35-7 ネコは異端の錬金術師を救い出す - 異端尋問 -
里の外側のことなどわたしはどうでもいい。
人間と魔族、国と国、派閥と派閥は今日まで、けして終わりのないシーソーゲームを繰り返してきました。
もうそんなものはお腹一杯です。
このことを知れば、ハルシオン姫とキシリールは必ずこの国に戻ると言い出すでしょう。
そして戦乱に身を置いて死ぬか、戦後の権力争いに巻き込まれて死ぬか、運良く生き延びても、これまで通りの人生と人間関係を確実に失います。
しかしわたしに彼らを引き留める権利はありません。そこがまた気に入りません。だからわたしは、クレイをただ無言で睨み続けていました。
「怖いにゃ、何か言ってにゃ……」
「サレと通じて、こんなことをして、わたしが良く思うとでも思いましたか?」
司祭と騎士団長に聞こえぬよう、わたしはクレイを屋根裏のすみに引っ張りました。
「だけど必要なことだにゃ。大先輩に嫌われるのは悲しいにゃ。でも見過ごせない情勢になったのは事実だにゃ」
「だから彼らを巻き込むと? あの二人が死ぬことになりますよ。あなただって打ち解けていたではないですか」
「仕方ないにゃ……。サレも、みゃーも、あそこまでのバカ王だとは思わなかっにゃ……」
「あなたは薄情な人ですね。私は正義だの大義などそういうのは、もうお腹いっぱいですよ」
話を打ち切ってわたしは司祭の前に戻りました。
ハルシオン姫とキシリールの笑顔が頭から離れません。
あの二人が里からいなくなるなんて、わたしは絶対嫌です。
バーニィもパティアも、誰だって嫌に決まっています。麗しの騎士アルストロメリアが奏でるバイオリンが里から消えて無くなるのです。少なくともわたしには苦痛でした。
「ところでハルシオン姫様へのお手紙、どうするにゃ?」
「書き直す。ホルルト殿、ここは連判にしよう。少し待ってくれ、彼と話し合いたい」
クレイが連絡員の役割を果たさなかったら、他の者が手紙を運んだでしょう。
もしかしたらパティアが勝手に里の結界を出たところで、サレの手の者と接触してしまったかもしれません。
サレにパティアの存在を気づかせるわけにはいきません。
ハルシオン姫とキシリールを返さなければ、今後里へと、余計な騒動が舞い込むでしょう……。
「ああその前にお願いがあります。どうでもいいことかもしれませんが、1つ用件が残っていまして、そちらを先に聞いて下さい。実は、友人がここに捕らわれているようでして、彼女を解放してやってはくれませんか?」
「大先輩の友人なら、にゃーともまぶだちだにゃ。一度会ってみたいにゃ」
「フフフ、では彼女の面倒をわたしの代わりに見て下さいね」
「任せてほしいにゃ!」
こんな状況ですが、アレを助けておかないと非常に寝覚めが悪い。
司祭と騎士団長がこちらに顔を向けて、わたしの言葉の続きを待ちました。
「ゾエという女がここにいるはずです。彼女を魔界の奥地に追放していただけませんか? 彼女としても、王都で火炙りにされるよりはまだマシでしょう」
「昼に異端尋問官が捕らえたアレか……」
一瞬騎士団長が疲れた顔をしました。
ホルルト司祭も難しい顔を浮かべています。あの大騒ぎを見ていればそうなるでしょう。
「エレクトラム殿、異端尋問官には私も手を出せません。そこですみませんが、鍵をお渡ししますので、あなたの方でどうにかなりませんかな……?」
「場所は?」
「地下牢です。案内させますので、そこから先はあなたの手で……」
「わかりました。手っ取り早いですし、そうさせていただきましょう」
わたしの懸念は、ゾエが余計なことを言わないかという部分です。
とにかく不安なので、一刻も早く脱獄させた方が良い。アレは常人の五倍に匹敵するお喋りですからね……。
「クレイ。このままわたしに付き合うか、一人でヘザーの店に帰るか。どちらかを選んで下さい」
「今はここを動けないにゃ。ホルルト様に後で合流地点に送ってもらうにゃ。みゃーは今、外交官でもあるからにゃー♪」
