18-9 どんな頑固者も旅路の前には口も緩むというもので - ひょうはく -
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昨晩――
フルートを2、3曲奏でて食堂を出たところ、シスター・クークルスが廊下先の仕立て部屋よりふらりと現れました。
どうやら皆との食事後の語らいを早々に切り上げて、飽きもせず仕立て仕事を進めていたようでした。
「あの~、猫さんにお願いがあるのですけど……」
「お願いですか。では先にわたしの頼みを聞いていただけますか?」
「はい~、でしたら交換条件ですね♪」
「それは良かった。ならば今すぐ作業の手を止めて休んで下さい、あなたは働きすぎです」
困った人です。なぜこんなに働くのが好きなのでしょう、ネコヒトのわたしには理解しかねます。
「あら、そうきちゃいましたか」
「あなたに身体を壊されても困りますからね。あなたが倒れたら、誰が薬師役をするのです、仕事を欲張りすぎですよ」
「ふふ~、猫さんに心配してもらっちゃいました♪ でしたら今日はそういうことにして休みますね」
「いえ、あの……シスター・クークルス? わたしの話ちゃんと聞いていましたか……?」
彼女はしらばっくれました。
ついでに言うなら服装にも文句があります。いまだに自分の分の冬着を後回しにして、動きにくい修道服姿のままなんですからこの人……。
「はい、もちろん聞いてましたよ~」
「本当ですかね……?」
「それより私のお願いも聞いて下さい。明日レゥムに行かれるなら、漂白剤の手配をお願いできませんでしょうか?」
いつものように両手をそろえて、廊下の暗闇の中で緑髪シスターが柔和に微笑みました。
ひょうはく剤? あまり聞き慣れない言葉でした。
「ひょう……すみません、もう一度言っていただけますか?」
「漂白剤をお願いします」
ひょうはく。はて、どこかで聞いたことがないこともない。
「実はパティアちゃんのコートは白猫をイメージしていましてー、毛皮を白く脱色するのにそれが必要なんです」
「ああ、染料の一種ですか」
「はい、もう他の材料は用意してあるんです。あとは漂白剤を使って、ふわふわの毛皮から色を抜けば、白猫のコートになるんです」
なるほど、よくわかりませんがそういうことですか。
ブロンドで活発なあの子に似合うか似合わないかで言えば、絶対に似合うとわたしは断言しましょう。
「うふふ、喜ぶ姿が目に浮かんじゃいますか~?」
「シスター、あまり人の心を読まないで下さい。……ああそれでその、ひょう、はく、剤とやらはどこで手に入りますか?」
「はい、そうですね~。こういう素材は、錬金術師さんのお店を訪ねるといいかと思います」
「錬金術師ですか。なるほどそれは一石二鳥かもしれません」
「あらそうなんですか?」
「ええ、別件ですがね、おかげで意外な切り口をいただけたかもしれません。必ず手配してきますよ。ひょう、はく、剤を」
錬金術師ならば何か知っているかもしれません。
パティアの父、ナコトの書を持ちこの地に現れた、エドワード・パティントンについて。
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現在――
朝食は作り置きした黒パンと、カブと薫製肉のスープでした。
この黒くて硬いパンをふわふわに変える。それも今回の遠征の目的です。
タルトは古巣に帰るために、わたしは複数の目的のために、ここ城門前広場にて皆に見送られることになりました。
「あばよ、タルト。次来る時はネコヒトの護衛を付けろよ」
「いい加減聞き飽きたよ! ああリセリ、男どもには気を付けるんだよ、あたいに秘密で良からぬこと考えてるみたいだからね!」
すみませんねタルト、その良からぬ陰謀の発起人は、まさかのわたしだったりするのです。
リセリはもう大人です。あまり過保護にするのもどうかと思います。いえ、ですがこれ、あまりわたしが言えたセリフではないかもしれませんね……。
