35-6 史上最低の狂王
タルトの手により、会談は無事取り付けられました。
こうして翌日の昼前、わたしとクレイはサラサールを貶めたあの大聖堂に入り、いつもの屋根裏部屋に導かれたのでした。
入室するとホルルト司祭と、礼装を身にまとった騎士団長とやらの姿がそこにあります。
つまりはバーニィとキシリールの上司です。話通りの初老の男で、位は騎士にして子爵の地位にあるそうです。
「うちの者がわがままを言ってすみませんね、マイヤー騎士団長。初めまして、エレクトラム・ベルと申します」
「またの名を、魔王の楽士ベレトートルート・ハートホル・ペルバスト。バラしちゃいましたみゃーは、クレイですにゃ」
即わたしの偽名をバラすバカがどこにいるのですか……。
とはいえホルルト司祭には既に知れています。手順を早めたとも言いますが……。
「すまんが存じている。ちょうどレゥムの近くまで来ていてな、おかげで会えた。マイヤーだ。キシリールと、あの方が世話になっている」
性格は剛毅で率直、ゆえにやや無礼と聞きました。
ですがこのくらいなら、不器用な武人ということでわたしは許容範囲です。
「ご安心下さい、彼はこちら側です。というよりもですね、私が騎士団長側というのが正しいでしょう。ご存じでしょうが騎士団はサラサール王と距離を置いております」
「ハルシオン姫はご壮健か?」
「ええ、それでしたらこちらを」
わたしの表向きの用件はこれだけです。騎士団長にハルシオン姫の手紙を渡しました。
彼は蜜蝋に刻まれた印を注意深く観察し、その手紙をじっくりと読み込んでいるようです。
続いてホルルト司祭にも中を見せると、彼らはうなづき合う。
それが済むと手紙は司祭に渡され、ただちに燭台の炎で焼き払われました。
正しい判断です。そうしておかないと、姫と里の窮地を招きます。
「無理もありません。マイヤー殿、姫は苦しんでおられるようです」
「うむ……。ハルシオン姫は女性だ、役割を捨てたくなる気持ちもわかる。男子の義務を、姫に要求するのは酷か……。魔王の楽士殿、手紙は確かに受け取った。すまんが引き続き姫を頼む」
意外と物わかりが良くて拍子抜けです。
手紙にある通り、迷いのある者を旗印にするのは――リード・アルマドの二の舞を踏むだけでしょう。
騎士団長はホルルト司祭の目の前で、確認を取りながらすぐに返事の手紙を書き上げました。
「裏の用事はどうするにゃ?」
「あなたの後にします。妙なことを言い出したら、刺し殺しますからね」
「ネコヒトは、ネコヒトを傷つけないにゃ」
「時と場合によります」
わざわざこの自堕落で、里で仕事をサボっては、地下温泉にたむろしている毛むくじゃらが、はるばるレゥムに来ると言うのです。
まずただごとではないでしょう。
「改めまして、みゃーはクレイ。かつては殺戮派の都カスケード・ヒルに住み着いていた情報屋ですにゃ。といっても、雇い主はニュクスじゃないにゃ。今回みゃーは、穏健派の魔将サレの代理で来ましたにゃ」
「何っ、サレだとっ?!」
クレイがサレと通じているのは、既にネコヒトの里で目にしています。
しかし問題は、これから何を言い出すかでした。それ次第ではやはり、ネコヒトの掟を破るのも止むなしです。
「どうぞどうぞ、これホルルト様のにゃ。こっちが、騎士団長様。サレからの書簡ですにゃ。どちらも内容はほぼ同じ、ごゆっくりどうぞです、にゃ」
書簡を開き、両者が中に目を向けました。
するとマジックのようです。どちらも確認するなり、目を見広げて驚愕していたのですよ。
「これは、本当なのですか……?」
「バカな……」
どちらも落ち着きのある大人です。
それが我を失って書簡にのめり込んでいる。そうなると当然ながら内容が気になりました。
「本当ですにゃ」
「クレイ、私にも説明を」
「もちろんですにゃ、大先輩。内容は大まかに3つにゃ。1.同盟の誘い。2.前向きに検討してくれるならば、物資提供の約束――」
