24-2 夜逃げ屋タルトには明かせない、ネコの秘密の人脈 - 勇ましい乙女心 -
「ん、今何か……気のせいか。あっ、おい、そこのかがり火消えてるぞ!」
朝日が出る前にギガスラインを抜けました。
しかしこれはどういうことでしょうか、妙というかふに落ちません。
正規軍増強の話もありましたし、その分だけ注意してあの桁違いに高い城壁を越えたのですが、サラサールに代替わりしても相変わらずのひどいザル警備でした。
パナギウムが軍事力を高める方向に転換したというのに、警備体制が全く変わっていなかったのです。
いえ、まだ軍部の改革が進んでいないだけかもしれません。
どうにも軍の動きが気になりましたが、今は夜が明ける前に目的地にたどり着かなければなりませんでした。
こうして遊々とギガスラインを抜けたネコヒトは、レゥムまで続く草原地帯を駆け抜けました。
それからレゥムの街の東部、その混沌とした旧市街に向かい、タルトの骨董屋の前でようやく足を止めます。
「思えばこの時間に来るのは初めてですね……」
東の空が紺色に変わっています。
もう間もなく夜明けという時間帯もあってか、さすがに店はもう閉まっていました。
そこで彼女がそこの2階で寝ていると信じて、怪しいフード姿のネコヒトが屋根に飛び移ります。
近隣住民に気づかれないように小さく、ノックと呼ぶには長い間隔をかけてじっくりと窓を叩きました。
早朝と呼んでも差し支えのない時間です。
あの冒険者たちの会話を盗み聞きなどしなければ、妖精さんは人目を気にする必要などなかったでしょう。
幸いその日のタルトはそこで眠っていました。
家の中から2階の窓が開かれると、いつもと少し違った歓迎を受けてしまいましたけれどね。
最初に目に付いたのは不機嫌な怒り顔よりも、わずかな月光と朝日に輝くナイフの切っ先でした。
怪しいネコヒトは、怖い赤毛の女にナイフを突きつけられてしまったようでして。
「わたしですタルト、その物騒な物を引っ込めて下さい」
ところがわたしの願いは叶いませんでした。
彼女はしばらく黙り込み、それはもう不機嫌にわたしをただ睨んでいました。
「この……ッ、なんて時間に訪ねてくるんだい……っ。もうっ、とにかく中入りなよっ……誰かに見られたら、どうすんだい……っ」
「はい、そのナイフをどうにかして下されば喜んで」
「あたいは危うくアンタを刺し殺すところだったよ……っ」
「もう朝です。深夜に押し掛けるよりはマシでしょう?」
タルトが窓辺から離れたので、わたしはやっと骨董屋の2階に入り込めました。
「太陽が出てなきゃあたいにはまだ深夜さ! ああっもうっ、せっかく気持ちよく寝てたのにさ……寝直したら、アンタの顔を夢に見そうだよ!」
「あなたの夢に出演できるなら、それはそれで光栄ですよ」
赤毛のタルトは文句を付けながらもいつも通りの動きをします。
不機嫌な足取りで棚から魔界の赤く光る酒を取り出し、いつものテーブルに並べて二人分の酒を注ぐのです。
ボトルはもう残り少なくなっておりましたが、彼女はこれっぽっちも惜しみませんでした。
「寝起きによくそんなもの飲めますね……。わたし猫舌なので、強い酒は苦手なんですが……」
「はんっ、夜逃げ屋は夜の仕事だからね、眠気覚ましにこいつがちょうど良いってもんさ」
テーブルに腰掛けると、タルトが我先に赤い酒をあおりました。
それが見事なもので、その一杯で本当に彼女の背筋がしゃきっと真っ直ぐに伸びていました。
それに付き合う形で、わたしも少し魔界のきつい酒を舌で舐めます。
嫌いではないですけど、やはり強いのは得意ではありません。
「それにしても……そのかわいいパジャマ、やはりあなたのお気に入りなのですか?」
「はっ、どうだろうねぇ。アンタ以外が見たら、目玉ごと潰されてるところかもしれないね」
「それは怖い。まあそれで用件というのは、いつものやつでして」
わたしは立ち上がり、リュックをタルトの隣の床に置きなおしました。
