39-3 どうやら里に、史上最強のひっつき虫が生まれたようです - 猫の朝 -
「ねこたん、ねこたん、ごはんだよ~?」
耳元でパティアの声がして、わたしは深い眠りからハッと目を覚ましました。
その子供らしくあどけない声に導かれて、真横に首の寝返りを打つと、そこにわたしの娘がいました。
それをただぼんやりと眺めます。
するとブロンドの小さな乙女は、丸く大きな瞳で大好きなねこたんを見つめ返して、汚れ一つない元気な笑顔を浮かべてくれました。
「おや、もうお昼ですか」
「あのね、べっとん」
言葉足らずな発言に部屋の様子を確認すると、クレイの妹のシベットが何かをテーブルに配膳していました。
真夏のまぶしい日差しを背に、義姉に似たグレイブルーのネコヒトがわたしたちに振り返り、小さく微笑む。
「おはよう、エレクトラムさん。ご飯の時間は、もう終わっちゃったよ」
「そうだぞー。ねこたん、きょうはしゅごく、おねぼーだ」
「それはパティアもだね」
「これはわざわざすみませんね。……おや、パティアもなのですか?」
隠れ里にもう夏がきていました。
冬に入ると積雪で身動きの取れなくなるここも、夏は夏らしい暖かさになります。
抱き付いて離れないパティアごと身を起こすと、テーブルに二人分の昼食が並んでいました。
「パティアはずっと、ねこたんのとなりに、いたぞー」
「その……パティア、エレクトラムさんから離れたくないって……。朝からずっとそこに……」
「ですが、朝ご飯はどうしたのですか?」
「パンだけ、ここでたべた」
「あきれた子ですね……。あなたはネコヒトではなく人間でしょう。ネコヒト一の寝坊助に合わせていては、あっという間にお婆さんになってしまいますよ」
離れようとしないパティアを引きずりながら、わたしは彼女を席に着かせて向かいに座りました。
「おなかすいた……。べっとん、ありがと! はぐっ……」
「いいの。今日は体調がいいから」
わたしたちは肉と野菜入りのオートミールを口に運び、まずは腹を満たしました。
今日の料理長はリックではないようで、それは素朴で無難な味でした。
「それはよかった。ですがあまり無理をすると、クレイが目を血走らせて飛んできますよ」
「こげにゃんは、べっとんだいすきで、それにー、おおげさだ」
「そうなの……最近少し困ってるかな。こんなに身体が良くなってるのに、お兄ちゃんが、ベッドに縛り付けようとするの……」
確かに体調が良さそうです。
健康体とまでは言えませんが、シベットの足腰は以前よりもずっとしっかりとしています。
「それは確かに困りますね。クレイの気持ちもわかりますが」
「あ! あのね、ねこたん、こげにゃんね! ねこたんいないあいだ、やさしかった!」
「はて、あのクレイがですか……?」
「うん! こげにゃん、いいこ。パティアのこと、すきだって」
「いいえ、悪い子ですよ、アレは」
そもそも全ての発端はクレイです。
彼があの話を持ち込まなければ、パティアが三ヶ月も苦しむことはありませんでした。
「あの……お兄ちゃんの、い、妹として、言わせて下さい……。お兄ちゃん、エレクトラムさんの帰りを喜んでました。だってずっと、後悔してたみたいだから……」
「わかるー。こげにゃんね、はんせいしてた。でもね、パティアをなぐさめてくれた。だから、こげにゃんは、いいこなんだぞ」
正直な感想を述べれば、とても意外でした。
あのずる賢いネコヒトが、そこまで真っ当な感性を持っていたことが、とても。
「うん。それに何より、わたしたちネコヒトの民は、パティアが元気になってくれたのが一番嬉しい。みんな、パティアが、だ、大好きだから……」
「でへへ……きいたか、ねこたん? べっとん、パティアがすきだってー!!」
「えっ、そ、それは違……っ」
「えーー……。えーーー……じゃ、パティア、きらいか……?」
「ぅ……わ、私は……好き……。パティア、好き……」
「でへ……でへへへへ……♪ パティアもだいすきだぞー、べっとーんっっ!!」
ですが、目の前のこの一部始終を見ていると、納得できるふしもありました。
この隠れ里にきて、クレイは変わったのでしょう。
いえ正確には、染まったというのが正しい気がします。わたしもパティアと出会って、ずいぶんとお人好しになってしまいましたから。
「ゴロゴロ……。ぁぅ……喉鳴っちゃって、恥ずかしい……。もう触らないで、パティア……」
「パティア……バニーたんのきもち、ちょと、わかったかも……でへ」
「でへじゃありませんよ。お願いですからバーニィを見習うのだけは、絶対に止めて下さい」
ただでさえ人たらしの素質にあふれているのです。
パティアがもしその気になれば、とんでもないことになるのが見えていました。
「あっ、ここにいた! もうシベットッ、また歩き回ってる!」
そこにクレイの従姉妹がやってきました。
どうやらシベットを探していたようです。シベットは耳を少し下げて、ばつが悪そうにパティアから離れたようでした。
「平気、最近体が軽いの。元気になれてる感じがする。だからこれからは、みんなの仕事を手伝いたいだけ……」
「そういうのはもっと良くなってからにして欲しいんだけどな……。じゃあ、これから私、クークルスさんところで縫い物手伝うんだけど、シベットもくる?」
「いいの……? クークルスさん、やさしくしてくれるから、手伝いたい。あ、パティアも、くる……?」
いかにも付き合って欲しそうに、シベットがパティアに目を向けました。
しかしパティアは少しも悩むような素振りを見せずに、ただこう言いました。
「ごめんな、べっとん。きょうは、ずっと、ねこたんといる」
「もう十分くっついていたでしょう……」
「ねてるねこたんじゃ、だめなのー。ねこたん、ごはんたべたらー、おにく、とりにいこ。ねこたんと、パティアがそろえば、らくしょーだ!」
シベットは少し悲しそうでした。けれどもパティアの決心は揺るがないようで、最後は納得して部屋を立ち去ってゆきました。
まあ、仕方ないでしょうね。三ヶ月も娘を放置したわたしが悪いのです。
すみませんね、シベット。
あなたが健康になってくれて、わたしはけして小さいとは言えない喜びを抱いています。
元気になったあなたは、ますます義姉と重なって見えてしまいますよ。




