38-7 かえってきた、ねこたん! - 邪神と悪王と女神の夢 -
眠らずに隠れ里に戻る予定でした。
しかしベルン側からでは距離がある上に、さすがに馬を使うのも目立ちました。
殺戮派の勢力圏ならまだしも、里の周囲は正統派と穏健派がにらみ合っているはずですから、断念せざるを得ませんでした。
ベルンからの旅路は二日目に入り、やがて夜を迎えることになりました。
そこでわたしは手頃な大樹に上り、翌朝になるまで高い場所で仮眠についたのです。
わたしはネコヒト。スリープの術を使って他者に押し付けるのも、そろそろ限界です。肉体がちゃんとした眠りを欲していたようでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
人間の世界より届くまぶしい朝日と共に、わたしは眠りから目覚めました。
夜が明けています。森の底はまだ闇が支配していましたが、空に近いここは光にあふれていました。
夜明け前の魔界の森を見下ろし、続いてまた東の空を眺める。
人間の世界ではもう朝が訪れていました。
そのまぶしい世界に満足すると、最後にわたしは魔界側の暗雲に目を向けます。
実は――妙な夢を見ました。
そのおぼろげな記憶を、わたしは寝ぼけた頭でぼんやりと思い返します。
どうも釈然としませんでした。
しかし記憶に強く引っかかる、とても奇妙な夢だったのです。
「どうしたの……? 昨日はずっと走ってたから、もしかして疲れちゃった?」
「いえ、ここまで来たら走り抜くのみです。疲れているのは事実ですが」
聖女エルリアナが再び幽霊となって現れて、高いこの樹木の上で浮遊しています。
朝日に照らされた彼女の姿は若々しく、少しだけパティアの姿を連想させて、わたしの心に娘恋しさという波紋を立てました。
「でも、無理をしたらよくないよ? あとちょっとなんだから、もう少し休んでおこうよ?」
「フフ……それもそうですね。では少しわたしの話を聞いて下さい。実は、夢を見まして」
「夢……?」
エルリアナはやさしい女性です。わたしを心配して下さいました。
奇妙な夢というのは、人に語りたくなるものです。
少しばかしの問題もありましたが、包み隠さずに伝えることにしました。
「はい。妙な夢を見ました。その夢の中で、わたしは邪神となっていました」
「……ッ!?」
エルリアナの態度が鋭いものに変わりました。
どうやらわたしの推測は当たりだったようですね。
「やはりそうですか。あなたがわたしに付いてきたのは、わたしを監視するためでしょう? わたしの体の中に、邪神の破片が残っているかもしれません」
「そ、そんなことはぁ、ないよぉ……? わ、私、ただ……猫の里が見たいだけだもん! わぁー、ねこちゃん最高~。死んでラッキー? みたいな……?」
嘘が吐けない人ですね。目が泳いでいますよ。
「まあ聞いて下さい。邪神と申しましたが、夢の中の邪神クヴァトゥは、わたしの知る存在ではありませんでした。ただ女神と呼ばれる存在に恋をして、憧れているだけの純粋な魂の持ち主でした。わたしの中に、まだ破片がごく少量残っているとすれば、これは彼本来の記憶なのでしょう」
誰にでも、心が歪む前の時代があったというだけでしょう。
同情しようだなんて思いませんが、ヤツへの印象が変わったのは事実です。
「で、でも……ネコちゃんの傷口にあった破片は、全部取り除かせたよ!? そんなはずない……」
「それと一緒にですね、サラサール王の頭の中も少し見えました。彼の幼少期は誰よりも豊かでしたが、幸せとはほど遠いものでした」
それこそエルリアナは嫌悪を抱いたようです。
若いまま死んだその素顔が不機嫌に眉を歪ませて、聞きたくもないと嫌な目をしています。
「彼はとても自己評価が低く、常に別人になりたいと願っていたようです。そうすれば、次期国王の重責から解放されると思ったのでしょう。しかしそれが巡り巡って、他人の肉を喰らうことで、変身できると勘違いしていったようです」
「朝からそんな話聞きたくない」
「ええそうですね、すみません」
わたしは大樹の上で立ち上がり、軽く伸びをして疲れた身体をほぐしました。
下は暗いですが、じきに朝日が届きます。
「行きましょう。今日中に里へ帰りたいですしね」
「待って」