「魔軍と同盟ですって。フフフ、あり得ませんよ」
「それがそうとも限らないにゃ。3.警告。サラサールが人類を裏切る。東の自由国境地帯への侵略戦争を始める。彼は魔軍穏健派との不戦協定を結びながらも、殺戮派とも手を結んだ」
わたしも落ち着きある大人です。300年を生きて、並大抵のことでは心を揺るがすこともない。
ですが――ですがこればかりは、理解できない……。
「バカですかあの男はッッ!!」
騎士団長とホルルトはそれぞれ苦々しく唇を噛んだり、頭を抱えたりしました。
彼らまでこの書簡を信じ込むということは、それ相応の状況証拠を既に手にしているのでしょうか。
「ああ、サレ殿のおかげで、ようやく腑に落ちた……。北方で殺戮派と連合軍がにらみ合いをしている今、自由国境地帯の国々の守りはがら空き。その北東にある大小の国々も、北部ギガスラインに多くの援軍を出した……攻め落とすなら、確かに今だ……」
騎士団長は軍人にして、騎士団を束ねる指揮官です。
淡々と、サラサールが東進した場合の展開をシミュレーションしてくれました。
「そのまま電撃戦で国々を制圧すれば、世界は殺戮派と、サラサールの手に落ちるな……」
「ええ、その後は混沌の時代でしょうかね」
確かにそれで人類の王になることはできるでしょう。
ですがその後、どうやって魔軍に対抗するつもりですかあの狂王は。
「キシリールとハルシオン姫には、すぐに戻っていただかなければ……なりませんな」
「もはやこうなれば、生き方を選ぶ自由などない。人類が滅びるかもしれない! 姫様もきっとわかって下さる! サラサールを我らで止めねばならん……!」
すみませんがそれはできませんね。
ハルシオン姫も、キシリールもあなたたちには渡せません。
わたしは里さえ無事ならそれでいい。もし争いに巻き込まれれば、わたしたちの里は魔軍の喉元に突き出された刃となる。
誰一人関わらせるわけにはいきませんでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
その頃、里では――
あの美味いサモーヌづくしの幸せな食生活が、シベットの健康を取り返しました。
体調が良くなったので、久々に彼女は外出することになり、パティアと一緒に東の水辺で釣りをしたそうです。
「やった、あゆーんだ! これなー、ねこたんがなー、すきなやつ」
「美味しそう。私もアユーンフィッシュ好きだよ」
「……そうか。じゃ、んん……これは、ベットンにあげよっかなー」
「ぇ……それは悪いよ。私、小食だからそんなに食べられないし……あっ!?」
そのとき、シベットの釣り竿に強い引きがきました。
突然の出来事に病弱な乙女は危うく湖に引っぱり込まれかけましたが、パティアがシベットの背中に飛び付いて引き留めてくれたそうです。
二人は一緒になって夢中で釣り竿を引きました。
「がんばれーっベットン、がんばれーっ!」
「ん、んんっ……え、えいっ!」
やがて格闘の末、シベットは獲物を釣り上げました。
それはアユーンよりずっと大きな、サモーヌに近い味わいのマッスンでした。
「しゅごい! ベットン、ねこなのに、つり、じょーず! ベットンしゅごいしゅごい、てんさいねこちゃんだ!」
「そ、そうかな……。えへへ……私、こんな身体なのに、美味しそうなお魚釣れちゃった……」
パティアの賞賛にシベットは幸せそうに笑います。
これはネコヒトには希有な才能でした。
シベットには魚への猛烈な欲がないのかもしれません。
大半のネコヒトは釣果を焦りに焦って、そもそも釣りにならないのがお決まりです。
「でっけーなー。よし、かえろベットン。うしおねーたんのところでー、やいてもらお!」
「うん! お魚、半分こにしよ」
後日、わたしの姉に少し似た少女、シベットは言いました。
自分にもできることが見つかった。そう嬉しそうに笑って、彼女はパティアの話ばかりわたしにしてくれるのでした。




