29-8 大切な肉親とネコヒトの里 - にゃんですかにゃ~? -
平穏なようで当たり前に騒がしい日々が流れゆき、周辺の森ではラズベリーが赤く熟し始めた頃、わたしとクレイは隠れ里を出発しました。
「にゃんですかにゃ~?」
「いいえ、別に何も」
報告を受けた時点でわかっていました。
クレイが結界の外側に出ても、契約の指輪が機能を果たさないことくらい。まったく……老齢の野良猫のようにふてぶてしいやつでした。
「わたしの許可などなくとも、何の苦痛もなく外を出歩けるのなら、その指輪はもう要りませんね。いっそ捨ててはどうでしょう」
「みゃぁ~、そんなことするわけないにゃっ。これは大先輩との思い出の品にゃ、にゃーは絶対に外さないにゃー」
やれやれ、どこからどこまでがまで本心なのやら。
毎度毎度わたしを誤解させるような行動さえひかえれば、もっと素直に受け止められたでしょうに……。
「よく言いますよ。なら一生付けてなさい」
「みゃ♪ もちのニャンで、そうしますにゃっ♪」
この調子の良い笑顔の下にどんな魂胆が隠れているのやら、今の段階ではとても見破れませんでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
わたしと泥猫のクレイは森を静かに歩き続けました。
まずはあの茨の長城、ローゼンラインをどうにかして越えなければなりません。
そこで今回使った作戦は、何とも古典的な袖の下というやつでした。
クレイの怪しいコネとわずかばかりの謝礼が、ローゼンライン突破の鍵となったのです。
ざっと説明しましょう。わたしたちはまずカスケード・ヒルの男爵を頼り、彼の商会の荷馬車に乗せていただきました。
そうしてほいほいと、魔軍穏健派が支配する南部の茨の長城までやってきます。
そこでクレイが門番に耳打ちをして、慣れたようにワイロを支払ったのです。
するとたったそれだけで、馬車は内部の点検も無しで、魔界を守るはずの防波堤を意図もたやすく突破していました。
「お世話になりました。男爵にはそうですね……『ありがとう、今度里にて風呂でもご一緒しましょう』と、お伝え下さい」
「風呂ですか……? わかりました、お言葉必ずお伝えします。しかしエレクトラム殿、こんな場所で本当によろしいのですか……?」
南部のローゼンラインを抜けた先は拓けた平野になっていました。
穏健派は温厚な魔族が好んで所属する組織であり地域です。
それゆえ開拓も活発で、食料生産力においては魔界でもっとも豊かなのです。
「でっかいミャーらには難しいがにゃ~、ネコヒトには、ネコヒトの足があるにゃ」
そこからしばらく進むと森林地帯にさしかかりました。
わたしたちはその森に少し入ったところで、荷馬車から下ろしていただいたのでした。
「嫌みったらしい人ですみませんね皆さん、まあそういうわけでして後はご心配なく」
「大先輩と二人っきりの大冒険の再開にゃぁ~♪」
「あなたのおしゃべりに、また付き合わされるんですね……」
「楽しんでるくせに、そういう言い方はないにゃ、行こうにゃ先輩っ!」
まあそういうわけでして、そこから先は街道を外れて森に入りました。
乗り物になりそうな手頃な生き物を探すためです。
理想はバイコーンです。足も速いですし、気性は荒いですけど賢い上にスタミナもあります。
乗り心地はええまあ、以前リード少年にお尻が痛いと言わしめた程度です。
「さっすが大先輩にゃ! そのサバイバル能力の高さが驚異の生存力の秘訣かにゃ~?」
「どうどう……さてどうでしょうね。悪運だけで生き延びてきたとこれまでずっと思っていましたが、もしかしたら別の要因があったのかと、今は思わないでも……いえ、余計な話でした」
わたしのような弱いネコヒトが戦いに加わりながらも300年以上を生きた。
これでも本人は必死で窮地から逃れてきたつもりですが、事実だけ見れば悪運一つでは片付けられない奇跡でしょう。
「みゃぁっ!? そんなこと言わないで全部話してにゃぁっ! 大先輩の全てが知りたいにゃ!」
「情報を売るためですか? いえとにかく行きますよクレイ」
わたしが鞍と手綱を付けてバイコーンにまたがると、クレイがネコヒトらしい軽業で後ろに乗り込みました。
わたしたちはその背を借りて、ネコヒトの里へと飛びます。
「みゃぁぁっ?! こんなのおかしいにゃっ、お尻っお尻痛いにゃぁぁ~っ!!」
「妹のためなんでしょう、我慢なさい」
アンチグラビティという術はわたしのためにあるようなものです。
バイコーンの体重と積載物の軽量化は、驚異的な移動力をネコヒト一行にもたらすのでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
ネコヒトの里は穏健派の領地、その辺境の山奥にあります。
わたしたちは弱い種族ですから、先祖たちは身を守るためにこの地域を選びました。
都市部とは遠く離れた、誰も住みたがらない奥地で、時の支配者に服従して生きてきたのです。
里周辺そのものは豊かな実りを生む土壌がありましたが、そこまでの道のりはとにかく辺鄙も辺鄙でした。
こうして大地の傷痕を発って2日目の夕方、ようやくわたしたちは山を登り抜いて平野にたどり着きました。
わたしたちはバイコーンに謝礼の食料を与えて、隠れ里ニャニッシュへと繋がる小径を進みます。
「先輩先輩、なんでー、フードかぶったままなのかにゃ~?」
「あなたお尋ね者に酷なことを言いますね」
「そうかにゃ?」
「わたしが戻ったとあれば迷惑がかかります。わざわざ余計なリスクを取る理由がありませんよ」
ネコヒトの里はまた様変わりしていました。
生まれ育った頃の記憶と一致する物はどこにもなく、以前は分かれていた集落と集落が発展により繋がり、里が大きく広がっている。
「そんなことないにゃっ、みんな大先輩を信じてるにゃっ! ベレトートルート・ハートホル・ペルバストはネコヒトの誇りにゃ! ネコヒトの長寿という数少ない取り柄を! 昇華させた凄い存在にゃ!」
「そうですか。あなたは、なぜそこまでわたしにこだわるのでしょうね……」
嘘には聞こえない。もしかしたら本心なのかもしれません。
それでいて別の目的を隠し持っているのが、このクレイという信用ならないネコヒトでした。




