32-2 ヘンリー・グスタフ商会は現在ニャンコ増量中
カスケード・ヒルは思っていたより落ち着いていました。
いったいどれだけ冒険者狩りが殺戮派の傭兵となったのやら、町の往来はひっそりと静まって、人の行き来が明らかに減っています。
おかげでハイドを見破るような実力者と遭遇することもなく、男爵の管理するいつもの倉庫に入り込めましたがね……いえしかし。
これを見てしまうと、世界がニュクスという大きな渦に飲み込まれてゆくのを実感してしまいます。
わたしは彼を、ニュクスを導くべきだったのでしょうか。彼の誘いに乗って、彼を良い方向に導く役割を担うべきだったのでしょうか。
いいえ無理なのはわかっていました。憎しみに飲まれ、狂気に染まった者の心が癒えることは、極めて稀なことなのです。
ニュクスは戦いを止めない。それは魔界の誰もが知っていることでした。
まあそれはさておきです。商会の倉庫に忍び込んだ、そこまでは良かったのですが――すぐに困ったことになりました。
年寄りの想像力ではとてもたどり着けない、奇想天外な出来事が、いえ客人たちがわたしを待ちかまえていたのですよ。
●◎(ΦωΦ)◎●
「ミャー! やっと来てくれた!」
「お待ちしてたよ、ベレト最長老!」
「ミャーミャー、私たち待ってた!」
わたしの同胞たちです。ミャーミャーとやかましく騒いで、倉庫を猫小屋に変えて下さっていました。
いえ険しい顔して鼻をヒクヒクさせてるブルドッグさんもおりましたがね。
「フッフガッ、スンスン……ああ猫臭ぇ猫臭ぇ! 全部テメェのせいだぞこの猫野郎!」
「いえどちらかというと、文句を言いたいのはこちら側なのですが……あなたこそ、これはどういうおつもりですか?」
少し前、倉庫の管理人に男爵への取り次ぎを頼みました。
すると男爵と一緒に、新たなネコヒトの民が12名も一緒に付いてきたのです。
「ネコヒトの英雄ベレトート様、私たちを隠れ里ニャニッシュに連れてって下さい」
「俺たち移民希望者だよ!」
「秘密の里を生み出すお手伝いがしたい」
「あと忘れちゃいけない海のお魚! お刺身! カッツォーネのステーキが食べれるって聞いたミャァーッ!」
カッツォーネのステーキという魅惑の単語に、ネコヒトたちがまた興奮して騒ぎ出しました。
男爵が神経質に耳を押さえて、結局我慢の限界に達したようでした。
「やかましいぞテメェらッッ!! うちの商会で働いたんならニャーじゃなくてワンと言いやがれ!!」
「それはまた無茶苦茶なパワハラですね……」
ネコヒトは小食で低燃費、毛皮のおかげで寒さにも強いです。
わたしとクレイを例外として大半が働き者で、移民者としてはこの上ない種族でした。ただし一気に人が増えると何かと問題があります。
「おい、当面の食い物なら心配すんじゃねぇぞ猫野郎……。うちの商会が、しばらくはテメェらに格安で売ってやるよ!」
「おやおや、あなたは顔に似合わず奇特な方ですね。ニュクスが北部ギガスラインを陥落させたせいで、食料物資はこれからどんどん高騰してゆくはずですが……よろしいので?」
戦争が始まると消費が増えます。
するとどうあがいたって物価が上がってゆくのです。特に食料と医薬品、布の高騰は避けられないでしょう。
「うるせぇ! 隠居ジジィが偉そうに俺のやり方に文句付けんじゃねぇぞ!」
「ええまあ、それはあなたの自由ですが」
「いいかッ、別にてめぇのためじゃねぇぞ! あ、あの方にっ、パティアすわぁぁん……♪ に、ひもじい思いなんて二度とさせるかよッ、わかったかボケ猫ッ!」
すると男爵の主張にピッコロさんがいななきを上げて同意しました。
相棒の存在を思い出したそうです。男爵は栗毛の牝馬の前に飛んで行かれましたよ。
「挨拶が遅れてすまねぇ、元気だったか相棒! 俺もお前みたいな馬になって、パティアさんを背に乗せて見守りてぇよ……」
「ブルッブルル……」
「ん、どうした? 薔薇、薔薇だって? おおソイツは俺も賛成だ! わかったっ、俺たちの愛を込めて最高の花束にしようじゃねぇか!」
「ブルルッ……♪」
なぜこの一頭と一人は、種族の隔たりを越えて普通に会話ができてしまっているのでしょうか。
いえパティアとしろぴよさんのケースもありますし、今さらですか……。
「相棒よ、これからもパティアさんを頼むぜ……。変な虫が近付いてきたら、後ろ足で蹴り飛ばしてやれ! 加減はいらねぇ!」
「男爵、変なこと吹き込まないで下さい、最悪死人が出ます」
「テメェッッ!! パティアさんのお美しさを理解してねぇだろッッ、そういう親の不注意が、変な事件を引き起こすんだいいか覚えとけッッ!!」
「ブルルルーッッ!!」
ピッコロさん、あなたは穏やかな気性が魅力なのですから、あまり男爵に影響されないで下さい。
男爵も男爵です。あなたまさかロリコンですか……?
「これは昔ママンが言ってた言葉だ……」
「いえその話はもう結構です……」
「いいかいおチビちゃん……男はみんな若い子が好きなの。だけどママンは、おチビちゃんが大好きよ……。ってよぉ……わかるか猫野郎!?」
「はい、意味がわかりません。何でもかんでも母の言葉を名言に解釈するのは、あなたの悪い癖かと」
お母さんの身に何があったのか知りませんが、それはただ息子に愚痴っただけではないですか……。
「はぁぁ……わかってねぇな……。しょせん感性が磨耗しちまった年寄りかよ、へっ」
「ブルルッ……」
わたしたちネコヒトを置き去りにして、男爵と名馬ピッコロはその後も仲むつまじげに意気投合されたのでした。




