37-12 猫は執念深い 300年経ってもけして恨みを忘れない - 謀られた邪神 -
「本来の邪神は憑依者の肉体を奪います。ですがサラサール、あなたの場合は、少し違うようですね。邪神と心が一つになっているように見受けられます。クズとクズで、波長が合い過ぎたのでしょうか」
「貴様は、貴様はなんだ……。うっ、思い出せん。何もかも、思い出せん……俺は……」
「魔王イェレミア」
「それは、聞いたことがある……」
苦しみながら邪神は暴れ回り、わたしはそれを敏捷性のままにやり過ごして、抜け目なく弱点を探しました。
正面からは一通り貫いたはずです。ならば側面や背面からねらった場所に、ヤツのにコアがあると見るべきです。
「あなた、普通の状態ではありませんね」
魔王様の名すら忘れた邪神にわたしは憎悪を抱きました。
しかしそれを必死で抑えて、戦いに集中しています。
戦闘がこのまま長引けば、人為的な手段など用いずともヤツは自らを生き埋めにするでしょう。
それくらいメチャクチャな力と稚拙さでした。
あの時、300年前のあの時に何かが起きたとしか思えません。
魔王という存在の消滅と同時に、邪神もまた無事ではいられなかった――ということでしょうか。
「あなたは人間を滅ぼす寸前まで、その駒を進めました」
「お、俺、が……?」
「はい。もはや勝利を疑うまでもない完璧なチェックメイトとなるはずでした。あなたは魔王様の肉体を使って、人間の世界を焼き払い、数々の王朝を滅ぼした。あなたが負けるなんて、誰一人予想もしませんでした」
側面にできるだけ回って、反撃の突きを何度も入れました。
これほどまでにやりにくいとは思いませんでした。パティアのメギドフレイムがもし使えたら楽なのですがね……。
「だがある日、あなたは魔王イェレミア様と共に消えました」
「お、俺が、消えた……だと」
「世界から跡形もなく消え、それが魔王軍の敗北を招いたのです。あなたの敗北が、魔王のいない世界を生み出したのですよ。あなたは負けたのですよ、たった一夜にして」
わたしが真実を教えて差し上げますと、サラサールだった者の顔つきが変わりました。
半ば痴呆状態にあった顔付きが、今度は理性を持ったのです。しかしそれが再び怒り狂いました。
「貴様は――貴様はまさか、あの時の、ネコヒト……! おお、おおそうだ、そうだった! やっと思い出せた! 我の名は、我は魔族の神、邪神クヴァトゥ! おのれ、おのれ貴様ら、我を謀りおったなァァァッ?!!」
「生憎存じませんね。わたしは置いていかれてしまいましたので。むしろ聞きましょう。あの時、何があったのです。あなたを殺す前に、吐いてもらいますよ。わたしたちの魔王様を、あなたはどこにやったのですか」
計画にありません。邪神を前にして欲が出ました。
わたしは魔王様の行方を知りたい。魔王様を取り戻したい。魔王様さえ帰ってきたら、魔界の三派閥も怠惰な魔王様の指揮下となる。
「黙れ!! よくもよくもよくもっ、我の本体を封じてくれたなっ!! イェレミアめっ、クーガとかいう狂った虫けらめっ!! やつら、この我を、謀りおってっ、よくもっ、よくもっ、貴様ら下等生物のくせに、この創造主クヴァトゥを!!」
それは最初からわかっていたことでした。
魔王様は、やはり自らの意志で、あの戦いの幕を引いたのです。
魔王様はやさしい方でした。分け隔てなく人間すらも愛していました。今ならわたしも理解できます。
「あなたの事情なんて知りませんよ。それより魔王様はどこに行ったのです」
「異界だ!! ヤツは肉体の存在しない空っぽのアストラル界に、我ごと自分を封印したのだ!! 許すまじき愚考だ!! 神に逆らう王など、あってはならぬ!! 我は魔族の創造主なるぞ!!」
深く落胆しました。
それはつまり、あの美しかった魔王様の肉体はもうないということです。
アストラル界には肉体を持っていけません。
仮に魂だけ取り返しても、もうそれはわたしの知る魔王様ではないでしょう。
