29-8 大切な肉親とネコヒトの里 - サレ -
信じていたのに騙されました。
せっかくシベットへの態度と愛情に、彼をもう少しだけ信じようかと思いかけたところだったのに……。
思い返せば都合が良過ぎました。
ワイロと口利き1つで茨の長城を越えられたのは、こういうからくりがあったのです……。
「クレイ……あなた、やってくれましたね……」
「みゃぁ~、何のことかにゃぁ~? これはたまたま、偶然のことにゃ」
わたしとクレイの2人で里長の家に向かい扉を叩くと、その中から思いもしない連中が現れました。
いえご安心を、ミゴーやニュクス、アガレスたちのような危険人物ではありません。ですがこれは……。
「ただ……大先輩と、話がしたいって言われたかも、しれないにゃ?」
「つまるところ、わたしを売った事実は変わらない気がしますよ……」
その紳士はサレという名で知られていました。
わたしとは昔なじみです。ネコヒトが長寿ならば、彼らは不死。不死者と呼ばれる吸血種族でした。
サレは元々は先代魔王に仕える内務大臣で、そのまた先代とも見識があったとされています。
もっとわかりやすく言ってしまえば、この男は現在の穏健派の魔将、魔将サレなのです。
「サレ、あなたもどういうおつもりですか……。わたしたちは、こうして顔を合わせられる間柄ですか? この場で刺されたところで、あなたは文句を言えないはずです」
そのサレがたった2人の護衛を引き連れて、わたしの前に立っていました。
不死者ゆえに面倒ですが、護衛ごと片付けて痛い目に遭わせる力がこちらにはあります。
「ベレト、久しぶりだ」
「ええ、お久しぶりです。いつ以来でしょう、あなたと違って隠居しましたし、もうすっかり会っていませんでしたね」
燕尾服を着込んでステッキを持った紳士です。
なんとその彼がわたしに向かってひざまずき、頭まで下げました。
「サレ、誇り高き不死者が何のおつもりですか……?」
「謝罪だ、ワシは貴様の殺害計画に荷担した。実際に殺せるかどうかは、半信半疑もいいところだったが」
サレが配下の手を借りて立ち上がります。
穏健派の長が今さらわたしごときに謝罪……意味が分かりません。わたしの存在は重要ではないはずです。
「貴様は簡潔なのが好みだったな、ならば要点を先に言う」
「そうですか、ではどうぞご自由に」
「北部ギガスラインの陥落により、我々穏健派は殺戮派のニュクスとは関係が切れた」
「まあそうでしょうね。彼らの目的は秩序の崩壊、共闘する理由などあなたになかったはずですから」
同胞を隠れ里に呼べると、せっかくいい気分になっていたのに政治の話です。
さっさと話を打ち切ってしまいたい。
「我ら三魔将は、魔王を復活させて旧来の体制を取り戻す、そこまでは目的が共通していた」
「魔王を復活? 今さら何を言うのです、あれだけ失敗を積み重ねて、まだ希望があると思ったのですか、おめでたい」
わたしの毒舌に後ろの護衛が反感を覚えたようです。
それをサレが腕で阻み、わたしのするものと同じ古いお辞儀をしました。
「魔界の南側、穏健派の領土でのネコヒト・ベレトートルートの指名手配を解く。代わりに貴様がさらった、リード公爵を返してくれ」
「残念ですがそんな大物はうちの里にいませんよ、取引しようがありません」
リードは表舞台に戻っても幸せになんかなれません。
政治の道具にされるのが見えています。
もしかしたらサレは、リードを使って公爵領を返すようにアガレスへと要求するかもしれません。
「誤解しないでくれ、これは同盟の提案だ」
「魔界の3分の1を支配するあなたと、ただのお尋ね者のわたしがですか? フフフ……現実的に対等な関係があり得ない以上、傘下に加われと言っているようなものです」
渡せません。わたしは世俗に生きる者。政治的な都合で動くつもりなどありません。
「同盟は同盟だ。ベレト、もしよかったら、昔のようにまた手を携えていかないか? 私と貴様は、イェレミア様がいらっしゃった頃からの、長い付き合いではないか……」
