16-1 エレクトラム・ベルのけして望まぬ天職 - いにしえの腕輪 -
「誤解しないでくれよ、この酒はあたいがいただいた手間賃さ。他の酒はもう商談が付いているよ、もつ薬の方はまだだけどね」
酒瓶よりコルクが抜かれ、魔界の赤い酒がグラスに注がれる。
これは強烈な酒気を含み、人間がストレートで飲むようなものではないのですが……それをタルトがぐいっとあおっておりました。
「わたしにはこの酒は強いのですがね、ま、お気持ちはいただきましょう」
どうやらわたしは彼女にとって大切な客人のようです。
酒瓶にはコルクを抜いて味見をした形跡はなく、つまり要するにですね、わたしと飲むためにわざわざ開けずに取っておいてくれたように見えました。
「ふぅ……。この体に悪いに違いない赤色、焼けるような辛さ、何だか久しぶりです」
「こりゃいい酒だね、もっと仕入れておきたいよ。ああ、それより本題を進めるよ。実はね、今この国では色々あって揉めてるんだよ」
ぼんやりと光る赤い酒と、ランプの明かりがタルトの顔を女性にしては勇ましく照らしている。
しかし残念ですがね、あまり興味のわかない切り口でした。
「サラサール王子のことはホルルト司祭にも伝えてある」
「すみません、わたしその名前はあまり聞きたくないのですが」
「あたいだってそうさ。だけどこれは、次に誰が国を継ぐかどうかのもめ事さ!」
「はて、そんなシャレにならない厄介ごとに、わたしやリセリを巻き込むおつもりですか?」
そこでタルトの仕事の顔が崩れた。
妹分のリセリのことを第一で考えてきたやさしい方です、酒をあおってその苦みに美貌をしかめておりました。
「痛いところ突いてくれるね。だけど現司祭の話だよ、さすがに断れないさ。これは国難……そう、国難ってやつなんだろうさ……」
「それこそわたしの知ったことではありませんね。それで、そのある方というのは?」
「それはまだ秘密さ」
「それでは取引になりませんよ。こっちはこっちで一人で調達してまっすぐ帰ることも出来るのですよ」
よっぽど地位の高い者のことなのか、タルトは答えかねて黙り込んでしまいました。
ちびちびとお気に入りの赤い酒を舐めて、考えが決まってかまなざしを上げる。
「あたいの口からはさすがに言えない、とにかく司祭に会って話を聞いてくれよ。断るならそこで断ればいい、それで一応顔も立つ。無理な依頼なのはあっちだって理解してるさ」
「魔族と敵対する聖堂の仕事を、わたしにしろと言われますか」
ホルルト司祭にはクークルス誘拐の件でお世話になりました。
たまたま利害が一致しただけとはいえ、彼の決断と協力がなければああも痛快に救えなかったでしょう。
「だけど考えてもみなよ。脱獄となると、アンタ以上に最適な人材なんて、他に見つからないじゃないか」
「なるほどそういうことですか。だからわたしなのですね」
アンチグラビティを使った軽業に、熟練の潜伏、さらにスリープまで扱えるとなれば、多少の無理をしてでもネコヒト・エレクトラムというカードを切りたくなる気持ちもわかりました。
「お願いだ、頼むよ、アンタが頼りなんだ!」
「ではこうしましょう、先方への連絡が付くまでそこのベッドを貸して下さるならば……ん、んんっ、ふぁぁぁ、眠い……ま、一応お会いしましょう」
返答を待たずにわたしは立ち上がり、先ほどまでタルトがエンジョイしていたベッドの上を占領した。
そこから先は熟睡してしまったので、タルトの返事は定かではありません。
●◎(ΦωΦ)◎●
早朝、まだ朝日も上がらぬ寒い時刻にネコヒトの安眠は叩き破られました。
行き先はレゥム大聖堂の敷地外れ、貴人用の小綺麗な宿泊施設の一室でした。
タルトに案内されて部屋に入ると、ホルルト司祭がこちらに振り返ります。
「お久しぶりだエレクトラム殿、また会えて嬉しいよ」
親愛を込めた穏やかな笑顔を、わたしは敵対する聖堂の重役に向けられてしまいました。
「わたしはネコヒト、あなたはレゥム大聖堂の司祭、そんな態度を取ってもよろしいのですか? 仮にも司祭でしょう、あなたは」
「無論。エレクトラム殿は別枠だ、わたしはあなたを信用している。下手な人間よりもずっとな……」
「フフフ……陰謀を起こされたあなたが言うと、言葉の深みが違いますね」
「そう年下をいじめないでくれ。ところでシスター・クークルスは元気か?」
タルトは静かに部屋の入り口に陣取っていました。
ここにわたしを連れてきた時点で、彼女も義理を果たしたことになる。
まあそれにしては生真面目にわたしたちのやり取りを見守っている。よっぽどあの方とやらは慕われているのでしょうか。
「ええ、毎日楽しそうに服を作ったり、畑を耕したり、子供たちの世話をしたりと、申し訳ないくらいにがんばって下さっていますよ」
