21-2 暇を持て余した牛と猫は迷宮を下る - 秘密のダンジョン -
きっかけはリックでした。
積雪が始まってはや一ヶ月、それと同じだけ待てば隠れ里ニャニッシュに雪解けの季節が来るはずです。
というのも毎年のこの積雪により、魔軍の活動が鈍るというのが世界の常識です。
争いの絶えぬ北部ギガスラインにも、この季節ばかりには短い平和が訪れる。その期間というのが2ヶ月なのです。
これまでの1ヶ月間はたまに訪れる晴れ間を楽しみに、城へと籠もって過ごしました。
毛皮を持つ者として、晴れた日に狩りも行いましたが、今日までの成果は白い冬毛となった首狩りウサギが2匹ぽっちです。
わたしはバーニィの釣果に負けてしまいましたよ。
なんと彼は冬の間に、よく脂の乗った川魚を150匹以上も釣り上げて見せたのです。
冬でも釣りがしやすいようにと、バーニィは釣り仲間のジョグに手伝わせて、湖の前に簡単なキャンプ地を作らせました。
春になったら簡単な桟橋と、屋根のある休憩所を作りたいそうです。
さて毎度のことながら前置きが長くなりました。
これまで雪解けの季節を待って、わたしたちは力を蓄えてきました。
冬の前にため込んだ素材を暇つぶしに加工して、生活に必要な家具を増やしたり、手を付けていない空き部屋を片付けたり、補修や整備をしたりと冬なりの努力をしてきました。
しかしそんな生活を1ヶ月も続けていると誰だって飽きます。
特にリックのような武人にとって、城に引きこもり続ける生活は身体の衰えを招きかねないものでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
「教官、このままでは、身体がなまる。狩りに行くなら次は、オレも連れていってくれ……」
その日の昼食はやわらかいパンと、解凍したボア肉と干しキノコのスープ、それと塩漬けにしたカブの漬け物と、わずかばかりの甘い干し果実でした。
食事を平らげて、竪琴で300年前の古い曲と、マダムのクラブで聞いた新しい曲、それと即興を3曲ほど演じると、リックがわたしの目の前にやって来ました。
「お断りします。獲物が少ない今の季節、ペアで行動するメリットがありません」
「なら1人で行こう」
「それもダメです、冬を甘く見るとあなたでも死にますよ」
「だが城に籠もって、練兵所で槍を振り回してるだけでは、もう……ストレスがたまって、オレは気が変になりそうだ……ッ」
「あなたは根っからの武人ですね。ジョグやわたしを見習ってのんびりすれば良いでしょうに」
しかしむげにするわけにもまいりません。
わたしは少しばかし大げさにあごに手を置き思慮して見せました。
要するに牛さんは春まで我慢できないそうです。
「つまり狩猟を介して、戦いの勘を取り戻したいと?」
「ああ、そうだ……。教官はいつも、オレの代わりに、気持ちを言葉に変えてくれるな……。きっとそうだ、オレは戦いたい……」
「確かにまあ、ここのところ天気が悪く、退屈でたまらないのは否めませんね」
ここだけの話、リックのこの悩みは簡単に解決できます。
城の外に出ずに、戦いの勘を取り戻す方法がある。
しかしそれは今日まで隠してきた機密事項を明かす行為でもありました。
「わたしとの模擬戦では満足できないと?」
「違う、相手をしてくれるのは、嬉しい。だが狩りや戦いが遠のくと、それだけで何だか、落ち着かないんだ……」
自分がわがままを言っている。リックはそのことを自覚していました。
ですから視線を落として申し訳なさそうに言う。要するにですね、冬ごもりに飽きたんです、彼女なりに。
「わかりました、バーニィとパティア……いえ、この際ですからもう1人付けますか。クレイは論外として――アルスかマドリ、どちらかを連れて行きましょう」
わたしも退屈していました。
魔力を温存するのはいいのですけど、確かに単調な日々が続いています。
「話が見えない、教官は、オレをどこに連れて行ってくれるんだ……?」
「そうですね、端的に言えばそれは――井戸の底と答えましょう」
「井戸の底……? 教官、全然端的じゃない。はっきり言ってくれ」
思い返せば先月バーニィとこっそり潜ったっきりです。