「お断りします、わたしはお尋ね者生活がなかなか気に入ってましてね。それに、あなた方、三魔将は過去を知る者たちを殺して回りました。信用できませんね」
ふとクレイの様子をうかがいました。
サレに味方する気はないようです。ただ面白そうに聞き耳を立てていました。
わたしとサレの個人情報、魔界の情勢は彼にとって価値のあるものです。
「サレ、よりにもよってあなたが、なぜあんなことをしたのです」
「悪いがそれは言えないな……しっかりとした理由はある。目的は口封じでも、政争でもない。だがどちらにしろ、計画は失敗に終わった」
「失敗? 何に失敗したと?」
「……失敗は、失敗だ」
交渉は決裂です。真実を話すつもりもないなら、もはや言葉を交わすだけムダでした。
だというのにサレは言葉を続ける。わたしの説得を諦めたのか、このガンコ者めと笑うのです。
「貴様とは昔なじみだ、あんな場所に引きこもっていては、まともに情報も集まらないだろう。外の情勢を教えてやる……」
「それは……まあ、興味がないと言えば嘘になりますが。ではお言葉に甘えましょう」
人間と魔族の激突が起こるであろうこの状況です。
魔界の森に隠れ住む者として、知っておきたいことでした。
「よし。まずベルン側のギガスラインの陥落だが、アレにはパナギウム王サラサールが関わっている」
「何ですって……?!」
「金と醜い欲望に目がくらんで、同族を売った。殺戮派の精鋭は、パナギウム側のギガスラインを無傷で突破し、北方ベルン王国に襲いかかった。これが陥落のてん末だ」
「サラサール、あの変態とは面識があります……愚かだとは思っていました。ですがこれほどまでとは……」
サラサールはわたしの想定を遙かに越える悪王となっていました。
秩序を望むならば、ギガスラインの通過を許すなんて、そんな取引は絶対にしない。
「周辺の国々も、いずれこの陰謀に気づくだろう……。恥ずかしい話だが、サラサール王にこの話を仲介したのは、我々の仲間だ。……殺戮派の価値観に染まり、穏健派を裏切った形になる」
「そうですか、それは大変ですね」
「元よりサラサールの人格を疑って、西方の国々では経済封鎖の準備を進めていたようだ。パナギウムの主要産業は迷宮、迷宮より得られる財宝や素材を他国に売れなくなれば痛手だ。パナギウム王国は今、相応に危険な立場にある」
ようやく疑問が1つ氷解しました。
今思えば、サラサール主導の軍備増強はこのためだったのでしょう。
魔軍殺戮派を利用して、ヤツは勢力を拡大するつもりなのかもしれません。
さて、サレの話は小難しくて良くありません、
彼が次にした話を先に要約しますと、要するに、アガレスはセコいタヌキ野郎だということでした。
「魔将アガレス率いる魔軍正統派。ヤツは慎重で辛抱強い。殺戮派に協力する体裁を見せながらも、ベルン王国とも陰で協力し合って、ニュクスの失脚を待っているようだ。もし企みが成功すれば彼が殺戮派を飲み込む。3派閥の拮抗が崩れ、穏健派もやつに服従することになるだろう。アガレスは、魔界内部での勢力の拡大を目指している」
その次は殺戮派のニュクスの話でした。
これも先にまとめます。ニュクスの生み出した流れが、人間と魔族の決戦に向かって進んでいる、ということです。
「魔将ニュクス率いる魔軍殺戮派。一時は同じ目的のために手を結んだが、三魔将が袂を再び分かつことになった。ニュクスの目的は人間の絶滅、行動原理は我々の中で最もわかりやすい。厄介なのは、ギガスラインの制圧というこの好機に、ニュクスへと賛同する者が増えている……いずれ人間の総力とぶつかり合う、大戦争が始まるだろう」
それととても気になる話もしてくれました。
「加えてこれは未確認情報だが……間者によれば、ミゴーを瘴気の領域の向こう側に派遣し、何かを回収させるなど、よからぬ動きを見せている」
「瘴気の領域の向こう側ですか……」
