37-10 絶対に死なない猫と不死身の英雄の真実
「あの、私を恨んでは……」
「いませんよ。あなたは恨みようがないくらい、ただの小娘にしか見えませんでしたから。あのクーガも邪神を倒そうとしただけですからね……。肉を裂かれ、肺を潰され、何度焼かれても立ち上がる彼は、姿と気質はともかく、不屈の英雄でした。恨んでなどいません」
わたしがそう返答すると、聖女と呼ぶにはちっぽけな女が安堵しました。
バタヴィアが当惑していた理由もわかりました。これが自分たちが崇める聖女だとは、とても信じがたいのでしょう。
「良かった……。あ、では本題に入ります。これから私たちが倒す相手、サラサール王には……邪神が憑依しています」
「なるほど。それで今さらあなたが現れたと」
「ご存じでしょうが、邪神は憑依した対象に想像を絶する力を与えます。無策で戦うのは、貴方でも無謀です……」
「いえ、それよりつまらない有り体の言葉ですみませんが――あなた、なぜ生きているのです。それも300年前そのままの姿を保って」
クーガの背後には彼女がいました。
邪神と戦う役割でも担っているのでしょうか。いくらなんでもここで現れるなんて、タイミングが良すぎます。
「まさか、本物なのか!? こんなおチビちゃんが、あの聖女エルリアナなのか!?」
「あの……すみません、こんなチビで……。へくちゅっ……!」
「そういえばあなた、ネコヒトアレルギーでしたね」
誰かが化けるにしても、アレルギーまで模すなんて芸が込みすぎです。
それと、クーガに何度も見逃されたの思い出しました。
クーガはその気になれば、わたしを殺せたのに殺しませんでした。思い出したら腹が立ってきました。
「いえ、私はネコヒトアレルギーではなく、猫全般がダメなんですよ……」
「そうですか。ですが猫と、ネコヒトは分けて考えて下さい」
「あ、はい……わかりました。ではそうしますね。というより、あの、なんでしょうか……?」
今もバタヴィアの凝視がエルリアナを貫いていました。
バタヴィアはこれでもかと三白眼なので、凝視されると怖いものです。聖女様も戸惑っていました。
「いや、信じられん……。それでつい凝視してしまうだけで、別に他意は……」
「黒鬼のクーガも、ただの少女エルリアナも、あなたたちが勝手に崇めて、勝手に人物像を歪めて、国の名前に使っただけでしょう。ありのままの彼女を見ればいいだけです」
「簡単に言ってくれるな」
「聖女だなんて言われると、私、落ち着かないです……」
しかしそこでわたしは気づきました。
クーガ。そう、クーガです。
クーガの持っていた不死身の力は、この小娘が与えたものでした。
「提案があります。わたしをクーガのように不死身にして下さい。邪神に勝って、わたしが里に帰るためにです」
「フフッ……絶対に死なない猫の発言だと思うと、可笑しな話だな」
バタヴィアが笑うのももっともです。
しかし邪神がサラサールの身を借りて復活したのなら、変な悪足がきをされる前に始末したい。
ところが不服だったのか、エルリアナは首を横に振りました。
「あの力はもうないです。というより、クーガに持ち逃げされちゃいました」
「おや、そうでしたか」
クーガも魔王様もエルリアナも皆同じです。ある日突然姿を消しました。
わたしを置いていったいどこに行ったのか存じませんが、しかし魔王様の行方を、この少女が知っている可能性がありました。
魔王様を取り返せるならわたしは、このまま里に戻れなくてもかまいません。
わたしの代わりに魔王様があの里を治めてもいいくらいです。
「エルリアナ、大切なことを聞きます。魔王様は――」
「300年。少し賢くて優れた演奏家程度だったネコヒトが、300年も生きました。おかしいとは思いませんでしたか……?」
ところがそれは返答の拒絶なのか、エルリアナが静かな声色で、わたしの言葉を上書きしました。
「ええ、思いましたよ。きっと消えた魔王様が、わたしを守って下さっていると、そう思うことにしました」
「では、それとは別の可能性も、考えましたか……?」
「まさか。他にカラクリなんてあるわけが――」
わたしの言葉はそこで途絶えてしまいました。
別の可能性が、今さらになって頭に浮かんだからです。
というよりも、どうして300年間、こんな単純なからくりに気づかなかったのでしょうか。
ですがなぜ、あの男が、わたしなんかを。わかりません……。
「そうです。魔王の楽士ベレトートが300年間、絶対に死ななかった本当の理由。それは、クーガが勝手に、不死身の力を貴方に又貸ししたせいです」
「ま、待ってくれ! 英雄クーガが、魔族に力を与えたというのかね!?」
そう、だから信じられませんでした。
そんなことがあるはずがない。人間が魔族に、それもちっぽけな最弱のネコヒトに、英雄の力を与えるなんて、普通に考えればおかしいのです。