その中から特に高価な、プリズンベリルがぎっしり詰まったものをテーブルに乗せます。
さらに肩にかけた首狩りウサギの毛皮からも、レイピアで縫製を断って中に詰められたベリルを取り出しました。合計で83個あったはずです。
ランプの明かりが屈折率と透明度の高いプリズンベリルをぼんやりと照らし、色とりどりの虹の輝きを放っていました。
「眠気が一気に冷めたよ……。アンタ、どこからこんなにかき集めたんだい……」
「ええまあ、鳥のような不思議な方との、少し特殊なコネがありまして……。とにかくこれらを売りたいのです」
「依託されたのかい?」
「いいえ、全てわたしたちの財産です。それでこちらが欲しいのは、ええ、さすがに今回は物が多いので、こちらの紙にまとめてもらいました」
カスケード・ヒルで買ったわら半紙です。
それをランプのすぐそばに置くと、タルトが身を寄せてそれを眺めました。
「ふんっ……アンタだけで運べる量じゃないね。あたいらの力が必要ってことかい」
「ご名答、話が早くて助かります。今すぐが無理なら後日また来ますので、その時にでも」
「リセリの恩人にそんな手間はかけさせないさ。いいよ、これなら一石二鳥さ」
「はて、レゥム側でまた何かありましたか?」
人肉喰いサラサール王の即位。
この情勢の変化が数々の事件をパナギウムに引き起こすことは、もう最初からわかっていることです。
「違うさ、あんたに紹介したい人がいるのさ」
「紹介ですか……。フフ、いつもそのパターンで厄介事に巻き込まれてる気がしますよ」
「はっ、それはお互い様じゃないか」
「……それもそうですね。いつもこちらの無茶を叶えて下さり、あなたには感謝しておりますよ」
バーニィがタルトを紹介してくれなかったら、今頃わたしたちはとても苦労していたでしょう。
石工のダンの紹介がなければ、冬の生活はすきま風との戦いだったかもしれません。
「よしてくれよ、お互い様だって言っただろ。……とにかく話はわかったよ、こっちでありったけの物資を準備しとく」
「そうでしょうかね。わたしたちの状況を理解した上で、公平な取引をしてくれるあなたには、やはり感謝せずにはいられないのですがね」
タルトはわたしをうろんそうに見て、それから注意を再びわら半紙に向けました。
やがてその顔がまた上がり、疑問を向けてきます。
「ん……? この花の種、タルト、相談、っていうのはなんだい……?」
「それですか。実は城のバルコニーに庭園を造ることにしまして、その種を買いたいのですが、目当てのものがあるかわからないので、あなたに相談するといいと言われまして。ああご安心を、バーニィではなくリセリからです」
タルトにはかわいいところがある。そのことにわたしも最近気づきました。
彼女は思わぬ仕事に困り顔を浮かべて、現実逃避もあってか赤い酒を一気にあおりました。
「ぷはっ……。つまり、なにかい……? あんたと一緒に花屋に行けってことかい? この、レゥム旧市街のタルトさんが、花屋に行くのかい……ッ?!」
変わったところで恥じらいますね、この人。
花屋に行くのが恥ずかしいだなんて、女性ではなかなか見られない反応です。
「それでリセリの笑顔が買えます。なかなか悪くない買い物だと思いますが?」
「ぅ……」
「あなたの貢献で花園が美しく彩られたら、リセリはさぞや自慢に思うでしょうね。お姉ちゃんのおかげで――」
「わかったっ、わかったよっ、それ以上言わなくてもわかったよもう! はぁぁ……とんでもなく恥ずかしい依頼だけど、腹をくくるさ……。リセリのため、リセリのためだからね……」
「そうですか、では夕方前までにここに戻りますので、その時にご一緒しましょう」
残りの酒を一気にあおると、喉も胃も一気に熱くなってさすがに頭もクラクラしました。
しかし有無を言わせぬ勢いが大切です。すぐに立ち上がってタルトに背を向ける。
「ちょ、ちょっと、どこに行くつもりだいっ!?」
「秘密です」




