29-?2 ありのままの君に
・(ΦωΦ)
楽しい晩餐が終わると、偽りの騎士アルストロメリアは人知れず城の地下に忍び込みました。
目当ては言うまでもなくあのぬるい湯船です。
周囲をしきりに警戒しながら、今はたれ布が吊された入り口をくぐりました。
服を脱がずにです。地下通路にはツルで編んだ脱衣カゴが用意されているのですが、彼女の事情からすればそれを使うわけにはいかなかったのです。
「ふ……うふふ……」
その場所で騎士アルストロメリアは、パナギウム王国の姫君ハルシオンに戻りました。
服は入り口の死角に隠し、一糸まとわぬ姿で湯船へと歩いてゆきます。
想像の範囲になってしまいますが、きっと細身ながらも人間の女性らしい胸や尻の肉付きをされていたことでしょう。
女性の声色、女性の笑い声で姫は湯船を見つめ、湯と呼ぶよりも温水に近いものへと身を沈めました。
「まったく、このジレンマといったらないな……。恋い焦がれてきた物がやっと手に入ったかと思えば、ままならない……なぜ僕が、コソコソお風呂に入らなきゃいけないんだ……」
誰かに見られたら大変です。
ハルシオン姫は入り口のたれ布ばかりを見つめていました。
「ふぅ……いっそ正体を明かしてしまいたくなる……。だってそうじゃないか、そうしたら堂々と僕は、クーさんたちのありのままの姿を、見ることができるんじゃないか……?」
と、後日同じことをわたしに言って下さいました。
●◎(ΦωΦ)◎●
「何を言ってるんですかあなたは……」
「だってそうじゃないか! クーさんたちの裸だよ裸! 裸のスキンシップをなげうってでも、守るべき秘密だと君は断言できるのかい!?」
以前ハルシオン姫は、恋愛対象は男性だとわたしに言っていました。
今となるとそれも疑わしいです……。男性よりも、女性の肉体に美しさを感じるのはまあ正常なのかもしれませんが……。
「ええできますね。考えてもごらんなさい、正体を明かせば、バーニィのあなたへの態度は女性を狙うものに豹変し、キシリールにいたってはあなたをサラサール王の支配から脱するための、切り札と認識するでしょう」
「ハハハッ、そんなわけ……まあ、あるかないかで言えば、あるかもな……。アイツに色目を使われることになるのか、僕は……」
バーニィは本当に節操がありません。
麗しの騎士アルストロメリアが女性と知れば、花に集まるミツバチのように、そのミステリアスな美しさに群がるでしょう。
「バーニィはさておき、問題はキシリールです。さらにパナギウムの情勢が悪化すれば、しつこいですよ彼は。まあつまり1度正体を明かせば、あなたはハルシオン姫から、騎士アルストロメリアにはもう2度と戻れなくなるのです」
「それもイヤだな……。何というか、僕はもうお姫様には戻りたくない……、今はそんな気でいるよ」
そういうことです。古城の地下に現れたぬるい大浴場は、特殊な立場にあるアルスにとっては大きなジレンマだったのです。
誰もいない湯船の中で、ひとここちついて女性の姿に戻ると、今の生活が嘘のように感じられるんだそうでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
しかしそのまま何事もなければこんな話はしていません。
そこに思わぬ来客が現れて、美姫ハルシオンは慌てて布切れで肌を隠し、奥の彫刻の影に隠れる事態になりました。
「えっと、桶は……あった」
なんとそこに現れたのはマドリでした。
ラッキー!!! と思ったのもほんの一瞬のことで、まずい、バレる、と姫は冷や汗と共に焦りました。
マドリ、いえここからはリード少年と呼びましょうか。
彼はぬるま湯を桶にくむと、背中を向けて持参の石鹸とタオルで肌を擦り出しました。
男爵がレアルの息子の現状を心配して、わざわざ手渡しで届けてくれたものです。
ちなみにリードは気づいていませんが、それはキンモクセイの香りのする高級品でした。
