21-3 牙城グラングラムに眠る意志 - 巣くわれたシスターと救うネコ -
それからしばらくは事件らしい事件も起きませんでした。
リックが迷宮攻略に夢中になるあまり、代替戦力としてワイルドオークのジョグと騎士アルスにまで秘密を明かすことになりました。
まあですが、それは詳細に語るほどの大きな出来事ではないでしょう。
時に少しばかり激しいだけの、平和で無為と共にある毎日が続いてゆきました。
●◎(ΦωΦ)◎●
やがて日数と共に寒さと積雪のピークが過ぎ去りました。
それからまた少し経ってもうじき雪解けをひかえた頃、残念ながらついにそれは起こってしまったのでした。
「あ……ねこたん……」
部屋を訪れると入り口にパティアが張り付いていました。
少し潤んだ不安な瞳で中を見つめていたものが、助けをすがるようにわたしを見る。
「そんなところにいないで中に入りましょう」
「うん……そうしとく……」
ふかふかの左脇に抱きついたパティアをそのままにして、わたしは病床の前に立ちました。
バーニィの作った一番出来映えの良いベッドです。今はそこにシスター・クークルスが力なく横たわっています。
「あら、ねこさん……来てくれたんですね……パティアちゃんも」
「クー……へいきか……?」
そうです、ついに倒れたのです。
いくら休めと言っても彼女は聞きませんでしたから、これは当然起こり得る約束された結果でした。
「苦いお薬、飲みましたから、平気ですよ……心配しないで、パティア…ちゃん……」
「そうか……でも、つらそうにみえるよ……?」
やせ我慢でした。高熱で意識がもうろうとしているのか、言葉のイントネーションが合っていません。
彼女はそれでも看病するアルスに指示をして、自分の薬を作らせていました。
「熱が下がらないそうですね。見たところ薬も効いているようには見えませんが」
パティアに聞かれたらまずい言葉ですので、わたしはクークルスの耳元で小さくつぶやく。
彼女は弱くうなづいて、病のせいか恋しそうにわたしの毛皮を見つめました。
「はい……。ふふふ、おかしいですね……困って、しまいました。はぁ、はぁ……どうしましょうか……」
「クー、つらいのかー……!? しっかりしろーっ、クー……」
「へいきです……全然へいき、ですよ、わたし……」
子供の前で彼女は絶対に泣き言を言わない。
本当は苦しくてたまらないだろうに、彼女は痛々しいほどにやさしく笑い返す。
「ねこたん……クー、クーは……しなない? しなないよね……?」
「はい、大丈夫です。この程度で彼女は死にません」
実際はわかりません。このまま病状が治まらなければ最悪の結果も起こり得る。
というよりどうも話通り妙でした。
彼女から微弱な魔力を感じる――そうマドリが眠れるわたしを起こし、通常の病ではない可能性を示唆してくれたのが先ほどなのです。
「クーさん、新しい薬ができたよ。飲んで良くなってくれ」
「はい……わざわざありがとう、ございます。それに、ずっと付き添ってくれて……私ね、アルスさんが天使様に、見えます……♪」
「天使か。フッ、その言葉はそっくりそのままキミに返すよ。さ、飲んでくれ」
「ねこたん、クー、よくなるよね……?」
「はい、必ず」
アルスが作った不器用な丸薬を、クークルスが軽く身を起こして水と一緒に飲み込む。
効くかどうかはわかりません。いっそメープルシロップを壺ごと飲むことを勧めましょうか……。
「ぅ……ぅぅぅ……おとーたん……」
パティアのその言葉がわたしを不憫にさせました。
何としても彼女を治さなくてはなりません。
娘は今、エドワードさんの死を思い出してしまっている。
「パティア、すみませんがマドリをここに連れてきて下さい。わたしに少し考えがあります。その後はリックのところでクークルスが喜びそうなお菓子を作ってきて下さい」
「わかったっ、まってて! クー、ねこたんがなおしてくれるって……!」
わき目もふらず娘が退室すると、クークルスは作り笑顔を止めてひどく苦しそうにベッドに崩れ込んでしまいました。
それから容態が少し落ち着くと、すがるようにアルスがわたしを見つめる。奇跡が起きるならばわたしがその機転となるのだとでも言いたそうに。
「何も言わずとも結構、どうかお任せを」
恐らくこれは病ではありません。
それに以前クークルスはこう言っていました。神様が才能をくれた、と。
「しかしマドリくんを呼んでどうするつもりだい?」
「通常の病ではないという観点から、彼女を診察してみようかと。なにせ今も、彼女の中から微弱な魔力が異物として感じられますので」
「異物、ね。どうやらボクにはわからない話のようだ。しかしそれで良くなるならめっけものだろうね」
