21-3 牙城グラングラムに眠る意志 - 黒い同胞 -
深夜、わたしはクークルスの寝床に忍び込みました。
看病していたアルスが侵入者に気づき、真っ白なネコヒトの姿に警戒を解く。
せっかくパティアが焼いたらしき干し果実入りのクッキーも、ほんのひとかけらしかクークルスは口にしていないようでした。
「なんだキミか。こんな時間にどうしたんだい」
「看病お疲れさまです、クークルスはあなたに感謝していますよ」
そう口にしながらあの日以来、腕から離れてくれない腕輪をネコヒトは軽く撫でました。
それは遠い昔に亡くした主人との繋がりの象徴です。
「わたし色々と考えまして、やはりダメ元で、オカルトを頼ろうかと思います」
「オカルト……? まさか彼女を裸にして、妙な薬を塗りたくって、呪文でも唱えるのかい? なんていやらしい……」
自分で言っておいて冗談にキレがないことに気づいたのでしょう。
アルスは小さくため息を吐いて、わたしという来訪者に再び目を向けました。
「気が変になりそうだよ……彼女は子供たちみんなの支柱だ、死なれたら取り返しが付かない……」
部屋の扉を閉めて、それからアルスの肩を軽く叩く。
彼は毛皮の敷物から立ち上がり、わたしと隣り合って眠りの中のクークルスを見下ろしました。
「彼女のいない生活なんて考えられない……助けてくれ、頼む、エレクトラム・ベル……どうか頼むッ」
「お任せを。……ところでハルシオン姫」
「あ、ああ、何だ……?」
クークルスの前で本当の名前で呼ばれて、パナギウムの王女が少しだけ我を取り戻しました。
いえ、ハルシオンの名で呼んだのにはもう1つ意味があるのです。
「ハルシオン姫。この腕輪は、あなたの救出の代価として支払われたものです。これが何だかわかりますか?」
「いや……。しかしあれほどの危険任務の報酬だ、それ相応の価値があるのだろうな。そうじゃなきゃキミがボクを助けるはずがない」
「ええまあ。フフ、ですが経緯はどうあれ、今では助けて良かったと思っています。明るいあなたがいない生活など、もうあり得ませんから」
「ネコヒトくん……キミもなかなかここぞと、ボクの心をつかんでくるじゃないか。確かにキミは、パティアくんの父親だよ、そうとしか言いようがない」
打算も含みます。パナギウムの政情が変化すれば、彼女は生存を知る者に新たな旗印として利用されます。
そんなことになったら寂しいです。わたしもパティアも。
「話を戻します。これはオリハルコンの腕輪、別名は魔王の腕輪とも呼ばれています。人ならざる者との交渉能力を持ち主に授ける、アーティファクトですよ」
「なら質問がある。……魔王って、そんなに腕が細かったのかい?」
「フフフ……もし生きていれば、あなたはきっと夢中になってしまったでしょうね」
「女の子ってことかい? それもかなりの美人かな……!」
良いように手足にされる姿が見えます。
なにせ自堕落な方でしたので、それ相応に人に何かを頼むのが巧かったのです。けして自分から働こうとはしませんでした。
「とにかくですね、ダメ元でこの腕輪の力を試します」
「美人魔王の付けていた腕輪をだね」
あなたが魔王様にかしづく姿が目に浮かびます。
もし消えた魔王様が生きていたら、わたしはこの里を紹介したい。全てを捨ててここで静かに暮らしましょうと。
「もしもシスター・クークルスを衰弱させているものの正体が、悪魔や何かの類だとしたら、これで取引に持ち込めます。しかし残念ながらやつらは精神体ですから、今のところ倒す方法をわたしは知りません」
「確かにそれはオカルトとしか言いようがないな……。わかった、やってみてくれ」
「話が早くて助かります。ではいきますよ」
腕輪の力を発動させました。
するとベッドに寝そべるクークルスの上に、ぼんやりとした幻影がゆっくりと浮かび上がってゆく。
本当にいたのです、彼女に憑り付いた何者かが……。