ならばたまにはあの迷宮を使ってやりましょう。
「説明したところであなたが信じるかどうか怪しいラインでしてね、とにかく人を集めましょう。アルスとマドリ、一緒に戦うならどちらを取りますか?」
外に漏れると危険な秘密を知る者が増えることにもなりますが、彼らなら信用できます。
リックは最強の戦力ですし、ストレスを溜めているのも事実ですから教えてしまいましょう。
●◎(ΦωΦ)◎●
封鎖された井戸の部屋に人員を集めました。
わたしは光の漏れる井戸のふたを外して、背中の後ろのリックたちに振り返りました。
リックに選ばせれば騎士アルストロメリアではなく、近しい方のマドリが選ばれるのが当然だったようです。
「では、皆さん、説明するより中に入った方がずっと早い。さあ参りましょう」
「教官? 入るってまさか、その光る井戸に、あ――」
牛魔族リックの言葉は途中で途絶えました。
わたしが井戸の中へと飛び降りて、別の空間に入り込んだからです。
●◎(ΦωΦ)◎●
垂直に落ちてそれが歪み、いつの間にか横へと落ちる。
すっかり慣れてきたその感覚にあわせて、わたしは迷宮内部に転がり込みました。
迷宮はまた模様替えをしたらしく、今回は寒々しい氷のような蒼色の色彩に彩られていました。
それからすぐにパティアが横壁から落ちてきて、ネコヒトの胸に抱き支えられます。
「ねこたん、ないすきゃっちー! パティア、なれてるからー、ひとりでもへーきだけどな」
「いえいえ、あなたは貴重な超火力なのですから、丁重に扱いませんと」
「パティア、なんか、あれだ……おひめさまだなー!」
「はい、わたしにとってあなたは、たった1人の我が姫君で間違いありませんよ」
パティアをちゃんと立たせて、わたしは彼女から離れました。
といってもすぐに抱きつかれて、必要もないのに胸に顔を埋められてモフられてしまいましたよ。
「てれるー……しゅごい、てれる……ねこたん、パティアのこと、そんなふうにおもってたか、でへへ……うれしいなー♪」
「離れて下さい、そういうのは外でしましょう」
「むり、ねこたんしゅき!」
続いてリックとバーニィが続けて落ちてきました。もちろん横にです。
バーニィはもう慣れたもので、受け身を取ってさっと起き上がりました。
同様にリックも初めてのことだというのに、見事何事もなく受け身から立ち上がります。
「わああああっ……?! あっ……バーニィさん」
それから後衛のもう一角であるマドリの落下を、バーニィがわたしの目の前に出て、横取り同然に抱き支えました。
「大丈夫かい、お嬢さん」
「い、いえあの、お嬢様扱いはちょっと……でも、あ、ありがとうございます……」
密着に恥じらうマドリが見れました。
男同士なので恥じらう必要など本来ないはずなのですけど、まあ好きにさせておきましょう。それが若さです。
「教官、それよりここはいったい……。いや、まさかとは思うが、ここは……」
「はい、そういうことですよ。ここは迷宮、それもかなり古い種類の、プロトタイプだそうで」
魔族は迷宮に入れない。だから人間の冒険者から成果を横取りする。それが魔界の常識です。
その絶対に揺るがないはずの常識が崩され、マドリとリックは驚き熱心に周囲を見回していました。
「魔族でも入れる迷宮……。そんなの私、聞いたことありません! すごい……ここが迷宮の中なんだ……すごい、すごいです!」
「バカな! 教官、今日までこんな良いものを、オレたちに、隠していたのかッ!?」
2人の興奮はそれぞれベクトルが異なりました。
マドリは知識欲や探求心、リックは一度は入ってみたいという冒険心でした。
普段寡黙でひかえめなリックにしては、強い喜びと興奮を見せています。
彼女にとってここは死の恐怖と隣り合わせのバクチ場ではなく、武人として最高の遊び場だったのでしょう。
皮肉にもこういうところは兄弟子のミゴーに近い。
いえそれにしてもヤツは今頃、どこで何をしているのでしょうか。
ミゴーはあの時、わたしを取り逃がしました。
ならば魔将ニュクスにそのことを報告しているはずです。
なのにどういうわけか、わたしが生きていたという裏情報すら魔界には流れていないそうでした。




