19-1 茨の長城、ローゼンラインを越える方法 - 薄氷と猫の子供 -
ブチネコとなったわたしは男爵と別れ、ラブレー少年と同じレトリーバー系のイヌヒトと共にローゼンラインにたどり着きました。
「ではよろしくお願いしますね、2人とも。急いでくれないと風邪ひいちゃいますから、そこ忘れないで下さいね」
「緊張で、心臓が……は、はぁっ、はぁぁぁっ、ク、クゥゥン……」
わたしはラブレーにやさしく笑いながら手を振って、自分の棺桶に入りました。
馬車がローゼンラインの地下道前にやってくると、そこが検問です。
荷馬車の外が騒がしくなりました。
「イヌヒトか。荷物と所属を言え」
この声は、ここローゼンラインの警備を任されている兵士でしょう。
こうして止められるのも想定の範囲です。ラブレーに代わり、同じレトリーバー種のイヌヒトが代弁してくれました。
「我々はヘンリー・グスタフ商会の者だ。そっちは見ない顔だな、うちの商会を知らないのか?」
「ああ、俺は最近移ってきたばかりだ。悪いが中を見せて貰うぞ」
荷馬車の中に軍靴の硬い足音がこだまする。
数は3、外にもまだ4、5人いるようです。荒っぽく木箱が開かれたり、布袋の衣擦れ音を響かせていました。
わたしですか? 変わらず棺桶の中ですよ。
その時、誰かが棺桶のふたを乱雑に開き、その内部に横たわる黒ぶちのネコヒトをついに発見しました。
「……お、おい、見ろ」
「な、なんだこれ……つ、冷たい……?! な、何だよこれ、おい前たちッッ?!」
わたしを見つけるなり彼らは驚愕しました。
冷たかったのです。わたしの毛並みも、その奥にある地肌も、けして生きてはいない冷たい体温で兵たちの指を迎えました。
「それはネコヒトの剥製です……」
「は、剥製っ?! お前たちはこんなものを売っているのかっ?!」
「そうだ、かつて魔王はネコヒトを寵愛した。それを剥製としてコレクションしたいと、商会に依頼が入った」
「うげぇぇ……なんて悪趣味な話だ……」
さらにラブレー少年がわたしの手を取る。
それから兵士たちの前で、彼は指先二本で腕を軽々と持ち上げて見せました。
「ほら、剥製でしょ。これには苦労しましたよ、肉から皮を引きはがす作業が、もう大変で……」
「も、もういい……気持ち悪い……俺に触んなっ、いいからもう行けっ、あっち行け!!」
軍靴が遠のいていきます。
やりました。職務熱心な彼らはローゼンラインの地下道へと、うかつにもわたしを通して下さいました。
●◎(ΦωΦ)◎●
止められるのは入り口だけです、そのまま無事にローゼンラインを突破できました。
「へくしゅっ! うっううっ、さむっ、もう心臓が止まってしまうかと思いましたよ……っ。はぁぁぁ……っ、おっと手が」
「キャッキャゥンッッ?!! ちょ、ちょっと、パティアみたいに人で暖をッ、つ、冷たっ?!」
一応種明かしをしておきましょう。ラブレー少年の温もりを奪いながら。
アンチグラビティで己を軽量化して、わたしは剥製に化けました。
しかし触れられては体温から気づかれてしまいます。
そこで己に氷の術を使って、表皮を低体温状態に変えたのです。
身体の発熱を超える冷却をしたのですから、一歩間違えれば肺炎、もっと悪ければ死んでたかもしれません。
ああ逃げられてしまいました。ラブレーの毛並みもなかなかのものですね、パティアが夢中になるのもわかります。
「だけど、ここまでするんですか……。その黒ぶちネコの変装だけじゃ足りなかったんですか……?」
「変装だけでローゼンラインを抜けるのはリスクが高すぎますからね。ではまたニャニッシュでお会いしましょう。ここから先は走った方が早いですから」
「え……」
ラブレー少年が捕まったら娘が悲しみます。
安全な森林地帯まで馬車が移動すると、わたしは予定通り荷台を下りました。
「騙してすみません、アリバイ作りが済んだら先に帰っていて下さい。では」
「ちょっちょっとっ、そんなの男爵様に叱られーーぁぁぁぁっ?!」
ネコはたくさんの人を騙して、孤独な薔薇乙女の長城を抜けました。
エメラルドローズ。それは汚れ無き純白の花と、淡いエメラルドのように透き通る枝を持つ永遠の処女乙女とも詩人たちに呼ばれています。
●◎(ΦωΦ)◎●
その翌朝パティアは――
その日はパティアたちが水くみ当番でした。
部屋から起き出した彼女は、一足先に広場に出て仲間を待つつもりだったようです。
「あらちょうどいいわ、ちょっと待ってー、パティアちゃん」
