34-2 子供心と実りの森
それからまた平穏な日々が過ぎ去っていきました。
子供たちの両親は里にとって大きな収穫でしたが、同時にそれなりの忙しさも運んできました。
少しでも早く家族としての生活を取り戻せるようにと、バーニィたちには新居作り。リックや男衆には材木の伐採。畑の方でも増えた人口の分だけ、耕作地と作付けを増やす必要に迫られたました。
まあそんなわけでです。ここしばらくは平穏でいて、どこか忙しない日々が続いていたのです。
桜の花ですか? ええもちろん、とうに散ってしまいましたよ。
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「もぐもぐ……んぐっ?! ちゅ、ちゅっぱい……」
「それはそういう品種なのですよ。ふむ、確かに子供には酸っぱいですねこれは」
その日は親子の昼寝から目覚めると、パティアと共に採集に出かけました。
いつもの大きなリュックに、ぎっしりと春の森の幸がひしめいて、わたしたちは少しばかし気分が高揚しておりました。
「おとなむけかー。おとなって、すごいな……パティア、おとなになれるかな……」
「なれますよ」
かつての蒼化病の子たちは、大人になる前に自分たちは死ぬのだと未来を諦めていました。
パティアもまた、実父エドワード氏との逃亡生活の中で、少なからずそう思ったかもしれません。
しかし今のパティアの場合は、ちゃんとした大人になれるのか心配、という9歳の子供にしては早熟な不安でした。
「ほんとかー? んっぐっ……やっぱり、うっ、ちゅっぱぃぃ……」
「無理して食べなくとも、成長すれば自然と平気になりますよ。それにほら、バーニィを思い出して下さい。バーニィはあなたから見て、立派な大人だと思いますか?」
「バニーたんかー。んーー……」
指先で酸っぱくてまんまるのベリーをコロコロと転がしながら、ブロンドの9歳児はそれを空にかかげながら考えました。
もうじき夕刻です。そろそろ結界の内側に引き返したいところでした。
「ずいぶんかかりますね。今のは難しい質問でしたか?」
「うん。あのなー、バニーたん、パティアはそんけーしてる。バニーたんな、みんなすき。おしごと、いっぱい、がんばってるしなー、えらいとおもう」
「ええ、飽きもせずにどんどん家を建てて、わたしたちの代わりに里をまとめてくれています。では彼は大人ですか?」
「うーうん。でもな、バニーたんなー、おとなげない……。それになーっ、ジアとな、うしおねーたんがいってた。バニーたんはー、エッチすぎる」
だから大人とは言い難い。パティアはどう言葉にしたらいいのやら、悩んでいたようでした。
そろそろ戻らなくては。大人向けの酸っぱいベリーを採集しながら、わたしはパティアに手伝うよう身振りでうながします。
「そういうことです。完璧な大人なんていないのですよ。あなたは無理をしないで、ほどほどの大人になって下さい」
「ねこたん……。あのなー、パティアきづいたぞ。ねこたん、バニーたんだいすきだ。お、おとこどうしの、ゆうじょう……?」
この流れでそうなるんですか……?
つくづく、わたしの狙い通りにならない子でした。
「ねこたん、なんでなにも、いわないのー?」
「大人だからです。それよりパティア、そろそろ帰りましょう。ほら南の空が――」
親子で森の中から南を見上げました。
するとそこに、わたしたちの計画に無いものが浮かんでいました。
「ねこたん、おんぶしてー?」
「仕方ありませんね。少し移動しましょう。アンチグラビティ」
わたしはいつもの術を発動して、背中にリュック、両手にパティアを抱き抱える。
それから引き返しがてらに、空がもっとよく見える場所を探しました。
やがて森の中に小さな草原を見つけると、パティアを抱いたまま、わたしはもう一度空を深く観察する。
いえ、ここは観測というのが正しいかもしれませんね。
「ねこたん、なんか……さっきより、おっきくなってる、かも?」
「はい、そのようですね」
「ねこたん、いまのねこたん、おかお、かっこいい、かも?」
「フフフ……あなたにそう言われるのは悪い気がしませんよ」
南の果てに真っ黒な暗雲がありました。
パティアが言うとおり、それはさっきよりも発達して、徐々にこちらに近づいてきている。
ときおり紫電がその暗雲を輝かせて、嵐の激しさを物語ってもいました。
これはまずい。平和ボケしかけていた頭が、霧がはれたように冴えていきました。
「あれ、こっちくるなー……? おわぁーっ、ねこたーんっ!?」
「帰りますよパティアッ、恐らく里の者はまだ気づいていません! さあリュックの上に、嵐が来ますよ!」
わたしの背中にパティアをよじ登らせて、両肩にしがみ付くのを待ちました。
それが済むとネコヒトは走り出す。わたしたちの暮らす隠れ里を目指して、山林を駆け抜けました。
里は盆地にあります。南の山々が邪魔をして、まだアレが見えていないはずでした。
「わっおわーっ!? ねこたんはやいっ、ねこたんこんなに、はやかったかー?! ふわぁーっ、パティア、そら、とんでるぞぉー!?」
「ええ、しばらく、我慢を」
木々の上を飛んだ方が障害物が少ない。
全力のわたしは間もなくして結界の内部に戻り、それからさらに進んで盆地の傾斜に到達して、里目指して麓に降下しました。
背中に乗っているだけのパティアからすれば、わたしの倍はスリリングだったでしょうね。
しかしこの程度で怯えるたまではありません。
もしかしたらこの子は、ミゴーと同じく恐怖心が欠落しているのではないか。
そう疑うほどにパティアは、スリルを楽しんでしまっていました。
「はぁっはぁっはぁっはぁっ……。うっ……パティア、皆に警告を……ううっ……。バーニィやリック、大人に、このことを……」
「ねこたん、へーきか……? わかった! あとはパティアにまかせろー!」
「嵐が来ると、皆に……」
「わかったー!」
すみませんが、わたしはそこで心拍を戻さなければなりませんでした。
大きな声なんて出ませんし、全身の筋肉が悲鳴を上げておりました。
「あらしがくるぞぉー! あのなーっ、みんなきいてーっ、でっかーーーいっ、ピカピカ! もこもこがなー、くるぞー! ねぇねぇ、バニーたんどこー?」
しかしパティアには向いていない役割だったかもしれません。
いつだって緊張感のないノホホンとしたその性格は、あまり緊急感を焚きつけるような響きではありません。
「あーらーしーがーーくるぞぉぉー!」
それでも呼吸がある程度戻るまで、彼女だけが今のところの頼りでした。
わたしが他人のために、ここまでなりふり構わず駆けずり回るだなんて、おかしくて笑ってしまいそうですよ。