「はい、まあそういうことです」
わたしたちは静かにリードを待ちました。
クークルスはパティアが立ち去ったことにより強がりを止めたようで、その後も全く一言もしゃべりませんでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
「ディスペル」
原因が彼女の中にある異質の魔力であるならば、それを強制解除すれば良い。
そこでリードに、強制魔法解除の術、ディスペルをかけさせてみました。
「ディスペル。ダメです、解除できません。何か強い力でロックされているみたいです」
「そうですか。やはりそう簡単にはいかないようですね……」
しかしこれで決まりです。
不調の原因は肉体的なものではありません。それが確定しただけでも一歩前進と見ましょう。
「ですがもう一度お願いします。ダメ元ですが、わたしからロックに干渉してみます」
「はい……!」
それも結局ダメでした。
その後もあの手この手とリードと共に処置に尽くしました。しかし何をやっても改善には繋がりませんでした……。
●◎(ΦωΦ)◎●
やがて日暮れが訪れ室内が暗くなり、メギドフレイムの白き焔だけが室内を照らすことになりました。
「彼女の中の何かがディスペルを拒んでいます。それが絶対に外れない、ロックか何かになってしまっているんじゃないでしょうか……」
「はい。仕立て屋の才能を手放したくない、シスター・クークルスのその強い想いが枷になっている可能性は高いでしょう」
つまりはお手上げです。
彼女の性格を振り返ればわかることで、どんなに苦しかろうと皆を幸せにする才能を手放すとは思えません。
「才能……? あのそれって、どういう意味ですか……?」
わたしは個室の外に向かい、アルスとマドリに来るよう手招きをしました。
これからする話をクークルスの前でしたくなかったからです。
「以前、シスター・クークルスは神様に力をもらったと言っていました」
「ああ言っていたね、ボクも聞かされたよ。事実彼女の仕立て仕事は、神業の域でもある」
彼女は得体の知れない何者かに、不自然な力を授かった。
しかし代償無しに力が得られるはずもない。
「その神様が実在したとしましょう」
「はっ、神っていうよりそれ、人の弱みにつけ込む悪魔じゃないか」
「ええ、この結果からしてもう答えは出ています、彼女の夢に現れ、仕立て屋の才能を与えたのは、本当の神様ではありません」
「悪魔……肉体を持たないアストラル体の怪物たち、本当に実在してたんだ……」
アルスがマドリの年齢らしからぬ博学さに意外な顔をしました。
というより、オカルトに両足突っ込んでいるような知識でしたので。わたしたち自身も実のところ信じかねていました。
「名前の定義は重要ではありません。この何者か、クークルスの願いを利用しようとする悪魔か何かが、今も彼女に憑り付いているとしましょう。さあどうします?」
己の手首に手をかけて、わたしは彼らに問いかける。
「ええっと、それを倒せばいいのでしょうか……」
「少なくとも、聖堂からエクソシストどもを呼んでいる時間はないな。やつらの術が見せかけの嘘っぱちかもわからない」
「エクソシスト、倒す、なるほど……それがオカルトの流儀ですか」
もう一度わたしは手首を撫でる。そこにある、あの方のご遺品を。
魔王様、この腕輪をパティアに授けようとしたのは……全てを見越していたと?
「わからん。どうしたらいいのかすら、もうボクにはわからないよ……。いっそ人間の医者でもここにさらって来るかい……?」
「いえ原因は間違いなく、クークルスさんの中の魔力だと思います。だけどこんなケース、私も初めてで……」
ただ1つ確かなことがあります。
それはシスター・クークルスを絶対に死なせてはいけないということです。
彼女が死ねば、それはわたしの娘に死の象徴となって残るでしょう。
これまで以上に親しい者の死を恐れるようになり、それがパティアを戦いへと駆り立てる。
強い力を持つがゆえに、全てを守ろうとするのが見えている。
パティアは脳天気に育ってもらわなければ困るのです。わたし個人の願いを越えて。
「なるほど参考になりました。まだ倒れて半日も経っていませんし、少し様子を見ましょう」
良くならないようなら仕方ありません。
魔王様より授かったこの腕輪を使って、わたしはあのうさんくさいエクソシストどもの真似事をしてみることにしました。
「あのっ、どちらへ?!」
「考えがあるので少し寝ます。夕飯は寝床に運んでおくよう伝えておいて下さい」
腕輪の力をマドリに見せるのは気が進みません。
時間と場所を改めることにしましょう。




