15-3 消えた魔王の僕と忘却の旋律 - 魔王の詩 - (補完絵追加
付け合わせのカブの塩漬けまで腹に収めると、わたしは気づきました。
それは何のへんてつもないことです。ただこの食事の席に身を置いて、こう思ったのです。
わたし1人でこの魚を釣り上げたとしたら、ここまで美味しくはならなかった。
愛らしいこの娘と共に釣り上げたからこそ価値がある。
隠れ里バニッシュの仲間たちと釣果を分け合うからこそ、この味わいがあることに、今さら気づきました。
「ふぅ……どうです、後悔したでしょう、あの時付き合わなかったことに」
「まだそれ引っ張るのかよ……。負けたって言っただろ、そのことについては降参だ! 一緒に釣り上げたかったに決まってんだろ!」
「フフフ、何度聞いても良い響きですよ。エルドサモーヌを釣り上げた時点で、わたしはあなたより釣りが上手いということになります」
「だからよ、どんだけこじらせてんだよ……」
バーニィというこのうさんくさいおじさんも、日々の生活のスパイスです。もう友人と言って良いかもしれません。
「それにしてもパティ公がずいぶん舞い上がってたけどよ、なにかあったのか?」
「いいえ特にこれといって、思いつきませんね」
「ふーん……ま、だいたいこっちは予想つくけどな。アンタは魚のことになると、正気じゃなくなるからなっ」
そのパティアですが、今はしろぴよにエルドサモーヌの串焼きを与えています。
ピヨピヨとハイテンションな鳴き声からは、しろぴよすらもエルドサモーヌの味わいに歓喜しているように聞こえる。
「しろぴよーっ、つぎいくよーっ! とやー!」
「ピュィッピュィッ! キュィィィーッ!」
しろぴよさん、そんなに騒ぐとフクロウに目を付けられますよ。
とはいえ無邪気に小鳥とじゃれる娘の姿は愛らしく、ただ眺めているだけで暇が潰せました。
「パティ公な、ああいうのを神童って言うのかね。優等生っていうより天才型か、ラブ公を慰めるのに苦労させられたぜ」
「まあ才能の偏りだけは大したものですよ。それがまた不安の種なのですけどね」
「ネコヒトよ、アンタは心配性だな。もうちょっと気楽に眺めろよ」
「持っている力が力です、境遇も含めて油断なりませんよ」
気をよくしたしろぴよさんが芸を披露していました。
いつ仕込んだのやら、パティアが頭上に両手で円を作ると、小鳥しろぴよがそこをくぐる。
丸っこい肉体からは予想もつかない機敏さで、その後も身振り手振りで作った円をくぐり続けました。
「おー、すげーすげー、アレ見ろよネコヒトよ」
「ちゃんと見てますよ」
「は~、しかし美味い魚だったな。こんなことならタルトに渡した魔界の酒、ちょっとは残しときゃ良かったな」
「そこは子供たちの腹を満たすことを優先させるべきでしょう。狩りをサボったわたしが言えたことではないかもしれませんが」
しかしパティア、ラブレー少年のことを忘れてはいませんか?
ええそうですね、忘れていたのならそれはそれで、少年にとって幸運でしょうか。
ところがバーニィと一緒に食後をゆったりしていると、そこにリセリがやってきました。
「あの、お願いがあるんです。聞いてもらえますか……?」
パティアとしろぴよさんのせいで、今夜はいつになく騒がしい。
言葉の代わりにわたしはうなづきました。
「今日は良い夜、みんな嬉しそうに笑ってる。だからお願い、エレクトラムさんの笛をみんなに聴かせてあげて」
おやそうきましたか。リセリの思わぬ言葉に、わたしの酔いが魔法が終わったかのように醒めかけていました。
「エレクトラムさん……?」
幸せに笑っている自分自身に気づきました。
魔王様と共にあった幸せが、もはや遙か遠い過去のものであることにも……。
あの頃に届きそうなほどに今は充実している。いや、幸福に順序を付けるなどナンセンスです。
そもそも魔族が幸福を求めることすらも。
「おい、ネコヒトよ、何か言ってやれよ。イヤならイヤって言っちまいな」
「ごめんなさい……いきなりすぎでしたよね。今が気分じゃないなら……あっ」
昔、同僚が言っていました。わたしたちの中には無意識がある。
わたしだと認識するわたし以外の、勝手に動くわたしがいるのだと。
「では笛を取ってきます」
わたしは無意識に立ち上がっていた。
身体がフルートを求めて動き出し、わたしの意思に反発していた。
「いいんですか……? やっぱり落ち着いてからでも」
「いえかまいません、これもきっと契機なのでしょう。明日にはバーニィが美味しい薫製を作ってくれるのです、ならばわたしもサービスくらいしましょうとも」
バーニィがわたしの気まぐれを嬉しそうに笑いました。
あるいはわたしが上機嫌なのを、見破られていたのかもしれません。
「ああ、とっておきの桜のチップを使うつもりだ。味の方は保証するぜ、こりゃ不味く調理する方が難しいってもんだ」
●◎(ΦωΦ)◎●
食堂を出て、夜の古城その廊下を進みました。
賑わいから距離を取ると、見えるものも少し変わってきます。
まさしくここははぐれ者が集う里でした。
居場所を追われた者が身を寄せ合い、幸せを取り戻すためにあがいている。
ならば彼らの慰めに、ブランクをようやく克服しかけたネコヒトの旋律を奏でるのも、別に不自然な行いではありません。