「事実は事実です。貴方は絶対に死なない猫ではありません。死んでも生き返る猫です。100万回死んでも、あなたは100万1回生き返る。あなたを守っていたのは魔王イェレミアではありません。クーガです。……ふぇ、ぅ、ぅぅ、もう、限界っ、へっ、へくちゅっ!」
とても大事なところでクシャミが飛びました。かわいいクシャミでした。
まあクシャミはさておき、彼女の言葉には身に覚えがありました。
例えば大地の傷痕に突き落とされたあの時、わたしはもしかしたら、普通に転落死していたのではないのかと。都合の良い悪運の正体が、あの死んでも生き返る力だとすれば理屈が通ります。
「あなたの言葉を信じるとして。なぜ彼は私を不死にする必要があったのでしょう」
「それは私も知りません……。勝手に又貸しされて、あの時は凄く困りました……」
「それは大変でしたね。ですが今さら返しませんよ。わたしはもっと長く、図太く生き続けます。それより魔王様――」
「そっちは知りません」
質問に対して即答の拒絶をされました。
絶対に答える気はないという、強い意思を感じてわたしは微かな怒りを覚えました。
「嘘ですね、クーガの隣にいたあなたが知らないはずがありません。あの二人はどこに消えたのですか」
「知らないものは知らない。私も、クーガに騙された側です……。でも、騙されたのは本当だけど、クーガ一人の犠牲で、邪神も、魔王も、存在しない世界が生まれました」
そうですね、人間にとっては都合の良い結末になりました。
ですがわたしたちにとっては悪夢です。崇めだけで夢見心地になれる理想の主、魔王を失ったわたしたちは常に不幸でした。
「片方が復活してしまっていますがね。この時代ではどうしてくれるのです、エルリアナ」
「私はどうもしないです。ベレトート、貴方がクーガの代わりになって下さい」
「それはまた、恐ろしい要求をしてくれますね……」
「ごめんなさい……。でも、これが確実です。メギドフレイムに焼かれても生き返った、クーガの戦い方をして下さい……。邪神だけは、この世界から排除しなければなりません……。でないと、女神様に申し開きできません……」
不死身だと言われても信じかねました。
自分の肉球付きの手を眺めても、ただのネコヒトにしか見えません。
まあどちらにしろ、わたしはサラサール王暗殺を指示された側です。
倒せば魔軍穏健派はネコヒトの民をくれるという。里で保護すれば、争乱の世界から同胞を守れます。
「やることは結局変わりません。邪神とサラサール、二つの最低のクズに引導を渡す。一石二鳥です。ですがわたしはわたしのやり方でやります」
「ですが……。いえ、では、そのレイピアに対魔の力を授けます。バタヴィアさん、後はよろしくお願いします」
エルリアナがバタヴィアに丁寧なお辞儀をすると、世界から聖女が消えていました。
エメラルドの光となって、聖女がレイピアに吸い込まれていったのです。
納得です。姿が当時と変わらなかったのは、奇跡の力で己を若く保ち続けていたのではない。もう終わっていたのです。
「エルリアナ様はもう肉体を持っていない。英雄クーガと共に世界を救った後に、人知れず暗殺された。そして教会と、エルリアナ法国が生まれたそうだ。私たちの教えは、裏切り者どもが築いた偽典だったのさ……」
「平和が訪れた途端に権力争い。どこにでもよくある話です」
腰のレイピアを抜いてみました。
外見の変化はありません。しかしただならぬ力を感じます。対魔という具体性に欠ける効果を与えられたところで、平凡なわたしごときには想像が及びませんでしたが。
刀身に軽く触れて折り曲げても、雰囲気以外はいつも通りです。
「あの、もうちょっと触ってくれませんか……?」
「おや、そうですか」
「はい。ベレトさんの手、ふかふかしてて気持ちいい……。死んで、一つだけ得したことがあります。ネコアレルギー、治っちゃいました……♪」
「れ、レイピアが喋っている……」
インテリジェンスソードというのは、剣士として憧れなくもありませんでしたが、実際に手にすると扱いに困るものですね……。
持っているだけで、気恥ずかしくなってくると申しますか……。
「さっきから、クシャミしていたように見えましたが?」
「この姿なら平気なんです!」
「それはどういう理屈なのですか……。霊体なのにアレルギーも何もないでしょう」
「そうなんですけど、出ちゃうものは出ちゃうんです……っ。ああ、それより、ベレトさんの手、気持ちいい、ふかふか……」
私の娘には及びませんが、聖女エルリアナはふかふかした物が大好きな獣フェチでした。
こんな真実、300年かけてまでして知りたくもありませんでしたよ。
ごめんなさい!
また投稿するエピソード間違えていました、差し替えました!




