35-5 花屋のヘザーとある狂人
無事にクレイの願い通りに、会談の段取りがまとまるかもわかりません。
その前にわたしたちはヘザーとの商談を進めることにします。
クレイも一応ネコヒト、花屋の2階に忍び込むのもわけないでしょう。
ところがです。花屋のある聖堂区への道を進んでゆくと、何やら騒がしい。
危険な凶悪犯でも捕まえたのでしょうか。
見ればある人物が布袋を顔にかけられて、レゥムの兵士たちに取り囲まれながら連行されていました。
「待ちたまえっこれは何かの誤解だよ君たちぃぃっ!? 我が輩が何をしたというのだねっ、ただ粛々とやりたくもない仕事をこなし、日々の糧を得ながら、やや人に言い難い程度の研究をしていただけだというのに、こらーっ、何も見えんぞっ、我が輩を離せ解放しろぉぉーっっ!!」
「黙れ! いつまで喋るんだお前は、こっちの方まで気が狂いそうだ!!」
どこかで聞き覚えのある声、それに言い回しでした。
兵たちはどいつもこいつもうんざりした顔立ちで、嫌々とその変な、声からすると女性を聖堂へと連行してゆきます。
「我が輩は何もしていない! 何も……というのは大げさであるが、ちょ、ちょっとしか悪いことはしていないぞ! なんで我が輩を捕まえるのであるかっ!? 罪状を述べよ罪状をっ、ぐぇっ、誰だこんなところに小石なんて置いたヤツはッ!!」
「はぁぁ……。気の毒だが、異端尋問官に目を付けられたんだ。とにかくおとなしくしろ……運が良ければ、国を追い出される程度で済む」
「はぁぁっ!? 我が輩は魔神なんか崇拝するウツケではないわっ! 文献を漁る限り、ヤツの歴史は、とんだヘッポコ魔――いったぁぁっ?!」
「黙れうるせーっ!!」
覚えがあります。この相手の迷惑などまるで考えない、我が輩口調の変な人物。ですが、わたしの無意識がこう言うのです。
あまり思い出したくない。思い出したら絶対に後悔すると。
「それより大先輩、あの花屋が例の店かにゃー?」
「……ええ。ちょうど視線があっちに集まっていますし、早速忍び込みましょうか」
「にゃ……? 正面から入るんじゃないのかにゃ……?」
「いえ、2階から入って待ちましょう」
クレイはわたしの返答に黙り込みました。
わたしたちは魔族、人間の店に正面から入るだなんてあまりに、そのまま過ぎてつまらないではないですか。
「なんでにゃ……」
「なんででもです」
「きっと迷惑にゃ……」
「あなたが言ったところで説得力に欠けますね」
とにかくわたしはクレイの尻を下から押し上げて、花屋の2階に忍び込んだのでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
入るなり、わたしたちはローブを脱ぎ捨てて、続いて見慣れない物を見つけました。
それはいわゆるチャイムというやつです。上部の突起を押すとチリン鳴る、人を呼ぶためのやつでした。
「ぽちっとにゃ♪」
「クレイ!」
なぜこんなものが2階に……。
場違いな物を眺めていると、クレイの指が勝手に突起を押す。チリンと澄んだ音色が響きました。
「ごめんにゃ、こういうのに、みゃーたち弱いからにゃー……」
「それは修行不足です。心を強く持てば、こんな誘惑なんともありません」
「凄いにゃ、さすが大先輩だにゃ!」
「そうですか。バカにされているような気がしてきますよ」
へそ曲がりのネコヒトは一連のやり取りを台無しにするために、自らチャイムに指先を落としました。
ネコヒトを魅了するボタン状の何か。押してみるとやはり快感です。
それからしばらくすると、下での接客が落ち着いたのでしょうか。
バタバタと、レディとはほど遠い騒がしい足音が駆け上ってきました。
「おっわっ!? 猫ちゃん来てくれたんだぁーっ、ひゃあっっ、猫ちゃんがっ、二匹に増えたぁ!?」
「間違えられるなんて照れるニャ♪」
「あなたの目はフシ穴ですか、ヘザー」
クレイは舞い上がり、わたしはゲンナリです。
全然違うじゃないですか。わたしの方が毛並みが綺麗ですし、シュッとしておりますよ。
「人間から見たらかわいい猫ちゃん二匹だよーっ! ひゃーったまらんっ、ねぇキミキミッ、触ってもいい!?」
「ダメと言っても触る顔にゃ」
「正解っ、がっばぁぁーっっ! ひゃーっかわいい!!」
「おやつくれたらもっと触っていいにゃ。ヒマワリの種あたりでもいいにゃ」
ヘザーはクレイを抱き締めて、それから大胆にも重いでしょうに抱き上げました。
母親とあやされる子供のような、見ていられない構図です。