「ネコヒトくんッ……!」
「ええ、どうやら当たりのようで」
陽炎のように揺らぐ、像の定まらない幻影がそこにありました。
目をこらしてぼやけるそれをよく見れば、二重に驚きです。わたしと同じネコヒトに見えなくもなかったのです。
「悪魔のたぐいかと思いましたが、まさかネコヒトに近い容姿を持っているとは思いませんでしたよ、クークルスを蝕む者よ」
「言われてみればそう見えるな……」
その幻影がわたしを見つけました。
表情まではわかりません、何せ不安定に揺らいでいます。
「単刀直入に要件から言います。このままでは彼女は死んでしまいます。その身体から、立ち去ってはもらえませんか?」
「頼む、彼女は里に必要な人間なんだ!」
そのネコヒトに似た黒い影はアルスには目も向けませんでした。
腕輪の所有者であるわたしを見ている。それだけはわかります。
「聞こえませんでしたか? シスター・クークルスから出て行って下さい」
「……クークルス」
「ええそうです、あなたが出ていけば救われます」
「クークルスは、代償を、支払いきれなかった」
声もまた不明瞭で揺らいでいました。
それが悪魔や悪霊のようなおどろおどろしさを演出しています。
お化けというのは何を考えているかわからない、だから怖いのです。
ですがこうして会話が成立している以上、恐れる必要はもうありません。
「だが代わりに、代償を納めてくれたら、丸く収まる……」
「やはり無償の才能ではなかったということですか」
悪魔の言う代価となれば、どんなめちゃくちゃな請求をされることやら。
いえ今のわたしは交渉人、最良の条件をこの黒い影から引き出す役目がある。
「我が輩は、願いに応じただけ……、グラングラムに住む者の、生活を、良くしたいという願いに、応じた……奇跡的に、彼女と、波長が合ったのだ……」
「都合のいい話ですね。クークルスのやさしさに付け入っただけでは?」
ついつい毒を吐いていました。
だってそうでしょう、その結果クークルスが死んだらこの地に住む者は嘆き悲しむ。
「聞け、ネコヒトよ。ここより遙か北方、ここと同じく、魔界辺境の森の果てに……とある洞窟がある……」
アルスは黙り込んでしまっていました。
適切な言葉が見つからないのでしょう、見守ることを優先したようでした。
「また急に話が変わりましたね、それは何のつもりです?」
「その奥に……封じられた彫像を、ここまで運んで欲しい……」
黒い影にとってその行為は極めて重要で意義深いことでした。
わたしがその願いに応じれば、代価として応じるという意図でしょうか。
「それはなぜです。いきなり失礼な質問となりますが、あなたは悪魔や邪神の類でしょうか?」
「ククク……邪神か」
するとその黒いネコヒトの影がどこか自虐的に笑いました。
「状況的にそう見られても仕方ないかと思いますよ」
「違う……。この姿を見れば、わかろう、我が同胞、いや末裔よ……」
「自分がわたしたちネコヒトの祖だとでも? いよいようさんくさい、あり得ませんね」
「いや口をはさむようだけど、少なくとも同じネコヒトにボクは見える……どうでもいいことだけどね」
ならなおさら許せません。
同族がわたしの恩人を死の寸前に追いやっているのです。
「とにかく、助けたいならば……交換条件を、飲むことだ……」
「では参考に聞きます。彫像を持ち帰るとどうなるのです、あなたの目的は何です。これは契約、嘘を言えば全て無効となりますよ」
もし不誠実な契約でわたしを騙そうとするなら、こちらにも考えがあります。
今は方法がありませんが、以降どんな手を使ってでも消してやります。
「同胞よ、我が輩の願いは――グラングラムの復興だ」
黒いネコヒトの影は誇るようにこの城の古き名を再び口にしました。
偉大なる竜殺しの剣、グラングラム。それがわたしたちが愛する城の名です。