魂こそが器で、肉体こそが魂だと、急にゾエの迷言が頭の奥で反響していました。
「そうですか。ではもう生かしておく価値すらありませんね。今度はクーガと魔王様ではなく、わたしがあなたをこの世から消滅させましょう」
「奴隷種が思い上がるな! 貴様らネコヒトは、我が奴隷の奴隷として生み出されたのだぞ、ハハハハハハ!」
「あなたみたいな欠陥品の神に言われても響きませんね。あなたがもし完璧な存在だったら、わたしたち魔族も完璧だったでしょう。ですが、そうはなっていません」
「ッ……だ、黙れ黙れ黙れ! 己の未熟さを神のせいにするか未熟者め!! そんな欠陥品は、消してやる奴隷種めが!!」
怒り狂う邪神の攻撃をわたしは苦もなく避け続けました。
魔王様に宿ったあの時とは違います。ヤツが今宿っているのはただの人間です。
全てを焼き払うメギドフレイムどころか、下級魔法すら使えないようでした。
「わたしの名はベレトートルート・ハートホル・ペルバスト。今や世界にただ一人、イェレミア様に忠誠を誓う、魔王最後の僕です。わたしがあなたを滅ぼします。イスパ様、クーガ、魔王様に忠義を尽くした全ての魔族に代わって! ウェポン・スティール!!」
洞窟の内部には、無数のショートソードを仕込んでおきました。
それを全て我が物としたわたしは、邪神を剣で取り囲む。それは破邪の剣とはほど遠い、何の変哲もない兵士の剣です。
「お……おい、その力は、なんだ……!? や、止めろ、その力はまずい、止めろ! 己たちの創造主を殺す気かッ、貴様ァァァッッ!!?」
「刃よ、不完全な神を貫きなさい! 邪神に、女神の天罰を!!」
百の剣が神と呼ぶにもおこがましい怪物を貫きました。
いくら巧妙にコアを隠そうとも、剣という剣に全身を串刺しにされてはどうにもなりません。
苦し紛れにサラサールだった鬼から、コアとおぼしき黒い石が口から吐き出されました。
「エルリアナッ、本懐を果たしなさい!!」
それを聖女の力が宿ったレイピアで貫きました。
すると邪神のコアはたちまちひび割れて、黒い瘴気を放ちながらも、汚い泥と化して地に落ちて土へと還りました。
「ふぅ……愛用の一品だったのに、汚い者を斬ってしまったせいで台無しです……。捨てますか……」
レイピアは邪神のコアで腐食して、刀身の半分がなくなっていました。
残ったのは朽ちたレイピアと、食人鬼王サラサールの亡骸です。
『す、捨てないで! 私まだ宿ってますっ、ちゃんと持ち帰ってくれないと困るよぉっ!』
「レイピアからさっさと出ればいいでしょう」
『そんな簡単に入ったり出たりできるわけないよぉ……!』
「しかし魔族であるわたしが聖女を助ける理由もありませんしね……。いえ、冗談ですよ?」
『ぅぅ……冗談に聞こえなかったよぉ……』
仕方ないので腐ってカッコ悪いレイピアを腰に戻して、わたしは洞窟を出ました。
サラサールが死んだ以上、パナギウム王国の暴走もこれで止まるはずです。
「ん……」
『えっ、ちょっと、どうしたの、猫ちゃんっ!?』
「すみません……。やはりレイピアから、出て下さい……これは、外まで、歩いて行けそうも、ありません……」
戦闘に夢中で、傷を負ったことに気づきませんでした。
変です。いつこんな傷を受けたのか、身に覚えがありません……。
わき腹に何かが突き刺さり、わたしは下半身を血塗れにしていたようでした。
『大変……急いで人呼んでくるよっ! 猫ちゃんっ、がんばって、しっかりして!』
「困りました……。これでは、約束、守れませんね……」
パティアへの深い罪悪感を覚えました。
もう一度会いたいと思いました。
こんな無茶な要求、断れば良かった。
ですがそれら全ての感情も、ある結論に至りました。
悲しむ必要も、死を怖れる必要すらありません。
なぜならわたしは絶対に死なないネコ。エルリアナの言葉が真実ならば、わたしはこの後、蘇るのです……。