「クレイ……。お願いですから、ネコヒトとしてのプライドを思い出して下さい」
「ヒマワリの種は下だから、これで我慢してくれる?」
「にゃー♪ 煮干しは大好きにゃっ、みゃーみゃー、美味い美味いにゃ♪」
「クレイちゃんかわいい……っ! 私この子のママになりたいっ!!」
「息子にしてにゃ、ママー♪」
煮干しをガツガツかじりながら、でっかいネコヒトはヘザーにあやされました。
さすがですよ。さすがは我らネコヒトの恥さらし、少しでもあなたに期待したのが間違いでした……。
「どうしたの、猫ちゃん? あ、どっちも猫ちゃんだからどうしよっか」
「だから、エレクトラム・ベルとお呼び下さい。それよりヘザー、悪いですが明日の正午までにこちらを用意して下さい。送り先はタルトの骨董屋です」
里に戻ったらシベットと、あなたの従姉妹に、一部始終を言いつけますので覚えておいて下さいね、クレイ……。
わたしはヘザーに、事前準備しておいた小さな注文票を渡しました。
「割引価格でお願いしますにゃ。あと煮干しおかわりにゃん」
「わかった! はいどうぞクレイちゃーん。はぁぁ……こんなおっきいニャンコだっこできるなんて、夢みたい……!」
「里にはみゃーみたいなネコヒトがいっぱいにゃ。今度良かったら遊びに来るにゃ」
「マジかぁぁーっ! こんなにかわいい子がいっぱいとか、ずるいよそんなのーっ! 行きたい行きたい!」
「ええまあ、一番かわいくないのがそこのクレイですので、期待して良いかと。ところでいくらくらいになりそうですか?」
「んーー……。あ、じゃあさっ、クレイちゃんが一晩お泊まりしてくれたら……こんなもんでいいよっ!」
ヘザーが注文票の端に数字を書き込みました。
人間世界の相場はわかりませんが、安いような気がします。
「では決まりですね。クレイ、ここで明日の朝までヘザーを接待なさい。言っておきますが、あなたが甘やかされるのではなく、ヘザーにあなたが尽くすのですからね?」
「おっけーにゃ。でもそれは、プレイ内容によるにゃ♪」
あきれて言葉も出てきません。
恥を知りなさいクレイ。わたしたちはネコヒト、猫のマネなんてよくできますよ……。
「やったーっ、商談成立! 今日はよろしくね、クレイちゃん!」
「にゃー、ヘザーみたいなご主人様なら大歓迎にゃ。いっそここの子になるのも、悪くないかもにゃー」
「マジで!? じゃあうちの子になっちゃう!?」
「そこは悩むとこだにゃー」
シベットが心配なくせに、よくも抜け抜けとホラが吹けるものですよ。
「これ以上あなたの寝言を聞いてられません。少し気になることがありますので、また明日お会いしましょう」
「えええーっ、エレニャンも泊まってってよーっ!? って、話きけーっ!」
フードを再びまとい、花屋の2階から飛び降りて、わたしはレゥム南へと向かいました。
●◎(ΦωΦ)◎●
立ち寄ったのは錬金術師ゾエの店です。
まさかとは思いますが、確認してみれば店内は酷い有様でした。
棚が倒れているわ、一緒にカラス瓶が粉々になっているわで、さすがのゾエもこんなもの見たらうんざりと落ち込むでしょう。
しばらくわたしは店内を物色します。奥の生活空間に入ってみても、ただ汚い寝床と本棚の山があるだけです。
「ゾエさんに用事かい?」
「おや、彼女の行方をご存じなのですか?」
「ゾエのやつなら、邪教崇拝者だと難癖付けられて、そのまま引っ立てられてったよ。かわいそうにな……あいつは頭がおかしいだけで、根は良いヤツなんだけどなぁ」
「それはまた、なかなか哲学的な人物評ですね。ところで誰に連れて行かれたのですか?」
「王都から来た、異端尋問官って言ってたぞ。レゥム大聖堂で尋問するそうだ。ありゃ頭がおかしいだけなのになぁ……」
「むしろよくもまあ、今日まで無事に店を続けてこられましたね、あの方」
手が焼ける人です。こうなったらエドワード氏について喋る前に、助け出さなければなりません。
ですが正直、あの狂人を里に招くのは不安があります……。だが、だが極めて有能です。
アンの活躍を見てわたしは思いました。やはり職能は里の財産なのです。
「腕は確かだ。話が長くてうざったいから、チンピラにも煙たがられていたよ。かわいそうに……」
「残念です。ではわたしは別の店を頼ることにしますよ」
「言づてがあるなら代わりに聞くが」
「いえ大丈夫です。帰ってはこないかと思いますので」
明日の会談の際、わたしがゾエの脱獄を幇助する。つい今そう決めたのですから、もうここには帰ってこないのですよ。
 