エルリアナの亡霊がわたしの正面に回り込み、観察しながらゆっくりと一周しました。
やがてため息を吐いて、何やら安堵したように見えます。
「邪神化が発症してない……。でもミゴーの大魔法を受けても、ネコちゃんは無傷だったし……。どうなってるんだろう……」
「それはわたしが知りたいくらいですよ。それより、うちの娘にあなたを早く紹介したいのです。うちのパティアは――」
「うっ……。ごめんなさい、娘さんの話は、もう聞き飽きたからいい……。かわいいのは、わかったから……」
「そうですか。それはとても残念ですね……」
準備完了です。急ぎの旅でなければ、いっそ牛でも一頭買って、それにまたがって帰れば良かったです。
せっかく牧草地を作ったのだから、もっとバーニィたちの努力に報いたいものです。
「う、うん……あのね、そういうの、親バカって言うんだと思う……」
「では邪神についてのわたしの見解を聞いて下さい。……恐らく、わたしたちが邪神と畏れ続けてきた存在は――元々は人格すら持たない、空っぽの何かだったのだと思います」
「空っぽ……?」
「ええ。女神に憧れるだけの空っぽの存在が、様々な肉体に憑依し続けた結果――憎悪や悪意、嫉妬といった強い感情だけが凝り固まり、継承され、あの形になったのではないかと」
わたしは返答に困るエルリアナから視線を外して、高い高い大樹より暗闇の森へと飛び降りました。
ここまで来たら今日中に問題なく帰れるはずです。
身体が重く疲れていましたが、パティアを一瞬でも早く寂しさから解放したい一心で、わたしはまだ暗い魔界の森を走り始めました。
●◎(ΦωΦ)◎●
二ヶ月以上に及ぶ不在は、隠れ里を見違えるほどに発展させていました。
耕作地を広げるために森が拓かれ、その分だけバリケードが拡張され、二階建てを含む木造の家々があちこちに立っていたのです。
わたしがいなくとも里が無事にやっていけていることに、安堵を覚えると同時に寂しさも感じました。
なぜわたしは二ヶ月も眠ってしまったのだと、後悔しました。
「その陶器のネコちゃんがここの鍵なんだね」
「ええ、上手くできているでしょう?」
「うん、不思議な力だね……。これが小さな女の子一人の力とは思えない」
「何せわたしの娘は天才ですから」
「これって、天才って次元じゃないと思うけど……。はぁ……」
また娘の自慢話かと、エルリアナがあきれた目でわたしを見ました。
いえ、ところでですが、しろぴよの歓迎がありません。
いつもならこちらの姿を誰よりも早く見つけ出し、真っ先にパティアへと報告しに行くはずなのですが……。
いくら様子を見ても、現れる素振りがありませんね。
「それにしても綺麗な里だね。ここにネコちゃんたちがいっぱい住んでるんだ……。まるでおとぎ話の国みたい……」
「フフフ……帰ってくるたびに様変わりするので、なかなか見応えがありますよ」
さっきも申しましたが、二ヶ月ぶりの里は発展していました。
広がった耕作地は壮観で、放牧地には牧草が生え揃って、バーニィたちが建てた木造住居が一挙に10軒以上も増えています。
時刻は昼前。畑や建築現場に、人々の姿が豆粒のように小さく見えました。
「おや……」
「あれ、どうしたの?」
森を進み、盆地を駆け下りようとするとそこでようやく、わたしはしろぴよの姿を見つけました。
向かいのメープルの木の梢に止まって、鳴きもせず静かにこちらを見つめていました。
何やらこちらの様子を見ているようです。
いつもなら、ぴよよと、明るくさえずってくれるというのに、おかしなこともあったものです。
「まさか、しばらく会っていなかったから、わたしを忘れただなんて言わないで下さいよ?」
「……ピヨッ」
しょせんは野生動物でしょうか。
しろぴよは小さく鳴いただけで、丸くふっくらした身体からは想像も付かない飛翔力で、里へと下りてゆきました。
「すみませんね。あれはうちの娘によく懐いている小鳥なのですが――ん、どうかしましたか?」
「あ……。う、ううん、私も珍しい鳥だったからつい……」
「ええそうですね。あのフォルムでよく飛べるものだと感心しますよ」
「あはは……それもあるんだけど、う、ううーん……?」
早くパティアに会いたい。
わたしは盆地に向けて傾斜を駆け下りて、それに付き合わされるエルリアナの悲鳴を何度か聞くことになりました。