ところが城一階の廊下でシスター・クークルスに呼び止められました。
「なんだ、クーか。おはよー、きょうも、はたらいてばっかりかー?」
「いいえ、今日はまだちょっとしか働いていないんですよ~」
「クーはえらいなー」
「ふふふ……それよりパティアちゃん、ちょっとこちらへどうぞ~」
中へ入って下さいと、やさしい元シスターが手招きしました。
うちの娘は素直ですから、拒むことなく仕立て部屋の中へと入ってくれたそうです。
「――あ!」
パティアはすぐにあるマネキンに目を向けました。
そのマネキンはバーニィがクークルスへと真心という名の下心を込めて、樹木を削って作ったものです。
「うふふ、気になりますか~?」
「ぉぉぉぉー、これすごいな……。すごい、まっしろだ! ねぇねぇクー、これ、どうしたのーっ?!」
そこに一着の子供用コートがありました。
ふかふかの毛皮を持った真っ白なコートです。余談ですがあのゾエという狂人は、錬金術師としては超一流だったようで、それは見事な純白となりました。
「実はねこさんに、毛皮を白くする薬をお願いしていたんです。これで完成です、はい、どうぞ、これはあなたのですよ♪」
「それー、ほんとうか!? やったーっ、これ、ねこたんとおそろだー! これは、これはすごい、いいしごと、してます!」
クークルスは言っていました。目が輝いて、うきうきと膝がはずんで、喜びの笑顔と一緒に万歳を上げていたと。
その子は両手を上げたまま、無邪気に部屋を飛び跳ねまくったそうでした。
「本当はねこさんがいるときに渡したかったんですけど、寒い日になりそうですし、お披露目しちゃいました~。後でねこさんに謝りませんと」
「ちがうぞー、ねこたんはなー、そんな、ちっちゃいねこたんでは、ないのだ。はやくねこたんに、みせたいなー……」
本音を言うならば立ち会いたかったです。あなたの幸せな笑顔を見たかった。
ですが我が子が暖かく過ごしていたというこの事実もまた、喜ばしいことでしょう。
「クーありがとー! パティアはなー、クーも、だいすきだぞー、おなじモフモフだいすきの、どうし? だからなー。あ、でもねこたんはわたさないからなー!」
「あら、やっぱりダメですかー?」
「ダメ」
「ふふふ、でも~、ちょっとだけなら……?」
パティアが譲るわけがありませんでした。この子の家族はもうわたししかいないのです。
ですけどもう少し大きくなったら、それも変わってしまうのかもしれません。
「ダメ、それはダメ。ねこたんは、パティアとけっこんするの」
「あ、いいですね。そのときはわたしもご一緒させてくださいね♪」
「ダメって、いってるのに、クーはあきらめないな……ねこたん、そんなにすき?」
「はい、ねこさんは悪い人からわたしを救い出して下さった、白猫の王子様ですから♪」
照れくさいので後で聞かされたときは、ノーコメントを貫きました。
幼い頃のわたしは予想もしなかったでしょう。自分のモテ期が300年後になるとは。
「ほんきか……?」
「本気です♪」
「でもでも、あるたん……あるたんはいいのー?」
「アルスさん? あらー、すみません、どういう意味かよくわからないわ~」
「そか、クーは、ねこたんひとすじか」
「はい、最初からそうですよ~♪」
「じゃ、やっぱ、てきだ……。だが、いまだけは……ありがとクー、これすごくきにいった! クー、ありがと、ねこたんにもおれい、いうね!」
そう言い捨てて、パティアはコートをクークルスに着せてもらってから、振り返らずに仕立て部屋を出て行ったそうです。
●◎(ΦωΦ)◎●
「ぉぉ……こおってる」
それから城の外に出ると、すぐそこの水たまりが凍っていることに気づきました。
「でも、パティアはさむくない。ねこたんコートのおかげだ! よし、とーっ!」
子供がすることなんて決まっています。
パティアは勢い良くその氷の上を滑りました。それが結構大きなものだったようです。
「これは、おもしろい! おととっ、おととととっ、あ、あぶないけど、おもしろいなー! へへへー、ねこたんジャーンプッッ!!」
パティアのはしゃぐ声が聞こえて起こされたと、バーニィがぼやいてました。
まあその後、悲鳴も聞こえたそうですよ。
何せ跳躍の衝撃で氷の表面が割れ、中の冷たい水が靴や足に飛び散ったのですから。
「つ、つめたぁぁぁー?!」
それは誰もが一度はやる、若さゆえの冬の過ちというものでした。