魔王様のためだけに奏でた楽器を、世界からいなくなった者のために意固地に封じるのではなく、かつてはこんな名曲があったと誇るべき、なのでしょうか……。
魔王様が愛された音楽の数々を彼らに広めたい。どうやらわたしは、いつしかそう思うようになっていたようでした。
●◎(ΦωΦ)◎●
銀色のフルートを手にわたしは食堂に戻りました。
するとどうしたことでしょう、バーニィのやつが勝手にお膳立てをしていました。
食堂に戻るなり、老いたネコヒトは満場の拍手喝采を受けたのです。
誰もがわたしの笛を求めて、その音色と文化に慰めを求めていた。
「早く早くっ、エレクトラムさん!」
「ちょっとカールッ、そんなに急かしたら間違えちゃうでしょ!」
「ねこたーんっ、しろぴよもききたいってー! ねこたんのふえ、きれいでパティアもー、だいすきだぞー」
わたしの胸は皆の喝采が嬉しいと高鳴り喜びました。
老いて感情そのものを麻痺させた存在とは真逆に若返り、ネコは食堂のど真ん中で笛をかまえていた。
ネコは笛を奏でていた。
故郷を追われた追放者たちを慰めるために、魔王様が愛した古い名曲たちを奏でた。
「あ、そだっ、リセリー、リセリもうたってーっ」
しばらくしてパティアがリセリの背を押して、わたしと同じ食堂の真ん中にリセリを立たせました。
「えっ、わっ、ちょっとパティアちゃんっ?!」
「おおっそりゃ良いじゃねぇか、歌ってくれやお嬢ちゃん」
「リセリは綺麗な歌声だしなぁ、おいらは別に、反対しねぇべよ……?」
ジョグにそう言われてはリセリが張り切らないはずもない。
言い出しっぺである彼女は責任を取り、その美しいソプラノで歌詞のない歌を笛に合わせた。
衣食住が満たされてなお、満たされてないものがきっとそれでした。
日々の慰めとなりうる文化、それこそが今のわたしたちに不足していたもので、この隠れ里バニッシュの民に染み渡っていきました。
最後の演奏が終わると静寂が生まれ、続いて喝采が生まれる。
それは大きな演奏会にはないものです。演奏会には喝采を送る義務がある。
ですがこの拍手は、賞賛は彼らの意思と感動で行われているものです。
わたしはそれが嬉しかった。わたしとリセリは、彼らが望んでいるものを提供したのですから。
魔王様の下で奏でていた当時にはない、奇妙な充足感がわたしを包み込んでいました。
「ピュィッピュィッ、ピュルルルルッ♪」
「お、おおー……ねこたんすっごい! しろぴよがこんなにこうふんするの、パティアはじめてみたぞー! リセリもー!」
しろぴよさんのテンションが上がっています。
リセリとわたしの間を交互に飛び回って、やたらにまとわりついてきました。
どうやらわたしまで、この妙な小鳥に懐かれてしまいつつあるようです。
「あの、エレクトラムさん、質問があります。あの、もしかしてですけど最初と最後のこの曲、歌詞があるんじゃないですか? それ、教えて欲しいです」
「歌詞ですか」
わたしは迷いました。
なぜならその曲は、わたしの演奏で魔王様が歌われた曲。
リセリに歌詞を伝えてしまうと、わたしは魔王様とリセリを比較してしまうことになる。
わたしにとって魔王様は絶対なのです。笛を奏でるしか能のない、文弱だったのです、わたしは。
「お願いします、歌詞があった方が絶対良いと思うんです! この曲凄く素敵で……教えて下さい、エレクトラムさん!」
「おやおや、いつになく強情ですね。そうですか、ええまあ……そこまで言うなら、歌詞を思い出せたその時は、あなたに教えましょう」
わたしが魔王様が歌われた歌詞を忘れるはずがありません。
ごまかすつもりで言い出したのに、リセリの熱意にわたしは負けそうになっていました。
「ならその時は、今度は歌詞付きで私歌いますね! 練習しておきますから私、約束ですよ!」
「ふぅ……そうですか、それがあなたがしたいことですか……」
視力を失い、魔界の森に捨てられ、蒼化病の子供たちの面倒を今日まで見続けてきた少女、それがリセリです。
この追放者たちの隠れ里で、リセリがやりたいことが歌だというならば、応えてやらなければならない。
お許し下さい魔王様。あなたへの忠誠を尽くしたいわたしと、彼らを喜ばせたくてたまらないわたしが今せめぎ合っています。
わたしなんかの笛が彼らの慰めになるのなら、エルドサモーヌを釣り上げる手伝いをしてくれた彼らのために、わたしはこれからも笛を吹こうと思います。
わたしは自分がすっかり別人に変わりだしていることに驚いてしまいました。
原因は考えなくともわかる。このパティアという少女と出会ったことで、わたしは過去に生きる化石から、今を生きる、ただの一匹の猫に変わってしまったのです。
翌日わたしは食堂の壁に黒炭で、世界より忘れられた魔王の歌を書き殴った。
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続・魔王の僕
笛を奏でるネコヒトと忘れられた旋律 終わり
誰がためにネコは笛を吹く
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