37-4 絶対に死なない暗殺者
しろぴよが青い糞をした翌日の昼過ぎ、色々とあってわたしは城の見晴らし台に上がって、この小さな里を一望していました。
大きな畑に水路、整備されたバリケード、放牧地、大小の家々にダンの築いた月光石の道が見えます。
最初にここへと逃げ込んだときは、こんなに拓けた情景が見られるだなんて、まさか夢にも思いませんでした。
わたしとパティアが出会い、そこにバーニィがやってきて、リックが加わり、シスター・クークルスを盗んで、蒼化病の子供たちを保護して、あれよあれよとこの有様です。
ここならばパティアは歪むことなく健全に成長するでしょう。
例えわたしが里からいなくなったとしても、バーニィとクークルス、リセリにジョグ、リック、多くの者が正しくパティアを育ててくれます。
そういった結末は寂しいですから、できるだけ避けたいですがね……。
それからもうしばらく里を眺めていると、やっと待ち人がここにやってきました。
「待たせたな、ネコヒトよ。呼び出されるならリックちゃんやマドリちゃんが良かったぜ」
「構いません。それよりわざわざすみませんね」
「お、おう……。なんだ、いつもとなんか違うな、どうしたよ?」
いつもならヒンヤリ冷たいツッコミを入れていたところです。
バーニィはすぐにわたしの様子に違和感を覚えて、微笑みを真顔に変えました。
「あなたに伝えておかなければならないことがあります」
「ははは、イヤに真剣だな。マドリちゃんの件でもう肝が潰れてる、何言われても驚きゃしねぇよ」
それでもバーニィはちゃかすような性格です。
ヘラヘラと笑顔を作り直して、自分の失敗を道化芝居に変えました。
「あなたにも関係のある話です。それとシスター・クークルスあたりにも」
「俺とクークルスちゃん? まさか、パナギウム側でまた何か起きたのか……?」
バーニィにだけは、外の情勢の一部を伝えてあります。
彼はわたしの、まあ相棒のようなものですし、誰よりも里を大切にしています。
なので隠し事をするよりも、相談役になってもらうことにしていました。
「ニュクスが――魔軍殺戮派が北部ギガスラインを落としたのはもう聞かせましたね。しかしそのニュクスと、あろうことか手を結んだバカ者がいます」
「魔将ニュクスか。魔族でもブッチギリの最強に最狂、って聞いたな」
「ええ、そしてわたしは、ニュクスと組んだソイツを、殺して来いと、要求されてしまいまして」
暗殺を命じられたと聞いて、彼の顔色がやや不機嫌に変わりました。
バーニィは里のことで頭がいっぱいです。
わたしが抜けることでの帳尻合わせを計算するのも、いつだって彼の役割でした。
「誰にだよ」
「魔軍穏健派のサレ、それとあなたの古巣ですよ」
わたしの返事がバーニィを苛立たせました。
目線を外して、それから放牧地にたたずむ二頭の馬たちを眺め始めたようです。
馬は自由の象徴です。
肉体の限界に縛られたわたしたちに、限界を越えた速度とスタミナを与えてくれます。
バーニィはわたしの返事だけで、誰の暗殺命令が下ったのか、すぐさま理解してしまったようでした。
「サラサールを、殺せと言われたのか……?」
「声が大きいですよ」
「ああ、悪い……。ガキどもに聞かせるわけにはいかねぇな……」
「わたしはこの要求を、飲もうと思っています」
「なんでだよ……?」
バーニィがまた馬に目線を戻しながら、わたしに聞きました。
わたしの判断に文句があるようです。
「まさか脅されたのか? お前さんらしくねぇだろそういうのはよ。いちから説明しろ」
「ならば端的に申しますと、サラサールが人類を裏切りました」
「はぁっ!?」
「北部ギガスラインに援軍を一兵も出さず、あろうことか東の自由国境地帯を侵略しました」
あきれと怒りのあまりでしょう。バーニィはわずかな震えと共に黙り込みました。
誰もが予想もしなかった展開です。とても言葉だけでは信じられない話でした。
「それを止めるために、穏健派とパナギウムの騎士団が軍事同盟を組みました。ところが守りが薄くなった南部ギガスラインに、正統派のアガレスが進軍を始めました」
情報の爆弾の数々がバーニィをさらに黙り込ませます。
彼は計算高い男ですから、得た情報を噛み砕いて、この先の未来を予想するのに専念していました。
「この隠れ里をのぞく、世界のほぼ全ての場所で、戦争が起きているということですね。しかもサラサールの裏切りと北部ギガスライン陥落のせいで、最悪の様相です」
「まいったな……。キシリールがこのこと知ったら、絶対戻るって言いやがるだろ……」
「そうです。元軍人のハンスやパウルも少しばかし怪しいところです」
「だからって、お前さんがバカどもの尻を拭うのか? 自己犠牲なんてらしくないぜ!」
「ええ、ですが。わたしはパナギウムより大切なものを預かりました。その返却を拒んでいるのです。返す気がないなら、代わりに戦え。それがあちら方の要求です。さすがのわたしも、国王の暗殺は初めてです。生きて帰ってこれるのやら……」
やはり気がかりはパティアです。
かといってこの状況を見過ごせば、後でとんでもないツケになる可能性を秘めていました。
「何を預かったんだよ?」
「秘密です。きっと彼女も、あなただけには知られたくないはずです」
「彼女……? クークルスちゃんか? いや違うな……ああ、なんだ、そういうことか。なぁ、それよりよ、どうしても行くのかよ? 外のごたごたなんて無視しようぜ」
マドリの真実を知ったことで、バーニィにヒントを与えてしまいました。
これはもう感づいていますかね……。騎士アルストロメリアが偽りで、ハルシオン姫が真実であることに。
「そうも言ってられませんよ。争いがこのまま激化すれば、あなたの大切なタルトが死ぬかもしれませんよ?」
「おい、別にアイツは――」
「ニュクスが勝利すれば人間は根絶やしにされます。そうなれば、この結界の中の人間もただでは済みません。しかしサラサールをわたしが止めれば、ニュクスの一人勝ちを回避できるはずなのです」
あれは自ら殺戮派を生み出し、200年間も志を変えずに戦い続けてきた怪物です。
わたしが彼を殺すことなどできないにせよ、止めなければなりません。
「この里とパティアをお願いします。もしわたしが帰らなくても、あなたならわたしの代わりに、この地を守り抜いてくれると信じていますからね、任せましたよ」
「縁起でもねぇこと言うなバカ、絶対に戻ってこい」
「おや、止めないのですか?」
「止めたところで行くだろ……。なら行ってこい、それと今夜は宴会にしようぜ! いやしかし、このことはリックちゃんにも秘密にしねぇとな……」
こうしてわたしたちはそれぞれの役割を確認し直して、決意と覚悟を新たにするのでした。




