13-4 子犬と少女が出会ったら結果はもう決まっている(挿絵あり
思わぬ展開になりました。 しかしどうしたものやら困ってしまいますね。
地べたで服従のポーズを取る男爵閣下を見下ろしていると、これにどう収拾をつけたものやらあらゆる思考が遠のいてゆく。
「あ、あの、男爵様……」
ところがそこに勇者が現れました。あの荷物持ちの少年です。
年齢は12歳くらいでしょうか、言動がどことなく幼いところがあるのではっきりとはわかりません。
「おい人間っ、男爵様に無礼だぞ!」
「あっ!!」
ですがあまり賢明な判断とは言えません。
少年はパティアを睨みましたが、一方の8歳児は目を輝かせてそこに見つけたもう1匹のモフモフをロックオンされたのです。
「たいへんだねこたん! こっちのこもー、わんこだ! はわぁー、かわいいーっ!」
少年は犬で例えるところのレトリーバーに近い種でした。
さらにはパティアと同じくらいの小柄な体格で、男爵よりやわらかいフワフワの毛並みをしている。
「男爵様は古の魔界貴族の血筋、しかも没落したとはいえ今や、カスケードヒルで大商会を担う偉いお方だぞ! おいっ聞いてるのかよっ?!」
しかしその男爵閣下は地面にはいつくばって、パティアに腹を見せている。
あまつさえ腰を左右に揺すり、もっと撫でてと媚びておられるのでした。
男爵、あなたはそれでいいのですか? 貴族の気品も、大商会主の威厳もへったくれもありませんよ?
「ほわぁぁ……ふわふわー、もふもふ……」
「僕の話ちゃんと聞いてないだろお前!」
パティアは大きいワンコの腹を撫で回しながら、不思議そうにイヌヒトの少年を見上げている。
「大商会は盛りすぎだぜ……わぅぅんっ、わふっわふぅぅっ!」
少女の巧みすぎる手先が男爵を黙らせた。
パティアの目線は先ほどからイヌヒトの少年に釘付けで、男爵は手元にある撫で心地の良い毛皮でしかありません。
「ねえねえ、なまえー、なんていうのー?」
「質問する前に人の話聞けよっ! 僕はラブレー、ヘンリー・グスタフ商会の一員だ!」
「ラブちゃんかー。パティアはー、パティアだぞー。ねこたんのー、むすめだ」
「ラブじゃないっ僕はラブレーだ!」
名前を聞かれて素直に答えてしまうあたり、ラブレー少年は素直な良いイヌヒトでした。
もしかしなくともパティアからすれば、ラブレーの怒りの形相も、かわいい子犬ちゃんがヒャンヒャンと警戒気味に吠えているだけだったのでしょうね。
「ラブ~、おいでおいでー?」
「僕を犬扱いするなっ、とにかく男爵様を離せよ!」
「じゃあ……こうたいするー?」
「ぇ……」
そのときラブレー少年の口からか細い声が上がりました。
全く予想もしていない展開、初めて出会う個性的なお子様だったことでしょう。
パティアのもふり手が止まり、ゆっくりと地面から身体を持ち上げて小さい方のイヌヒトに振り返った。
その魔性の指先が前に突き出され、パティアはわきわきとラブレーの触り心地を妄想した。はい、セクハラです。
「ひぃっ?! く、来るなっ、交代するとは言ってないっ!」
「ちょっとだけ……ちょっとだけ、さわっていい? ラブちゃん、パティアのこのみだ……」
「うっ、うわっ……」
一応父親の前なのですが娘はお構いなしでした。
一瞬たりともロックオンを外さない執拗な凝視が、忍び寄る不気味な足取りが、もふもふの少年の足をすくませました。
「ぐへへ……ちょっとだけ、ちょっとだけだ……ラブちゃーんっっ!」
「やだぁーっ、助けて男爵様ーッ!」
残念、男爵は夢見心地でゴロゴロと地をのたうち回るだけでした。
「つかまえたー♪ ほぉぉぉ……たまらんー、この、ふわふわかん……ねこたんよりふかふかだ、やるなラブちゃん……はぁぁぁ……いい……」
「ひゃんっひゃんっ、やめっ、どこ触ってっ、やだっ止めてよっ、ひゃうっ、わっわうぅぅーっ……」
イヌヒトの身体能力なら抵抗できるでしょうに、彼は暴挙に堪えることを選びました。
おおいかぶさってくる人間の女の子を押しのけようとはしていましたが、次第に巧み過ぎるその手先に抵抗力を奪われ、子犬めいた甲高い鳴き声を上げることになりました。
「ん……? 俺様は一体……何をしてたんだ……?」
「おや正気に戻られましたか男爵」
男爵に手を貸して立ち上がっていただくと、ラブレーは我が身を犠牲をするのを止めました。
ただちにパティアを引きはがして距離を取り、木陰に隠れて敵に警戒の目線を送る。
「はぁっはぁっ……ぅぅっ、こ、コイツ、何者なんだ……っ」