「そうだ。ヤツがどこで向こう側の存在を知ったのかは、わからない。しかし我々の先祖は、元々その果てで暮らしていた。太古の王と共にだ……」
どうせろくなものじゃありません。
魔王様の話では、既に向こう側は滅びているという話でしたが……。
「で、あなたの目的は?」
「ワシは魔界に再び秩序を取り戻したいだけだ。しかしそれは、魔王の復活なくしては得られない砂上の楼閣。ワシは、魔王イェレミア様のようなやさしい王者を取り戻したい。ワシはただ、お優しかったあの方を取り戻したいのだ……」
相手はわたしより老齢、これは泣き落としというやつです。
共感しかける自分を抑えてわたしは冷静を装いました。
「頼む、協力してくれ、イスパ様もきっとお喜びになる……。イェレミア様がいて、イスパ様の末のリード公爵がその右腕となる……それがワシの理想だ……」
しかしサレもまたわたしと同じ、あの平穏だった魔界の黄金時代を忘れられない老人でした。
「サレ、わたしたちは魔王様に多くを望みすぎていました。魔王様とイスパ様は、今の穏健派とは違った、人間との共存を望んでいました。今のあなたがその遺志を継いでいるとは思えません」
「老人相手に容赦ないな……」
「事実でしょう。あなたはサラサールに、飽きた妻を美味しく食べる手段を提供していたのですよ、人間との共存とはほど遠い」
「共存か……。ならば、やれるものならやってみるといい。かつて魔王イェレミア様と、イスパ公が望まれたことを、貴様が果たせ」
「残念ながらわたしはただの元魔王の僕、そんな力はありませんよ」
里の状況をクレイが漏らしていたのでしょうか。
外の情勢はさておき、あの里の中では共存が確かに実現していました。
ところでサレの態度が少し変わりました。
話を変えると言わんばかりに、わたしを無視して山の稜線へと目を向けたのです。
「ベレト、魔王は世界にたった1人しか存在できない。魔王を復活させようとした者は数多かったが、誰もが失敗した。……なぜだ?」
何かと思えば、魔界で今日まで無限に繰り返されてきた禅問答でした。
魔王というのは全ての魔族を束ねる絶対的カリスマです。歴史上、同じ時代同じ時間に、複数が存在したことはないとあります。
「魔神の器にされるくらいなら、この世に生まれない方がマシだと、新しい魔王様ご本人も思ったのでは」
「そうか……そういった解釈もあるかもしれん……イェレミア様のことは私も悲しい……だが、私の仮説はこうだ」
「すみません、そろそろ帰りたいのですが」
「魔王イェレミア様は死んでいない」
希望は苦しみです。絶望しきった者にわずかに与えられた希望の言葉は、苦しみとなってその者をさいなめる。
蒸し返す旧友に怒りさえ覚えました。
「フフ……何を言い出すかと思えば」
「あるいは既に、300年前の時点で、魔王イェレミア様の後継者が生まれていた」
後継者……? ですがそれほどの器がもし生まれていたら、歴史上に姿を現したはずです。
現実は魔王様の不在、魔神ごとの消滅です。
「ワシは確信したのだよ……。世界に1人しか存在できない魔族の王、魔王は、世界から消えてなどいない……。そしてその存在は、魔王イェレミアに愛された、楽士ベレトートを追えば見つかると」
サレがわたしに接触した理由が何となくわかりました。
三魔将が手を結んできたのは、魔王を復活させてそれぞれの目的を果たすため。だがそれは失敗に終わった。
その結果、サレは何かしらの確証を得たのでしょう。
わたしたちを束ねるはずの王は、いまだこの世界から消えていない、それは事実なのかもしれません。
「あいにく存じませんね……消えた魔王様が今でもわたしを見守ってくれている、そう信じて今日まで生きてきましたが、わたしは何も知りません、魔王様には何も教えてもらえませんでした」
そこで彼は情報の糸をたぐり寄せて、絶対に死なない猫に、因果関係を結びつけたのです。
わたしの大切な娘、パティアへと繋がる遠く細い糸を。
 




