29-8 大切な肉親とネコヒトの里 - グレイブルーのシベット -
里に下りて往来を歩くと、顔見知りにクレイが何度か呼び止められました。
わたしはそのたびに顔をそむけて、彼らにるいが及ばないように気を使いました。
ここの善良な住民は何かあればわたしをかばうかもしれません。
何もかも姿を変えてしまいましたがここは故郷、里に迷惑をかけたくありませんでした。
しばらく歩くと、高台になっている辺りに一軒家がありました。
そこがクレイの実家だそうです。玄関に立ち、彼は元気に扉をノックするなり中へと入っていきました。
「え、クレイっ?! 帰ったのはいいけどいきなり入って来られるとビックリするミャ!」
「ただいまにゃ。シベットは起きてるかにゃ?」
抗議など無視してクレイは早口に人の名を口にしました。
そういえば聞いていませんでした。妹はシベットという名前だそうです。
「お兄ちゃん……?」
「みゃぁっ、シベット! 兄ちゃんが良いところ見つけたにゃ、一緒に引っ越さないかにゃ? 海魚が食べられる不思議の里があるにゃっ!」
奥の部屋からか弱い女の子の声が響きました。
その子が扉を開いて姿を現すなり、不意打ちがわたしの心を揺り動かしました。
自然も町並みも何もかもかつての姿を失ってしまいましたが、そこにいた少女はグレーブルーの毛並みを持った綺麗なネコヒトでした。
その姿がわたしに、義姉と義父を思い出させてしまったのです。
「それ本当?」
「お前には関係ないにゃっ!」
「従姉妹同士でしょ、シベットの面倒見てるの私なの忘れてるミャ?」
「シベット~っ、お兄ちゃんが帰ってきたにゃ~♪ これおみやげにゃ」
クレイの妹は実際に存在した。
その事実確認すらわたしは頭の奥底に追いやって、フード姿の怪しいネコヒトが細く小さい少女を見つめ続けました。
クレイの言うみやげは里で採れたアジールフィッシュの干物13枚です。
これのおかげで、わたしたちは何かと魚臭い一行となっていたのでした。
「わぁ……お兄ちゃん、ありがとう……お魚、里のみんなが喜ぶよ……」
「違うにゃ、これはシベットのために調達したにゃ、スケベなうさぎさんに普段下げない頭を下げて、がんばってもらったにゃっ、シベットが全部食べるにゃ!」
「お兄ちゃん、シベットはこんなに食べられないよ……」
「なら半分こにゃ♪」
わたしを勘定に入れないとは良い度胸ですねクレイ。
それにききましたよ。あなたはそうやってこそこそと、バーニィたちから釣果をくすねているのですね、なるほど……。
「ぇぇ……それでも、多いような……」
「ねぇクレイ、ところでそこの人は誰なのミャ?」
「みゃぁーっ、そうだったにゃ! こちらはエレクトラム・ベル……というのは偽名で、あの伝説の絶対に死なない猫様にゃっ」
わたしはただちに背を向けてクレイの独断に困惑させられました。
シベットというか弱いネコヒトに、亡き義姉の姿を重ねていられる状況ではもうありません。
「えっ、でも死んだんでしょその人!?」
「生きてるにゃ、これが死んでるように見えるかにゃ~?」
「お兄ちゃんの憧れの人……」
人との約束を簡単に破るこの性質、クレイのこういうところが信用できません。
約束を守るという、当たり前の価値観が欠落しているのです……。
こうなってしまった以上、わたしはフードを下ろしてお辞儀を向けるしかありませんでした。
「今はエレクトラム・ベルと名乗っています。今回はそこのクレイのわがままに付き合うことになりましてね、シベットさん、あなたを迎えにきました」
「それならミャンも行くミャ!」
「みゃーは呼んでないにゃ!」
クレイの従姉妹は彼と同じ茶色い毛並みの個体でした。
ネコヒトにとってニャニッシュの条件は、もはや理想郷にも等しいです。話に乗りたがる気持ちもわかります。
「俺たちも行く!」
「ずるいぞクレイ、そんな場所あるならなんで黙ってた!」
ところがそこに里のネコヒトたちが外からなだれ込んできました。
誤算でした。大方干物の匂いを嗅ぎ付けてわたしたちを追ってきたのでしょう……。
「お前らも呼んでないにゃ!! ひとんちに勝手に入るにゃぁーっ!!」
「お、お兄ちゃん……そういうこと、言っちゃダメだよ……」
「……! それもそうにゃぁ~、シベットの言うとおりにゃぁ~、兄ちゃんが間違ってたにゃ♪」
「誰ですかあなた……」
「ごめんね、ご先祖様、シベットのことになるとコイツいつもこうだから」
混沌としています。背中の後ろでは里のネコヒトが自分たちも行く、魚魚海魚と大合唱です。
うるさいので後ろの連中をどうにかすることにしました。
「同胞の移住を断る理由はありませんが、しかし里の生活はどうするのですか?」
「これはベレト様! そこは大丈夫です、むしろ戦争が無いせいでネコヒトは個体数を増やしています。移民は今の長も納得するかと!」
そこでわたしはミゴーのことを思い出すことになりました。
わたしが育てたバカ弟子が、わたしとも旧知の里長を殺したのです。
わたしが生き残ることの大切さを仕込まなければ、ミゴーは戦いの中で姿を消していたでしょう。
それは下らない結果論です。ミゴーがいなくとも、他の暗殺者が目的を果たした。それでも罪悪感はなくなりません。
「では、先にシベットさんの意見を聞きましょう。よろしければ、まあ遊びにくるつもりで、わたしの里にきてみませんか? 水も綺麗で薬師もいます、療養には良い環境がそろっていますよ」
「あの……それでは、もし、ご迷惑でなければ……シベットは、行ってみたいです……お魚いっぱいの里に……」
では決まりです。帰りの予定を少し変えることにはなりますが、移民者の人数が増えようとやることは変わりません。
これはわたしが属する種族の自己アピールですが、ネコヒトは小食でありながら労働力として優秀です。
とにかく器用で機敏なので、力仕事以外の様々な職業に適正がありました。
「みゃぁ~っ、そう言ってくれて安心したにゃ! あっちには面白い連中がいっぱいにゃ! シベットも絶対気に入るにゃ、100%保証するにゃぁっ♪」
「お兄ちゃん……恥ずかしい、くっつきすぎ……だから……」
こうなったら現・里長のところにいっておきましょう。
許可を取らないと、いたずらに揉めることになりますから……。
 




