらららーっ♪」
「ふふ……。パティア、その歌なーに?」
「ねこたんのうただ」
「にゃーにゃーにゃーっ!」
旋律に合わせて、パティアとバーニィ、おまけにネコヒトの民まで、ニャーだのミャーだの歌い始めると、もはや収拾が付きません。
会場は、いい歳したおっさんを交えて、完全なお遊戯会と化したのでした。
「アォ……アォォォー……♪」
「えっ、もしかしてそれ、歌っているの、イリス……?」
「アォォ……」
イリスはパティアを介して、人々に安全な獣だと認識されたようです。
特に年少組に懐かれているようで、今ではヌルともども子供に囲まれていました。
そんな中、イリスはまるで高い知性があるかのように、熱心にこちらを見ています。
その大山猫も何やら歌ってみたようですが、残念ながらニャーとミャーといった、高い声はその喉から出なかったようです。
「エレクトラムはよ、おらとリセリが説得するからよぉ、二人はここで暮らすといいべ」
「いいの……?」
「当たり前だべ。ここは世界に捨てられたやつらが集まる場所だべ。いくらでも、ここにいていいんだよぉ」
「でも、ジョグさんに迷惑じゃ……」
「エレクトラムは、慎重で皮肉屋なだけだべ。ここに居ろ、おらが守ってやる」
「ジョグさん……。俺、俺……、ここに暮らしたい……。ここ、夢みたいな世界だ……。イリスもそうだよな……っ!?」
「アォ、アォォ~♪」
不可解なところが多々ありますが、ヌルもイリスも悪人には見えないのが困りものです。
何を言ってもジョグは聞かないでしょうし、こうなれば、しばらく様子見するしかなさそうです。
「盗み聞きしてるんだべ……? この二人はおらが責任取るべ。だからおいてやってほしいべ。引き換えに何かあったら、おらが出ていくからよぉ……」
ジョグに向けてわたしは大きくうなづいて、イリスとヌルに目を向けました。
旋律と、歌声という名のバカ騒ぎに聞きほれると獣と少年の姿は、わたしに好意的な感情を抱かせる。
見れば見るほどに、ヌルは普通の男の子でした。
一方のイリスは終始熱心に、わたしとパティアを見つめています。
何がそんなに興味深いのか、わたしとパティアだけをです。
もしかしたら、注目するべき存在は――ヌルではなく、こちらのイリスなのかもしれません。
●◎(ΦωΦ)◎●
眠くなったので後を若い連中に任せて、わたしたち親子はいつもの部屋に戻ってきました。
「ねーこたーんっ、いっしょにねよー?」
「はい。ですが明日からは、いつものパティアでお願いしますね。これ以上は付き合いかねますので」
「へへへー……いちにち、ねこたんにくっついたら、ちょとおちついた……。むぎゅー♪」
「本当でしょうね? やっぱり寂しいから、今日もくっつくと言わないで下さいよ?」
書斎式ベッドに上がり、わたしはそこに横たわりました。
腰から下に薄いスパイダーシルクをかけると、パティアがわたしにしがみついてきました。
「ほんとうだ、もう、だいじょうぶ。イリスちゃんもなー、いるしなー。あしたも、のせてもらう、やくそく、したんだぞー?」
「それはよかったですね。油断したら、パクリと頭から食べられてしまうかもしれませんが」
本能に負けて、あれがパティアに噛みつかないかと、内心小さな不安を覚えます。
「イリスちゃんは、あたまいいから、そんなことしないよー? それになー、パティアよりー、ねこたんのほうがなー……。イリスちゃん、すきみたい? ねこたんの、およめさんに、いいかもなー♪」
わたしに獣を娶れと、娘が言う。
「無茶を言わないで下さい……。アレは雄ですよ」
「おお……イリスちゃん、そうなのかぁー!? あしたっ、ちんちんさがしてみるっ!」
こうもわたしを絶句させるとは、まったく大した子ですよ……。
「それはかわいそうなので、どうか踏みとどまってやって下さい……」
「んーー。ちょっとだけ、ちょっとだけだ。イリスちゃんなー、ふかふかだから、よくみえない……。ねこたん、よくみてるな……」
子供というのは、本当に恐ろしいですね……。
すみません、イリス。
明日うちのパティアがご迷惑をおかけしますが、どうか噛まないでやって下さい。
「あっ、でもなー! うしろからなー、イリスちゃんのおしり、みるのすき」
「そうですか。では寝ましょう」
「うん! むぎゅー♪ はぁ……ねこたん、いっしょの、せいかつ……しあわせだ……」
本当に、ご迷惑をおかけしています、イリス……。
うちの娘がすみません……。
あまりに忙しすぎるため、投稿ペースをもしかしたらやむなく、4日に1回更新に変更するかもしれません。
書くのがとても楽しい作品なので、大切にしているのですが、忙しすぎて手が回らなくなってきています。
もしかしたら、ごめんなさい!




