18-9 どんな頑固者も旅路の前には口も緩むというもので - 猫と姉御の昔話 -
「少し話がそれますがね、出張の多い父親の気持ちが今さら理解できましたよ。今頃あの子は、メープルシロップの樹液を夢中で舐めているころでしょう」
「ふぅん、父親かい……。これは当たり前の話だけどさ、あんたにも父親がいたんだよね」
旅というのは暇と共にあります。
今はあまり使わない慣用句ですが、こんな言葉もありました。
どんな頑固者も旅路の前には口も緩む。
「ええまあ。ですがわたしは父も母も顔すら知りません。事情は定かではないのですが生まれて間もなくして、まるでイエネコのように里子に出されましてね。それが何の因果か……魔王様に仕える、とある執事の家だったのです」
タルトはもうわたしの友人です。
口の緩んだわたしはその友人に、ついつい昔話を始めてしまいました。
それにほら、わたしお爺ちゃんですから、昔を急に語りだすものなのです。
「魔王様はとても動物が好きな方でしてね、あの方の城には、たくさんの猫が住み着いていました」
「それ、あたいにしゃべってもいいことなのかい……?」
「たかがわたしごときの昔話です。それに友人であるあなたになら話してもいいと考えました」
もう1つの面から言えば、パティアの夢に魔王様が立ったことで、わたしは誰かに話したくてたまらなくなったとも言えましょう。
「猫だらけの城かい……? 何だか、聞いていたイメージと違うもんだね」
「フフフ……そうでしょうとも」
「世界を滅ぼしかけた恐ろしい悪の王、冷酷無比で、ギガスラインの守りを崩壊させて、大陸東端まで人間を追いつめた巨大なデーモン族だって、あたいは聞いたよ」
美しいあの方をもし1度でも見れば、そんな世迷いごとを言えやしないでしょう。
彼女はとてもやさしかった。魔神に取り付かれる日までは……。
「時代と共に歴史は改竄されます。魔王は、わかりやすい悪の化身であった方が都合が良かったのでしょう。聖堂の連中からすれば特にです」
魔王様が消えてからというものの、彼女という存在は、その時代時代の都合でねじ曲げられ続けました。
もはや本当の魔王様を知る者は、ミゴーが消して回ったこともあって5人もいないでしょう。
「なら1つだけ教えてくれるかい、アンタから見た魔王は、どんな人だったんだい……?」
「怠け者ですね。わたしの主人は働くのが嫌いなダメ王者でした」
「なあエレクトラム、アンタあたいをからかっちゃいないよね……?」
そのせいもあって、魔王様の時代はその後のものより平和でした。
なにせ魔界で一番偉くてべらぼうに強い方が、めんどくさいの一言で職務を放棄するので積極的な戦争にならなかったのです。
ですが魔神が魔王様に乗り移った日に、世界の全てが変わってしまいました。
「いえそれが300年前の真実ですよ。ではタルト、あなたのお父さんについても聞かせてもらいましょうか」
誰かに話したかったのもありましたが、これがわたしの狙いでもありました。
暇を持て余したネコヒトは、タルトの秘密を探ってみたくなったのです。
「ああ、そうきたかい……」
「ただの好奇心で聞いています。なぜ女性である貴女が結婚もせず、旧市街でヤクザたちの親分をしているのですか? いえ、ヤクザというのは例えです、彼らはとても気の良い連中でわたしは好きですよ」
隣を歩いていたタルトが速度を落として、わたしの後ろに戻りました。
顔を見られたくないのでしょう。この方は意外にも可憐な乙女の心を持っているのです。
「間違ってないよ。あいつらは、特に歳のいってる連中はヤクザの出身さ」
「やはりですか」
「あたいの親父はね、レゥムの街の半分、東側を束ねるヤクザの長だったのさ」
なるほど、つまりはこういうことです。
バーニィは、ヤクザの娘に手を出していた。はぁっ、まったくもう、本当にバカな男ですね……。
彼を見ているとときどき思います。
おそらく人の賢さというのは、知能や知識量だけでは計れない。
どんなに頭が賢かろうとバカ野郎はバカ野郎。つまりバーニィ・ゴライアスはずる賢いだけのバカ野郎ということになります。