「ふぅぅ……ああスッキリしたぁ……。こういうの、僕いつまで続ければいいんだろう……ラブレーは信じてくれないし……」
「フ、フフフ、フフフフフフ……美しい、ああ、なんて美しいんだ君は……」
そのセリフはけして積極的に知りたい情報ではありませんでした。
ハルシオン姫はリードのありのままの後ろ姿を陰から見つめながら、ついつい状態を忘れつぶやいてしまったそうです。
「ん、はぁぁ……気持ちいい……やっとひとここちついたよ……」
「――ッ!」
しかし湯船にリードが向かってくると状況を思い出したようです。
姫は彫刻にへばりつくように隠れ、胸の膨らみを布で隠し直しました。
「~~♪」
リードは湯に浸かり、今夜奏でた曲を鼻歌を歌う。
もし天使がいるとしたらそれは、マドリくんのような姿をしているに違いないよ! だそうで。
「~~♪ ……ぇ」
ですが湯温が低いせいで湯気も何もない環境です。
乙女と少年はついに目が合ってしまったそうでした。
「や、やぁ……」
「う、うわぁぁぁぁーーっっ?!!」
恥じらい深かった方がリード元公爵で、半分固まっていた方がハルシオン姫です。姫はこう言いました。
「き、奇遇だね……」
ネコくん、普段ならセクハラの一つも言いたいところだったがね。
生憎そんな余裕なんてどこにもなかったよ……。
「はぁっ、はぁぁっ、び、ビックリしたぁ……。えと、奇遇ですね……あの、その、つかぬことをうかがいますが、その、見ました……?」
「あ、ああ、見ていないよ……だってボクは紳士だからね……! というよりそっちこそっ、ボクの秘密を見たかい……?」
「え、秘密……秘密ですか……?」
「いやっ、いや見てないならいいんだ! 見てないなら、別に……!」
興奮と焦りと期待と緊迫感が混じり合った微妙な空気だったそうです。
柄にもなくハルシオン姫は、乙女のように心臓を加速させてしまっていました。
「ところでアルスさんって、騎士の装束を脱ぐと、綺麗なんですね……」
「そういうキミこそ……思っていたより、何というか、ずっと細いんだな……」
だって僕、男ですから……。そう言えたらどんなに良かっただろうと、リードは後でわたしに言っていました。
2人とも身を隠して入浴しなければならない事情を抱えていましたから、こうなることは遅かれ遠かれ決まっていたのでしょうね。
「ぅ、ぅぅ……」
「フ、フフ……ハハハハ……」
さてそこからです。彼らは相手が湯を上がる気になるまで、ただ待つことにしました。
しかしどちらも、後ろ姿を見られるわけにはいかなかったのです。
ならばおわかりでしょう、長い長い停滞と様子見があったことが。
いつまで待っても、待てども待てども待てども令嬢マドリはハルシオン姫の前から上がってくれませんでした。
「あの、そろそろお先に、失礼します……」
「ああっ本当かいっ!?」
「は、はい……それでその、お願いが」
「わかった何でも言ってくれたまえ。いや、今可能なことは、実に少ないのかもしれないが……」
「いえ大したことじゃないです。ただ、後ろを……後ろを向いてて、いただけますか……?」
納得だったよネコくん。聞けばマドリくんは、他の女性とも一緒に入浴したがらないと言うじゃないか。
よほど大事に育てられたのか、あの恥じらい深さは、ああったまらない! 最高だよマドリくんは……。だそうで。
「かまわないさ! このアルストロメリア、神に誓って約束する、絶対にのぞかないと!」
「良かった……。あの、すみません……ぼ、私、恥ずかしくて……」
「ああ、それは同感だよ……実に同感だ……」
アルスはわたしに言いました。
恥ずかしい、こんなに強い羞恥の感情を覚えたのは、国を捨てて以来だ……。
「それでは私っ、失礼します! ごめんなさいっ!」
リードの浴室を去ったことで事態は解決です。まあこれはそういった事件でした。
それにしても笑ってしまいますよ。同じ浴槽に入ったというのに、2人は奇跡的にも互いの偽りの性別にも気づかず、その晩を無事に終えていたのですから……。




