39-5 畑仕事と思春期の少年たち - 甘いベリーだけを食べる冴えた方法 -
まっすぐに城へと引き返すつもりでしたが、途中で気が変わりました。
今日はあまり日も浴びていませんし、里をパティアと一緒に散歩することにしたのです。
「知らぬうちに、ずいぶんと畑が広がったものですね」
「いっぱい、ねこちゃんたち、ふえたからなー。みんな、がんばったんだぞー?」
畑だけではなく、用水路もさらに延長されていました。
東の湖を起点にしたその用水路は、今では南北に広がって各地の畑に水を届けています。
「ええそのようですね」
「そのようなのだー」
「なのだー、ですか」
「なのだー、ですだー」
耕作が活発な東に向かうと、沢山の人々が畑仕事に勤しんでいました。
それは蒼化病の子供たちやその両親、ネコヒトの民が中心です。
とても楽な仕事とは言えないはずなのに、どういうわけか誰もが笑っています。それが印象的でした。
少し前までは、わたしもこれを手伝っていたのですが、最近はあまり機会がありません。
「時間も余っていますし、少し手伝っていきますか?」
「ねこたん、てんさいか! パティアなー、かりもすきだけどなー、こういうのも、だいすき!」
パティアがくっついて離れないので、土いじりをしていた方がまだ楽なのではないかという、そんな気がしたのもあります。
「すみません、交代して下さい」
「たのもー!」
「ああ、ありがとう……って最長老様にパティア!?」
近くにいたネコヒトの民から、クワを少し強引に奪い取って大地に振り下ろしました。
パティアの方も種まきを交代してもらったようです。
「おおきく、そだてー、ずぼっ! おおきく、そだてー、ずぼっ! ふぅ、いいしごとしたぜ……ずぼっ!」
あまり効率的な仕事とは言えませんでしたが、本人が楽しんでいるのでよしとしましょう。
パティアの無邪気な姿を眺めながら、わたしも横取りした開墾を進めてゆきます。
「最長老様が畑で汗水流す必要なんてないですよ~っ! というより、僕のクワを返して下さいよーっ!」
「それはお断りです。最近こういう楽しみにも目覚めてきたようでしてね。あなたたちこそ少し休んで下さっていいですよ」
ネコヒトの民はわたしたちから仕事を取り上げるのを諦めると、一緒になって畑の開拓を手伝ってくれました。
きっかけは気まぐれでしたが、こんな風に娘と一緒に汗水を流すのも、あながち悪くありません。
「はぁ……。イリスちゃん、かわいかったなー……」
「あなたはとことん怖いもの知らずですね。……おや、種はどうしましたか?」
「なくなっちゃった。はぁ……イリスちゃん……いま、なにしてるかな……」
「ちょっと、危ないですよパティア」
やることがなくなると、パティアはあの大山猫が恋しくなったようで、またわたしの腰にしがみついてきました。
これではクワを振ろうにもままなりませんね。
「あまり手伝えなくてすみませんね、そろそろ失礼しようかと」
「僕のクワ返して、最長老様!」
さっきのネコヒトの民が手を差し出すので、わたしはクワを彼に返却しました。
それから樫の木の梢に移動して、娘と一緒に腰を落としました。
「イリスちゃん……」
「今から会いに行ったらどうですか」
「いい……。きょうは、ねこたんのひ……スリスリ……。はぁ、イリスちゃん……」
「ちょっと、畑仕事をした手でベタベタとわたしを――いえ、もう手遅れですか……」
イリスの毛皮を思い浮かべながら、娘はわたしに身体を擦り付けてはがれません。
そんな娘の背中をそっと抱いて、しばらくゆっくりと過ごすことにしました。
「これが、ねこたんいる、しあわせ……」
元はといえば、帰ってこなかったわたしのせいです。
満足するまで好きにさせるしかありません。
●◎(ΦωΦ)◎●
「あっ、そうだ! これ、ねこたんに、おすそわけだぞ」
「おやラズベリーですか。……というより、いつのまにこんな物を採集していたんですか」
採集用の小さなポーチから、パティアは赤く熟したラズベリーをわたしに譲ってくれました。
わたしにべったりと張り付いたまま、ですがね……。
「へへへー……でも、ちょっとだからなー。これはー、ふたりじめにしよ。んっ……これ、ちょっぱい……」
「そんなに甘えん坊だと、みんなに笑われてしまいますよ。おや、こっちは甘いです」
少しかじったラズベリーをパティアの口へと運ぶ。
すると大きく口が開かれて、ネコヒトの指ごとくわえ込むのだから困ります……。
「ほんとだ、あまずっぱい! そうだ、ねこたんは、あじみやく。パティアは、あまいの、たべるやく。そうしよう」
「突拍子もないことを考えさせたら、あなたはきっと里一番ですよ。……これも甘いです」
「わーい、あむぅーっ♪ おおっ、これ、あまぁーいっ! つぎつぎ、ねこたん、つぎ!」
「これはとても酸っぱいです。食べますか?」
「うーうん、それは、ねこたんのぶん」
舌が痺れるほど酸っぱいやつを、もし騙して食べさせたらどうなるでしょうか。
甘いのはまだかと見守るパティアを横目に、わたしは誘惑にかられながらも、甘いラズベリーだけをパティアに与えました。
パティアの獣たらしの魔性に、わたしは既にやられていたようです。
●◎(ΦωΦ)◎●
ほどなくしてパティアのポーチから、ベリーがなくなってしまいました。
そしてその頃には、わたしの指はパティアの唾液と、ラズベリーの果汁でベタベタです。
それを見てうちの娘はこう言いました。
「ねこたん、おふろはいろ? あ、そだ! イリスちゃん、つれていこう!」
「はい……?」
「イリスちゃん、おふろ、はいりたいかも……」
とんでもないことを考えますね、この子……。
城で受け入れるなら、まず入浴をするなりして汚れを落とすのは、間違ってはいないのですが……。
あの巨大な山猫を、乱暴な手を使わずに入浴させるなんて、それこそ無理でしょう。
「いえ、野生の猫は濡れるのを嫌うはずですよ」
「そうかー。あっ、じゃあ、ヌルくん? ヌルくん、おふろにさそお?」
「あれは男の子です。一緒にお風呂に入ろうだなんて言ってはいけませんよ」
「ねこたん、そういうの、きびしいな?」
ところで果汁と唾液が乾いて、だんだんと不快になってきました。
狩りと畑仕事で付いた汚れも気になります。
この疲れを、グラングラム地下の湯でほぐしたら、さぞや気持ちいいでしょうね……。
「男の子の気持ちもわかってやって下さい。それよりお風呂にいきましょう」
「うん! ねこたんと、おふろいく! あらいっこ、しよー?」
この時間は男女混浴です。
わたしは元気なパティアと手を繋いで、引っ張られるように古城の地下へと向かいました。
空の一番高いところで、太陽が赤く輝いて隠れ里を照らし、もうじき魔界の暗雲に飲み込まれようとしています。
それを見上げると、この不思議な境界の土地に帰ってきた実感が湧いてきました。
空なんて見上げていないで、早く行こうとパティアに手を引っ張られることになったので、すぐにそんな感慨は消えてしまいましたがね。
天才か……。




