5-8 名も無き里のはじまり、大地を消した8歳児 2/2
「うん、せいこう、したとおもう! パティアも、ねこたんもー、がんばった!」
先日の虫除け魔法の範囲を事前に調べておいてあります。範囲はこの盆地と、それを取り囲む山々に達していました。
実際に外に出てみればわかるはずです。閉ざされたこの場所を、認識すら出来なくなるはずなのですから。
「みんなで、しずかに、くらしたい! そしたらたのしいっ、さびしくない、だからー、そうおねがいした! うしおねえたんもー、ふえたからー、これから、もっとたのしいからなー、とーっ!」
「うっ、うわっ、ちょっと……っ?!」
牛魔族ホーリックスの胸から下に、パティアが前触れもなく突進しました。
かわいいうちのパティアに抱きつかれて、彼女は困り顔を浮かべたようです。
「えへへー……バニーたんよりー、あったかくてやわらかい……。うしおねーたん、パティアがんばったぞー、ごはん、きたいしてるからなー」
「ぁ、ぁぁ……わかった、オレもご飯で、このがんばりに応えよう。それにしても……いや」
いえ、どうやらわたしの見間違えでした。
確かにリックは困っていらっしゃいましたが、まんざらでもなさそうだったんです。
薄く頬を染めて、ポーカーフェイスの素顔のままうちのかわいい娘に見入られていたようです。
「うしおねーたーん♪ やっぱなー、おねーたん、おっぱい、でっかいなー……だきごこち、よいっ。ぞよー?」
バーニィおじさんが羨ましそうにそれを眺めていたのは言うまでもない。
よっぽどパティアがかわいいのか、次第にリックの口元もだらしなくデレていったようです。
「ぞよ……? はっ?! あ、ああっそうだった、それより教官っ、いきなりだが質問がある……っ」
「何です? 今さらクールを演じなくとも、素直にその子をかわいがれば良いと思いますが」
「ち、違う……そうじゃなくて、土地ごと隠れたのは良いが、出入りの方は、どうする……!」
「おお、言われてみればそうだな……。うっかり外に出ちまうと、戻って来れなくなっちまうのかね?」
ええ、何も対策しないとそうなってしまうかと。わたしの一番弟子は意外と冷静でした。
そこでわたしはとある焼き物を4つ取り出しました。
パティアが作ってくれた小さな小さなネコの小物です。
「ご安心を、もちろん考えてあります。このネコの小物は、わたしが精一杯の魔力をかけてハイドの力を付与したものです。いわば同質の力を持つこれが通行手形となり、所有者の行き来と、認識を可能にしてくれる――はず」
難点があるとすれば、ハイドの力がかかった物なので紛失しやすい点でしょうか。
人数分のそれを彼らに配った。
「しゅ、しゅごい……、ねこたん、なにげに、しゅごいなーっ?! へへへー、ほんとはなー、ぜんぜん、わかんないけどなー! パティアのねこ、つかってくれて、うれしい!」
「へぇ……器用だな、だてに歳食っちゃねぇってことか?」
「バニー、そうやって教官を、ご年輩扱いばかりすると、そのうち、自分に返ってくるぞ……」
後は実証あるのみ、この土地の隠蔽と出入りの可否さえ確認出来れば次のステップに移れる。
「ええまあ、わたし結構いろいろな禁呪をこの目で見てきましたので」
魔神に憑依された魔王様の隣で、目を疑うような凄まじい術の数々を。
その魔王様も、魔神も、今の魔界では遠い遠い過去の伝説です。
「ではリック、バーニィ、わたしは明日、実験ついでにレゥムの街に買い出しに行きますので、その間、うちのパティアをお願いいたします」
するとパティアの顔色が一変した。
まだホーリックスにしがみついていたものが、わたしの目の前に飛び込んできたのです。
「ね、ねこたんっ、ま、またいくのか……? そんなの、さびしい……まて、きいてないぞー?! ねこたんの、ねこたんのもふもふ……、パティアは、くっついてないと、ねれない……」