「う、うん……気をつけるから、お姉ちゃんも気を付けてね……」
「あたいは平気さ! アンタの花嫁姿を見るまで死ねないからね!」
「なら、がんばるよ……お姉ちゃん」
春から始まるジョグとの新生活に、リセリは決意を新たにしたようです。
その意気ですリセリ。奥手なジョグのハートをあなたが自らの手でつかむのです。
別れを惜しむタルトを置いて、わたしは一足先に東へ歩き出しました。
●◎(ΦωΦ)◎●
魔界辺境の暗い森を東に進む。
護衛対象である赤毛のタルトを背中において、ネコヒトの耳を立てて周囲をうかがいながら。
当然といえば当然ですがこれは二人旅です。
そうなるとわたしが斥候として先行するのはただの悪手でして、タルトという民間人を危険にさらすだけでした。
「正直言ってあたいはアンタが頼もしいよ。男衆ども引き連れて進んだ行きの旅より、あたいはアンタ1人に安心を覚えてるよ」
「それはいささかわたしを買いかぶり過ぎているかと。ですが光栄ですよタルト」
警戒は怠りませんでしたが、のんびりと森を歩いていきました。
なにせ長い道のりですので。
「しかしよく道に迷いませんでしたね。いえ、その行きの旅の話で」
というのも魔界の森には無数の獣道がある。
これはモンスターが生み出すと言っても過言ではないものです。
彼らの足が草木を踏み倒し、旺盛な生命力を持つ森に新しい道を作るのです。
つまり逆に言えば、それは道に見えるだけで厳密な意味での道ではないので、ときに人を惑わす。
「そりゃ迷ったさ。けど方角はわかってたからね、意外と何とかなるもんさ。はっ、バーニィのやつは年上づらで怒ってたけどねぇ」
「ええ、来ていただけたことには感謝します。ですがバーニィに賛成しましょう、それはあまり賢明な判断ではなかったかと」
あるいはこの前のヤドリギ・ウーズの群れのようなものが、草木を食い尽くして平坦な道を造ることもあります。
それは歩きやすいのですけど、とても危険な道です。彼らに追いつくことは仲間入りを意味するのですから。
「それはあたいらが決めることさ、アンタたちの指図は受けないよ」
「あなたが死ぬとリセリが悲しみますよ、きっと自分のせいだと気に病むでしょうね。ああ、それがきっかけで悪い男に引っかかるかもしれません」
ちらりと後ろを振り返ると、タルトは一理あると難しい顔をしていました。
わたしに顔色を盗み見られたことに気づくなり、それも消してしまいましたが。
「う……それは、そうかもしれないけどさ……。ああ、だけどそれよりすまないね、わざわざ送り迎えしてもらっちゃってさ」
「おや話をそらしましたか」
「ただ話を切り替えただけさ。それともあたいに感謝されるのは迷惑かい?」
「いえいえ、これはレゥムに向かうついででもありますので、お気になさらず」
わたしの動向がタルトは気になるようです。
好奇心にかられてか、白いネコヒトの隣にかけてきました。
「なんだい、また花嫁でもさらうのかい?」
「フフフッ、そんなこともありましたね。クークルスを奪われ怒り狂うサラサール王子の顔は、今でも忘れられませんよ」
あれがもうじき国王になるだなんて、パナギウムの連中には同情です。
魔界穏健派と付き合うくらいの底知れなさはありますがね、統治者としては最低の部類かと。
「あたいは遠慮するよ、顔も見たくない……。アンタにあの話を聞かされて以来、名前を聞いただけで鳥肌が立つよ……!」
「同感です」
「で、今度は何をしでかすつもりだいネコヒト・エレクトラム」
「はい、本当は里でのんびりしていたいのですが、あちらでの用事があれこれと増えていってしまいまして」
「買い出しかい」
「ええそんなところですね」
冬はもうすぐそこに迫っています。
積雪が始まれば外部との行き来ができなくなるでしょう。
その前に薬や調味料などの物資を、多めに持ち帰っておきたいところでした。