「言ってなさい。あなたほどうさん臭い外交官なんて、世界広しと言えど他にいませんよ」
「サラサールのバカがホントに東進したら、魔界もただじゃ済まないにゃ。巻き込まれる前に、故郷のみんなもどうにかしてあげたいにゃぁー?」
「それは――一理あります。里のお魚事情が、また悪化してしまいますがね……」
こうしてその後、わたしはホルルト司祭の命を受けた寡黙なシスターに案内されて、大聖堂地下大監獄に下りるのでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
そこはすえた悪臭のする薄暗い空間でした。
どこもかしこも色彩に乏しい世界で、あるのは石の灰色か、鉄の鈍色だけです。松明は暗く、老朽化が進んでいることもあってか、悪魔でも出てきそうなほどに不気味でした。
先ほど立ち去ったシスターによると、前司祭が失脚してからは全く使われなくなったそうです。
聖堂に働く者たちの中では、無念の邪異教徒が徘徊しているだの、小さな怪談話まで生まれていました。
「ウギャーーッッ?! な、何をするのだねっこの大天才にっ、君はっ、何をっ、ギャーーーッッ!!?」
ポイントも大まかに聞いたのですが、この様子だと声を追った方が早そうです。
間違いなくそれは錬金術師ゾエの声、わたしは足音を消して現場に急行しました。
するとある閉じられた牢獄の中に、鎖に両手を吊されたゾエと、無貌の仮面と法服を身に付けた、異端尋問官とやらを見つけました。
敵の周囲に護衛の姿はありません。感づかれないようにわたしは|潜伏魔法《》ハイドを発動させながら、牢獄の鍵を開けました。
「悪魔め! 白状しろ、お前は悪魔だろう! 偉大なる聖霊よ、この者より悪を退け給えっ!」
「ひぃぃーっ、痛い痛い痛い痛い、このままじゃ死んでしまうよ君ィィィィッッ?!!」
何をしているかと思えば、無数の針をゾエの手足に刺しては謎の印を空中に刻んでいました。
エクソシストと呼ばれるうさん臭い連中の真似事でもしながら、ゾエを楽しそうにいたぶっていたのです。
「悪魔よ退け! 邪悪なる地獄の先兵よ立ち去れ!」
「我が輩は悪魔ではない大天才錬金術師にして、ネクロマンスワァーッだ!」
「黙れこの異端者! 出て行かぬというならば、その肉体という檻を破壊する他にない! それでもいいのか悪魔よ!」
「良いわけが無いじゃないかっキミィィーッッ!? ひっ、ヒギャァァァーッッ!?」
急に助ける気が薄れてきました。
しかし異端尋問官が新しい針を取り出して、それをゾエの爪先にチラつけ始めました。あれを爪の間に押し込まれたら、痛いとかギャーじゃ済みません。
「もし、尋問官様」
「なんだ、今良いところで――ウグゥゥッッ?!」
これは拷問道具の一つでしょう。
分厚い石版をアンチグラビティの力で軽量化して、それを相手の頭上に振り下ろしながら術を解除して投げ捨てました。ゴンッと鳴ったようですよ。
「ひぃひぃ……た、助かったのである……助かったぁぁぁ……っ! って、なんだねチミはぁぁっ?!」
「助けて差し上げたのにご挨拶ですねゾエ。私をお忘れですか?」
尋問官は昏倒しました。全く手加減しませんでしたが、残念ながら一応息をしているようです。
わたしはいつものローブのフードを下ろして、鎖に繋がれたゾエと見つめ合いました。
脂汗まみれの酷い顔です。髪もボサボサで――いえ、元からこういうだらしない髪型だった気もしてきました。
「ワァオッ! キッキキキキキッ、君は我が輩のファン! エレク――」
「やかましいです」
誰かに気づかれたら面倒でしたから、レイピアを突きつけてゾエを黙らせました。
「来てくれるなんて我が輩感激ぃぃぃっっ!」
「はぁ……。こちらも大変な状況なのですがね、特別に助けて差し上げますよ。あなたが余計なことを言う前に」
万一、ゾエからパティアと、エドワード・パティントンの研究に行き着かれたら非常に困ります。
わたしは借りた鍵を使ってゾエの拘束を解いて、手足に刺さった痛々しい針を抜いてさしあげました。




