19-5 冬ごもりの始まり、魔界辺境に訪れる白
わたしがリード新公爵を公城からさらい、ローゼンラインの手前にさしかかった頃、隠れ里ニャニッシュではとある小さな出来事が起きました。
・隠れ里ニャニッシュ
「おー……これはー、もしや……ぉぉ、おぉぉぉー……」
パティアは空を見上げました。
魔界の暗雲と人間の空を半分こにした不思議なあの空を、目を丸くして。
少女の眼差しの向こう側から何かが舞い降りてきていました。
●◎(ΦωΦ)◎●
「ん、んんー? なんだ、こりゃ……」
バーニィはちょうど北の森で伐採した木を肩に背負い、古城へ運んでいたそうです。
冬の間に家具を充実させたいと、秘密基地を作る子供みたいに語っていました。
「おいおい、いやぁに寒ぃわけだぜ。ふぇ……えくしょぉぉぃっっ!! ああくそ、こんなことならカッコ付けんじゃなかったかなぁ……」
自分のコートは一番最後でいいと、クークルスに伝えたあの件のことでしょう。
そこに冷たい張り詰めた北風が吹き込みました。
「ぅっ……こんなところにいたら凍っちまうなっ。まったくよ、パティ公がいなきゃ悲惨な冬になるところだったぜ……ううっ寒っ」
彼は木材を抱えたまま身を震わせて、たくましいその身体を跳ねさせて城内へと駆け込んでいったのでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
「クーさん」
「あらアルスさん、いらっしゃ~い」
「急な話なのですがね、今からテラスまでご一緒しませんか?」
「テラス、ですか? あらー、なんのご用でしょうー?」
シスター・クークルスと騎士アルスは、わたしの知らぬうちにまた仲良くなったそうです。
「行けばわかります。貴方の審美眼にもきっと見合うことでしょう。さぁ、裁縫針など捨ててこちらへ」
「ふふふ、強引なんですね、何だかちょっとドキドキしてしまいます♪ だけどバニーさんのコートが、あとほんのちょっとなので……」
自分のコート作りを後回しにして、遠慮したバーニィのものを先に作る。
これだからこのシスターは困ります。模範的ではありますがね、いささか、過ぎるかと。
「あんなデリカシーの欠片もない変態オヤジの服なんて後回しで十分です。あの人は確かに気の良いところもありますけどね、クーさん、気を付けて下さいよ?」
「はい、バニーさんがトンカチ振り回してるときはー、危ないですもんね」
そうじゃありません。良いヤツだけど大したスケベ男だってアルスは言ってるんです。
「いや、そうじゃなくて……。ああもういいです、それより行きましょうクーさん!」
「はい♪ なんだか私、急にわくわくしてきました♪」
麗しい男前の元お姫様は、クークルスの手を引きテラスまでエスコートしていったそうです。
絹のようにスベスベでやわらかい指だったと、その男前の方は必要もないのに事細かく興奮気味に語って下さいました。
あら素敵。それがテラスを訪れたシスター・クークルスの第一声でした。
●◎(ΦωΦ)◎●
ジョグとリセリは食堂で仲むつまじくお茶をしていました。
二人の若さからは想像も付かない、老齢の夫婦じみた口数の少ないひとときを過ごす方々です。
「ジョグさん、よければお茶をもう一杯どうですか……?」
「い、いや、もうお腹たぷたぷだべ……。それよりリセリよぉ、なんかぁ、外が慌ただしいべ」
食堂の壁の向こうから、子供たちの興奮した叫びが遠くそこにも届いていました。
「なぁ、これなんて言ってるんだべさ?」
「……ジョグさん、温かいお茶をもう一杯飲んで、それからあっちに行きたいです」
リセリは最初からそれに気づいていました。
鋭敏な聴覚で外の状況を悟り、その結果がお茶を勧める行為に繋がったのでしょう。
「わかったべ、リセリの言うことに間違いはねぇべ」