「だけど色々あってね、親父が死んでからは、あたいが旧市街の縄張りを引き継ぐことになったんだよ……」
思いの外タルトの声が弱々しい。
父の他界で裏社会に権力争いが生じた、といったところでしょうかね。どこの世界でもよくある話です。
「あの連中をあたいが面倒見なきゃいけなかった。色々ゴタゴタがあってね、あいつらは、よその組織には行けなかったんだ……。いや、あいつらの名誉のために言い直すよ、あいつらは行きたがらなかったのさ……」
「当時のあなたからすれば、さぞや迷惑な話でしょうね。彼らが死んだ父親に義理を尽くした結果が、その娘を闇社会に引きずり込む結果になったのですから」
彼女の気分を害する可能性もありましたが、わざと礼儀知らずな言い方をしました。
タルトはわたしに怒りませんでした。睨まれましたけどね。
「その手には乗らないよ。それより今度はあたいが質問する番だよ。どうして今さら、あの子の父親について調べる気になったんだい、なんかおかしいよアンタ」
実は出発して間もなくして、パティアの父、エドワード氏についてタルトにそれとなく聞きました。
レゥムの町で名前を聞いたことはないかと。
返答はかんばしいものではありませんでした。
「今も尻尾が太く逆だってる。いつものアンタらしくもない」
「認めましょう。実は少しばかし静観しかねる事態が起きました。具体的にはまだ言葉にしかねます」
これまでは潜伏が目的でした。
下手にエドワード・パティントンについて調べて、敵にこちらの足取りを悟られぬようにしていました。
「まだるっこしいねぇ……もう少しわかりやすく言ってくんな!」
「仕方ありませんね……。エドワード氏は、刺客を差し向けられ、あの古城で死にました。ギガスラインのはるか向こうまで殺しに来るだなんて、普通じゃありません。裏によっぽどの有力者か、組織が関わっていると見ていいでしょう。彼は何かの研究者だったのですよ」
エドワード氏はわたしと出会った時点で深く傷ついていました。
つまり敵は彼という研究者を、連れ戻すことを目的としていなかった。
「はん、やっと飲み込めたよ。だから下手に調べたりして、こっちの尻尾を掴まれるリスクを避けてたのかい」
「はい、関わることに何1つメリットがありませんでしたから」
わたしはパティアの代わりに仇討ちをすると約束しました。
わたしの娘に害をなす者を倒し、人間の社会に告発してやりたかったですが、どうもまずそうな相手です。
「ならパティアの父親は、いったい何を研究してたんだい」
「それはわたしに奇跡の力を授けてくれたこの、ナコトの書でしょう」
「だけど魔導書はご禁制だよ?! ならあの子の父親は、社会には明るみに出来ない研究をしてたことになるじゃないか!」
「そうです。ですがきっと、ナコトの書はただの付随物なのです。エドワード氏の研究成果、それは……」
長らく答えを避けていた結論がありました。
エドワード氏はナコトの書をわたしに渡してでも、あの子を守ろうとしました。
なぜなら本当の宝はパティアそのものだったからです。
「まさか……」
それは親としてだけではなく、一介の研究者としても、敵に渡せないものだったのではないか。
そう考えるとあの刺客たちは、エドワード氏を始末すると同時に、パティアを奪いにきたということにもなります。
「そんな、なんてこったい……。ならあの子そのものが、その研究成果だったとでも言うのかい?!」
「いえ証拠のない推測です。しかしその研究が、とてもまずい物と関わっている可能性がある。だからわたしは調べたいのです」
魔王様の名誉のために、魔王様の力を利用しようとする者がいるならば、わたしはそれを排除しなければならない。
わたしの名はエレクトラム・ベル。魔王の元僕にして、今はパティアの父親です。
「わかった、あたいも手伝うよ。何をすればいいんだい」
「いえ極力目立ちたくありませんので多くは望みません。あなたにはただ1つだけお願いをしたい。レゥムのホルルト司祭に、取り次ぎをお願いできませんか」
パティアに害をなし、魔王様の名誉も汚すというならば、わたしはエドワード氏の背後にいたであろうパトロンを潰します。




