31-2 弦楽二重奏の夜 - 騎士の苦悩 -
次に目に付いたのはキシリールでした。
彼は熱心にバイオリンを奏でる騎士アルストロメリアを見つめて、何か考え込んでいるようでした。
彼は騎士という荒事に従事しながらもおとなしくて行儀が良いですから、はしゃぐのは得意ではないようです。
今日までのこうした観察で、そんなことはとうに把握しておりました。
「どうされましたか、キシリール?」
「あ、これはエレクトラム殿。いえ……別に何でも」
今日は傍観者に徹しようかと思いました。けれど少し気になりまして止めました。
彼の席に寄って、先ほど感じた気がかりな部分を指摘する。
「麗しのアルストロメリアを見ていたようですね。何か思うところでも?」
「気づかれていたか……。わかった、少し場所を変えよう」
キシリールと一緒に食堂から廊下に出ました。
すると当然ながらリード公子とハルシオン姫の二重奏が遠ざかり、とても惜しい気分になってきます。
容姿と正体の両方を含めてとても絵になる2人でしたから。
廊下の暗がりに身を置いて、明るい食堂側を見つめながらキシリールは口を開きます。
「いやな、姫様が幸せそうで……。それが嬉しいような、困ったような、俺としては複雑なところなんだ……」
「存じています。あなたは最低の王サラサールの本性を見てしまったのですよね。いえ、すみませんがホルルト司祭より後日うかがいまして、ご事情は全て存じております」
「構わない、あなたに後ろ盾になっていただけるなら、むしろ頼もしいくらいだ。……俺は、どうしたら良いのだろうか」
「どうとは? ああ、アルス――いえ、ハルシオン姫があまりに幸せそうで、反乱に巻き込むのが申し訳なくなりましたか」
勘の鋭過ぎるネコヒトにブロンドの騎士様はギョッとして下さいました。
しかしどうやら諦めたようで、ため息をはきながら静かにうなづく。
「俺たちが、反乱を起こしてサラサールを倒すから、力を貸してくれと、そう伝えたら……。姫様はどう思われるだろうか……何か聞いていないか? 己の義務や責任について」
「そうですね、彼女はきっと困るでしょうね、心から」
「やはり、そうだろうな……」
「心からここでの生活を気に入っている反面、兄の敵討ちや、王族としての義務を忘れていない部分もあります。間違いなく、あなたの誘いに苦しむと保証しますよ。自由と義務の狭間で、張り裂けそうなほどに胸を痛まれるでしょう」
わたしの返答は余計にキシリールを悩ませるばかりでした。そもそもわたしたちは、姫君ハルシオンの処遇においては利害が一致しないのです。
キシリールは全てを捨てて定住するつもりではなく、最初は一時しのぎのつもりでここにきたのです。
「そんなの百も承知だ! だが、だがあのままサラサールに国を任せていたら、いつかは……」
「ではわたし個人の意見を申しましょう」
「意見……エレクトラム殿の……」
「わたしは外の世界がどうなろうと知りません。この地に逃げてきた者が幸せな笑顔を浮かべてくれれば、それだけで十分です。本音を言えばパナギウム王国に、ハルシオン姫を返したくありません。ほら耳を澄ませてみて下さい、あのバイオリンの旋律を、今さら手放せるものでしょうか」
二重奏が恋しくなったわたしは、さらに悩むキシリールを捨て置いて食堂へと戻ることに決めました。
しかしふと別の言葉が浮かびまして、後ろのキシリールに振り返りました。
「いっそバーニィに相談されてはどうですか?」
「え……いや、そんなの言えるわけないでしょう……。今のバーニィ先輩は、騎士ではなく完全なる自由人、巻き込みたくありません……」
バーニィという選択肢にわずかばかりの期待を見せたようです。
しかしそれはあっさりとしぼみました。
「フフフ……それに、言えば今度はハルシオン姫にセクハラの矛先を向けるかもしれませんしね」
「さ、さすがにそうはならないと、俺は先輩の良心を信じたいよ……」
「いえその言い方はつまるところ、信じかねる、という意味になるのでは」
「勘弁してくれ……。俺は、今のバーニィ先輩だけは巻き込みたくない……」
「そうですか。ならばいっそ悩み抜いたら何か別のものが見えてくるかも知れませんね。……それでは」
●◎(ΦωΦ)◎●
ここまではわたしのペースでした。
しかし暗い廊下から食堂に戻ると、拍手でわたしは迎えられていました。
見ればパティアが名コンビと一緒になって、その隣で銀の竪琴を小さな身体で抱えています。
ジアの手でリセリもその前に引っ張ってゆかれて、そこにわたしのフルートが加わるのを誰もが待っていました。
わたしは彼らの幸せを願って止みません。
わたしや魔王様、ザガ、それにきっとあの女神が手に入れることができなかった幸せを、浮き世など忘れてここに実現したい。
「ねこたーんっ、はやくはやくー! リセリがねー、うたってくれるってーっ! パティア、まちがえないよう、がんばる……ほーらーっ、ねこたーんっ、はーやーくぅーっ!」
わたしは己の幸せよりも、娘と、里の皆さんの幸せを願います。
それが魔王様の幻影と決別までして、こうしてたどり着いた答えなのですから。
この里ぶっちぎりの最長老エレクトラム・ベル、それがわたしです。
我が身を捧げた哀れみ深い女神よ、ついでに黒い王よ、どうかわたしたちをお見守り下さい。