「そうか、それならいい。クークルスは真面目な女性だ、エレクトラム殿、悪いが働き過ぎないよう気を使ってやってくれ」
静かにわたしはうなづいて、それ以上会話を膨らませないようにした。
朝日が昇りきる前に聖堂の敷地を離れたい。人間の神も、魔神も、わたしは大嫌いです。
「うむ、大まかな話はタルト殿より聞かせてもらった。依頼を受けてもらうには交渉と説得、説明がいることもな」
「すみませんが、こちらは既に断る気でここに来ていますよ。付き合う義理があるとは思えません」
「ならばがんばらなくてはならないな……さてどこから切り込んだものやら」
人間ってどうしてこうなのでしょうね。
ノーと言っても交渉をもってイエスに変えようとする。
彼らの世界では暴力が禁じられているからこそ、こんな考え方が当たり前になっているのでしょうか。
「人肉喰いのサラサールに、煮え湯を飲ませてやりたくはないかな?」
「昨晩タルトにも言いましたが、その名はあまり思い出したくありません。ええ、まあ、彼には良い感情を持っておりませんが、かといって好き好んでこれ以上、敵に回したくもありません」
絶対的な権力を持った異常性癖者、最低の次期国王が生まれてしまったものです。
もっと痛い目に遭わせてやりたいという気持ちは、まあ感情だけで言えばたっぷり持ち合わせておりますよ。ですけど。
「彼については、人間が人間の力でどうにかして下さい。国というのはそういうものでしょう?」
最低のド変態という部分に目をつぶれば、魔界穏健派とよしみを結ぶ、魔族にとって都合の良い男でもあります。
「さすがは300年を生きる魔界有数の古参ですな。エレクトラム……いや、古種ネコヒト、ベレトートルート・ハートホル・ペルバスト殿」
「人違いですよ、わたしはエレクトラム・ベル、大地の傷痕に住み着いたただの変わり者です」
300年を生きるネコヒト、きっとタルトから聞いたのでしょう。そこからベレトートルートという情報をたぐり寄せることは出来ないこともない。
歴史の表舞台に一度も上がることがなかった、ただのザコの経歴を、意識的に調べようとしたのならば。
「これを……」
その古参の前に、机の上に、ホルルト司祭は装飾の施された白い小箱を置いた。
花を模した模様は女性が好みそうなデザインです。司祭がダイヤル式の鍵を回すと、箱の中から白い腕輪が2つ現れていた。
なぜそんなものをわたしに見せるのか、最初は意味がわからなかった。
ですがどうしてか目が離せない。どこかで見覚えがあった。だがこれをどこで見たのか、それが頭の奥から出てこない。
「貴方にゆかりある方の、遺品だ。どうか受け取ってもらえないだろうか? ある方を監獄よりお救いし、可能ならば……あなたの里で保護してもらいたい」
「遺品、まさか……これは……」
それは最後の魔王、わたしの主人が身に付けていたものでした。
オリハルコンの腕輪です。その片方は痛々しくも割れており、当時の戦いの激しさを物語っている。
「その依頼お引き受けしましょう。どうぞ何なりとお申し付け下さい。わたしに可能な限りの最大の努力をするとお約束します。それは、他の誰にも渡したくありません……」
300年経った今、こんなところで出会うことになろうとは。
腕輪にはやさしかった頃の魔王様の魂が宿り、新しい人生を踏み出し始めたわたしを見つめているかのようです……。
「なんだい、老獪なアンタが血相変えて態度を変えたものだね! その腕輪、それほど凄いものなのかい?」
「すみませんがあなたが知る必要はありません。これは特別にヤバい取引のようですので……」
魔王の遺品を魔族側に差し出すというのです。それも聖堂の関係者が。
この腕輪を魔王の後継者の証として、政治利用することも出来るでしょう。
「ご安心下さい、レプリカとすり替えてあります。発覚したところで我々の手によるものとは気づかれません」
「そうですか。では依頼の詳細をお聞かせ願いましょう。すみませんがタルトさん、今回ばかりはどうか離席を」
●◎(ΦωΦ)◎●
わたしはすぐに依頼の詳細を受け取りました。
正体の伏せられた謎の貴人を、わたしが助け出すことに正式に決まりました。
「目的地はここより東北東にある、王家直轄地イブリース、イブリース監獄です。もしお救い下されば以降、貴方たちにあらゆる代価、あらゆる便宜を取りはからうと約束します。だからどうか――」
司祭とタルトは同じ目をしていました。
これは国難で、その貴人は絶対に助け出さなければならない存在なのだと。
「どうかお助け下さい、ハルシオン様を……」
「それがターゲットの名ですか。はい、かしこまりました、このわたしにお任せ下さい」
名はハルシオン、とにかくその者を助け出し、魔界にさらって欲しいそうです。