リックの残り香を残した娘が、わたしのもふもふに顔を擦り付けだす。
胸を大きく膨らませてスンスンと毛皮の匂いを嗅がれました……。うちの娘は、だいぶ変わってます。
「おや、そうですか」
「そうですかーっ、じゃないぞねこたぁーんっ?! わかってるのかーっ、パティアがさびしい、いってるのにー! ねこたんは、ひとりでおそと、おとまり、なんで、なんでへいきだ……」
出発は決まっている、塩がなければ美味しいご飯が食べられない。
調味料と料理器具があれば、この子の笑顔が増えて、傷心のホーリックスの気休めにもなる。いい事ずくめでした。
「バーニィはおはなしこそ面白いものの、ゴツゴツしていて寝心地は最悪だったそうです。……なのでリック、明日からあなたがパティアと寝てやって下さいね」
「寝心地最悪で悪かったな、パティ公」
「うん。バニーたんはー、ほんとのー、うさぎさんだったら、よかったのになー」
ところがリックは当惑していました。
うちの娘とわたしを交互に目線を行き来させて、話を受けるかどうか返答を迷っている。
「お願いします、2人が守ってくれているだけで、わたしは安心して街に行けるのです」
「……オレは、武人だ。そういうのは、得意じゃない……。もちろんかわいいけど、何だか、壊してしまいそうで……、不安なんだ……」
パティアもまたバーニィとホーリックスを交互に見比べた。
最後に牛魔族の方を長く注視すると、8歳児が大人のするため息のまねをしました。
「はぁ……わかった……。うしおねーたんで、がまんする……。でもごかい、なき、ように? いっておくぞー! パティアはなー、おっぱいよりー、ねこたんの、もふもふがいいからなーー!」
「あ、それならオレもわかる。……あっ、な、何でも、ない」
そうするとバーニィが不満をたっぷり浮かべてわたしの前にやってきました。
何が目当てかと思いきや、いきなりわたしのふさふさのお腹に、軽いパンチを入れてきたのです。
「ちょっとバーニィ、何をするんですか……」
「ここによぉ、渋くて、たくましくて、カッコイイおっさんがいるのによぉ……。なんで毛皮の方がモテんだよ……」
それは小声、いやおっさんのぼやきでした。何でと言われましても。
「あなたは男としてではなく、毛皮として女子供に愛されたいと?」
「あれに触れるなら俺、毛皮でいいよ……。むしろ毛皮として愛される方が、後腐れねぇしよぉ……」
何を言ってるんでしょうかこの男は。
うちのリックの大きな胸ばかり眺めて、世迷い言をおっしゃる。
「本性が出ましたね、バーニィ・ゴライアス」
バーニィ・ゴライアスはちょっとうさんくさいだけではなく、エッチなおじさんでした。
「ねこたん……はやく、かえってきてなー……あっ、おみやげ! おみやげまってるからなー! わすれたら、おこるぞー!」
「ええそれはもちろん。次は何がいいですか?」
「え、えらべるのかっ?! えーとっ、うーんっ、とっ、そ、そうだなぁー、あっそうだ! ねこたんみたいななー、ふかふかにー、なれるやつがいい!!」
「とてもふんわりしたイメージですが、わかりました。その方針で探してみましょう」
とにかくふかふかで、ふわふわしてれば満足するに違いない。
どう考えたって冬着をまとうには時期が早すぎますけどね。
◎●(ΦωΦ)●◎
その後、わたしたちは今晩のお祝いのために食材をかき集め、この名も無き里のはじまりを喜んだ。
魔界と人間界の境界に位置する、最高級の結界によって閉ざされた土地、それの意味するところは大きい。
バーニィ・ゴライアスもその事実を悟ってか、とある話をわたしに持ちかけてきました。
「アンタとパティ公のおかげで、俺は今夜から追っ手に怯えず寝ることができる。今さらだけどよ、感謝し足りねぇよ……。で、それは置いといて、そこで、なんだがな――」
レゥムの街に行くならば、知り合いを、とある仲介人を己の代わりに訪ねて欲しいと……。