ハーブティーでもう一度身体を暖めてから、二人は古城から外に出たそうです。
目が見えぬリセリには、ほんのささいな出来事だったのかもしれません。
●◎(ΦωΦ)◎●
「まずいな、教官の帰り道が心配だ……」
「にゃぁ……まったくですにゃぁ」
「あっこら焦げ猫! 今つまみ食いしたでしょっ!」
食堂の彼女らも気づいたようでした。
ジアという小娘に叱られて手首を叩かれたところで、クレイは言葉巧みにかわすだけでした。
「同じエレクトラムさんの信奉者として、お手伝いをしに来ただけなのに酷いにゃぁ……傷ついたにゃぁぁ……」
「同じに、されたくない」
「この前だってクコの実が消えたじゃない! アンタが食べなきゃ誰が食べるのよっ!」
うさんくさいネコヒトはネコヒトなりに、困ったことに里へと完全にとけ込んでしまっていました。
本当に困りましたよ、連れてきた以上は今さら追い出せませんし……。
●◎(ΦωΦ)◎●
その次にパティアが見つけたのは石工のダンでした。
城壁に張り付いて、補修に夢中になっている彼にパティアは体当たりして、大声で叫びました。
「たいへんだー、ダダーン!!」
「お、脅かさないでくれよぉ……。だから、おいらは、だ、ダンだよぉ……」
「ダーンッ、たいへんだ! ゆき、ふってきた! なんか、きれー、ゆきだゆきだー!」
そうです、隠れ里に初雪が降ったのです。
「パティアは、ゆ、雪、見たこと、ない、のか……?」
「みたことあるよー。でもパティアねー、ゆきが、すきなのだ。ダンはすきー?」
「お、ぉぉ……今、おらのこと、ダンって……」
「そかっ、ダダーンもすきかー!」
「だ、ダーンだよぉっ! あ……っ」
ダン、自分で自分の名前間違えてどうするんですか……。
体格に反するこの気のやさしさが、パティアの性格と噛み合って懐かせるのでしょうか。
「あははっ、ダンまちがえたー、ダーンだって!」
「わ、わかってるなら、ふつうに、呼んでくれよぉ……おら、勇ましい名前、似合わないよぉ……」
「うーうん、ダンはえらいんだよー。ダーンのおかげで、おしろあったかくなった! だからー、ダダーンッなのだ!」
そう言ってパティアは汗くさいダンの背中にしがみつき、肩車をしろとよじ登って、少しだけ空に近くなった空をもう一度見上げるのでした。
娘がすみませんね、ダン……。
●◎(ΦωΦ)◎●
・ローゼンライン近郊の森
粉雪が降っています。
ローゼンライン付近のわたしたちのところでも、雪はひらひらと絶えることなくいつまでも舞い降りていました。
「リード、寒くありませんか?」
「大丈夫です。まさかベッドシーツが父上の形見になるとは、夢にも思いませんでしたけど……」
スパイダーシルクのベッドシーツを、グライダーからはがして持ってきました。
今はリードが身体に羽織って、急な外気の冷え込みから身を守るのに使っています。
「真実は吟遊詩人の歌より奇妙なものです。さて……目星も付きましたし行きましょう」
「本当にやるんですか……? いえ質問を少し変えます、やれるんですか……?」
早いところ帰りませんと、最悪は積雪で道がなくなってしまいます。
「はい、これが最も確実な方法です。あなたを荷馬車に隠してあの地下道を通るよりも、ずっと確実です」
「わかりました……どうかお願いしますベレトさん、僕を、あの要塞の向こう側に……連れて行って下さい!」
「はい、どうかわたしにお任せを」
それにこの方法ならば男爵の手を借りずに済みます。
彼へと嫌疑が向けられると、今後の商取引の上で都合が悪いですし……。
それに男爵のわたしへの貸しが増えてゆくと、それがとても愉快なのです。
わたしとリード公爵は向かい合い、これから始める小さな賭けへの覚悟を決めるのでした。




