37-12 猫は執念深い 300年経ってもけして恨みを忘れない - 悪王 -
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ノトゥンランドは緑の大地に姿を変えていました。
邪神に焼き払われた陰惨な過去も、もはやこの地に住まう者にとっては300年も前に起きた昔話です。
今となってはさして注目されることもなく、例えば暇な老人から教わる程度の、ちっぽけな歴史の一部に過ぎないようです。
魔界側とはまるで異なる光輝く大地を、歴史の世界から来たネコヒトはぼんやりとただ見つめていました。
それからほどなくして、青く澄み渡った空にのろしが上がるのを確認すると、わたしは洞窟の内部へと移動しました。
爽やかで早くも初夏の匂いのする世界から、一変してかび臭く空気のこもった世界へと、憎しみの記憶と共に身を沈めました。
これから決戦に入るというのに、今一つ実感が湧きません。
隠れ里での穏やかな生活がわたしから闘争心を奪っていました。
パティアの笑顔や、わたしの不在に寂しがる姿が頭に浮かび、暗殺者はそれを思考からかき消す。今は必要のない感情です。浸れば勘を鈍らせます。
ゆえにただただ静かに、イスパ様を恐喝し、世界の半分を焼き払い、魔王様を苦しめ弄び、最後は破滅させた憎い怨敵への憎悪を、追憶と共に練り固めました。
邪神。わたしたちの神。できそこないのろくでなし。神と呼ぶにはあまりに不完全な存在を、わたしはこれから倒します。
暗闇の洞窟の中、光る瞳を閉ざして、かつて弱かったネコヒトは邪神を討つチャンスを待ちました。
ここはとある平原にある洞窟です。
洞窟内はヒカリゴケがぼんやりとした明かりを灯すだけで、通常なら人の顔を判別することすらできないほどに暗い。
高い湿度が毛皮を持つ者を不快にしました。
得体の知れない洞窟の生き物と共に、わたしは気配を絶ち続けました。
今のわたしはエレクトラム・ベルではありません。魔王の僕ベレトートです。
歴史から消えていった者たちの無念、魔王様を失って嘆き悲しんだ古い魔族の苦しみ。その全てを、わたしがヤツに叩き付けます。
計画通りならば、ここに邪神を宿したサラサールが現れます。
ご存じの通り餌は軍総大将にあたる国王。それを追ってサラサールが姿を現した後は、入り口を崩落させる段取りです。
ノトゥンランド王はそのまま真っ直ぐに洞窟を進んで、外へと抜けます。
わたしの方はここに残り、サラサール王を、邪神を討つ。そういったシンプルな計画でした。
もしも……もしもパティアが魔王様に近しい存在ならば、魔王様がきっと過去にそうしたように、この世からヤツを消さなければなりません。
邪神がパティアという肉体に気づけば、300年前の悲劇が繰り返されます。
わたしの娘に、絶対に手出しはさせません。出会ってはならない者たちが出会う前に、ここでヤツを滅ぼします。
魔王様の消滅を招いた最悪の神に、己のしたことの報いを受けさせるのです。全てを見届けて来たわたしには、それをする義務があります。
するとその時、洞窟に慌ただしい足音が響きました。
そこでわたしは立ち上がり、自らにハイドをかけて、続いて切り札のナコトの書を開きました。
ノトゥンランド王はわたしに気づきませんでした。
わたしの隣を素通りしていきました。
声をかけたくなりましたが、サラサールと邪神に気づかれてはなりません。
命がけの陽動を選んだ王者をわたしは流し目で見送り、それから陰に潜んで、レイピアを手に入り口の方角を睨みます。
やげて、その鬼がついに現れました。
洞窟に国王を追いつめたと思い込んだのか、余裕の足取りで、サラサールだった者が現れました。
「男の肉は不味いけどなぁぁ……お前の娘は美味そうだなぁぁ……ハハハハハハ、もう逃げ道はないぞぉ? 後はな、俺に、頭から食われるだけだ。お前さえ喰らえば、俺が人類の王できまりだなぁ、ひひひっ、ああ、今日は気分がいいなぁ! ジュルル……」
その悪鬼はまるで牛のように巨大でした。
牛に見えたのは四つ足で地をはう、角のある巨大な悪鬼だったからです。
口から女の長い髪をたらして、歯に引っかかったそれを名残惜しむように噛み、それでも切れない丈夫さに愉悦し、シーシーと下品な音を立てて歯をならしていました。
最悪の存在に、最悪の神が乗り移ったのです。もはや嫌悪しかありません。
よってその怪物の額に、エルリアナの対魔の力が宿ったレイピアを、ネコヒトは奇襲の一撃として突き刺してやりました。
「なんだ、てめぇ……。い、いいいつから、そここここ……れ、れれれれれ……?」
「やはりこの程度では死にませんか……」
「あ、頭、刺……て、てめめめめめめうぇぇっっ!?」
サラサールの頭、心臓、肺、肝、胸部と脚部大動脈、両手および前足の間接部を神速のレイピアで貫きました。
それでも怪物は死にません。いくら突いても突いても、ヤツの傷がふさがってゆきました。
「あなたの返り血を浴びるくらいなら、どぶ川で毛繕いした方がマシです……。死体に群がるウジ以下のクズめが、です」
「お、おおおお……覚えて、いるぞぉぉ……おま、おまえは……この臭い、あ、あのときの……お、俺の、肉、泥棒……テメェェェェェェーッッ、イテェじゃねぇかよぉぉぉぉ!!!」
死なない。どうやってもサラサールは死なない。
人肉喰らい狂人は、破壊されたはずの脳で思考して、怒り狂って、わたしに憎悪を向けてきました。
『突いて突いて突きまくって! どこかに邪神のコアがあるはずです! それさえ破壊できたら……!』
エルリアナの提案に従って、わたしは悪王サラサールを蜂の巣にしました。
返り血が白い毛皮を汚しました。それでも死なない。ヤツは精神も肉体も全てが怪物になり果てていました。
いくら貫いても、それらしい感触にたどり着けません。
骨の内側に隠れた、例えば背骨の裏側や、骨内部に邪神のコアがあるとすれば、厄介極まりない。
ダメです。今いる場所からバックステップしました。
悪鬼の爪が非人間的な動きで振り下ろされて、岩盤の地面をバラバラに破壊していました。
その騒音がきっかけとなって、別働隊が作戦通り洞窟の入り口を崩落させたようです。
これでサラサールの後ろに退路はありません。
必要とあれば、外の者たちはもう一方の出口も崩落させて、邪神をわたしごと洞窟内部に封印しようとするでしょう。
「あのシスター、美味そうだったのに、てめぇ……許さねぇぞ!! 足の指から、順番に、骨も残さず喰らってやるよっ!!」
「ネコヒトを食べるだなんて、ゲテモノ食いにもほどがありますよ」
剣のように長い爪が暴れ回り、洞窟の岩という岩を切断しました。
簡単には倒せないと思ってはいましたが、これはとてつもなく強いです。早速ですが己ごと生き埋めという、最終プランが頭に浮かんできました。
「クークルス……そうだ、シスター・クークルス! あの女、マジで美味そうだった……清らかで、疑いを知らなくてよ、それが……それが絶望に染まり、生きながら俺に喰われるところを、俺は今でも夢に見る……ああ、喰いてぇ、あの女、喰いてぇ……!」
殺したい。殺したいのに死なない。困りました。
この怪物を野放しにすれば、シスター・クークルスが、わたしたちの里に危険が及びます。消さなければなりません。
「それだけですか? わたしなんかのことは、もう忘れてしまいましたか?」
「は……?」
「絶望に苦しむわたしを、あなたは随分と楽しんでいたように見えましたが。おや、ついにボケましたか。300年前のことすら、あなたは忘れてしまいましたか」
「300年……俺は、そんなに生きて……。いや、俺は……俺は……俺は誰、だっけ……」
よく観察してみればどうにもおかしいです。
サラサールは邪神に肉体を奪われたようには見えません。いえむしろ、共存しているように見えました。
何度も何度も誤投稿したやつになります。
いつも誤字報告ありがとうございます。よろしければ感想も下さい。
再三ですみませんが、30日に「俺だけ超天才錬金術師」の書籍版一巻が出ます。
本作とは作風が少し違いますが、キレのいいコメディに仕上がっていますので、応援して下さい。