「ラブちゃんこっちこっちー、はーい、おいでおいでー?」
「僕に触るなこのエッチ人間ッッ!!」
そう言われて来るわけがありません。
子犬のラブレーは大声で抗議するなり、さらに1本遠くの木陰に隠れてしまいました。
「ぉぉ……? ねこたん、パティアって、エッチなのかー?」
「はい、少なくとも親にしていい質問ではないかと。……ではわたしは取引の相手を呼んできますので、後はよろしくお願いします」
ネコヒトはプライドの高い男爵の性格を考慮して、リックの手を引きその場を去った。
ここでは何も起こらなかった、何も見なかった。そういう流れに持って行きましょう。
●◎(ΦωΦ)◎●
タルトは厨房にいました。そこで厨房に戻ってきたリックと交代してもらい、男爵の元にその赤毛の女商人を連れて行きました。
樽やガラス瓶に詰められた魔界の酒に、男爵が工面してくれた甘い香りのする没薬、黒い岩塩、こちらでは一般的な赤くて辛い香辛料が彼女の歓迎役です。
男爵も元の調子を取り戻し、それはもう得意げに紹介して下さいました。
「驚いたよ、まさかこれだけ取りそろえてくれるなんてね……アンタたちを待って正解だったよ」
「へっ、気に入ってくれて良かったぜ。……おい猫野郎、さっきまでのことは全部忘れろ、いいな?」
完全に正気に戻ったようで何よりです男爵。
しかし忘れろと言われても、あんなもの見せられたら忘れたくても無理ですよ。
「それ、思い出して下さいと言っているようなものではないですかね」
「あたいが来る前に何かあったのかい?」
「な、なんでもねぇ! それよりいいか人間、こいつが欲しいかっ、欲しいだろ!?」
ところでパティアとラブレー少年の姿がどこにも見つからない。
うちの娘がご迷惑をかけていないか、目の前から消えると無性に心配になってきました。
「そりゃ欲しいに決まってるさね。条件が良ければあたいが買ってやるよ」
「条件か。そいつはなかなか難しい話だぜ、俺様も人間と取引するのは初めてだからな」
商売というのは両者に利益が発生しないと続きません。いえそんなことより……。
「ところであの2人はどこですか?」
「ああ……カールとジアだっけな、うちの従業員だってのによ、勝手に連れて行きやがった。ぱ、パティアさ――パティアちゃんも一緒だぜ……」
あれだけのことをしでかしたのに、パティアの好感度が男爵のなかで謎の急上昇を果たしておりました。
パティアちゃん、ですか。なるほど。
「男爵、たかが8歳児に何を怯えてるのですか」
「うっ、うるせぇっ! その話はもう蒸し返すなっ! そう、ラブレー、ラブレーは連絡員としてここに置いていくぞ! てめぇみてぇな猫野郎に、カスケードヒルの町はもう2度とまたがせねぇ!」
それ、娘が聞いたら大喜びじゃ済みませんね。
ラブレー少年に少しばかしの同情もしておきましょう。
「……あなたも素直じゃありませんね。ならばわたしはこう答えましょう。心配して下さりありがとう、非常に助かりますよ男爵」
「ち、違うっ、俺様は殺戮派のニュクスが怖いんだよ! てめぇらのゴタゴタに、カスケードヒルを巻き込むんじゃねぇって言ってんだコンチクショゥ!」
鼻息を荒々しく立てて、男爵閣下は現在進行形でわたしたちに協力して下さっていました。
見やすいように酒瓶のいくつかを木箱から取り出して、魔界の光る酒をタルトに紹介する。
やってることと言ってることが逆なのは、ひねくれ者の男爵らしいいつもの姿です。
「で、それはいくらなんだい?」
「こっちも多少危険な取引をするんだ、こっちの市場価格の5割増しでどうだ?」
「5割増しだって?! 顔に似合わず良心的じゃないか、てっきり倍取られるかと思ってたよ!」
「誰が悪人づらだ!! こっちは足下見てやってもいいんだぞこの赤毛女が!」
●◎(ΦωΦ)◎●
ケンカなのか、商談なのか、第三者にはいささか理解しがたいものが進んでいきました。
取引の代金にはタルトが持ってきたガルドと、オウルベアの干し肉を当てたものの、それだけでは足りませんでした。……全ての商品を買い占めるには。
特に没薬の値段が桁外れです。けれどタルトの見立てでは、珍しさゆえに王侯貴族に売れば確実に元が取れる。
もし上手く立ち回ることができれば、これが莫大なガルドに変わると強い興味を示していました。けれど金がない、現実は厳しい。
「すまんがこれ以上の値下げはできねぇぞ。猫野郎が代わりに何か売ってくれるっていうなら別だがよ」
「はて……とはいえ食料は放出できませんしね、どうしたものでしょう。わたしたちが支払えるものといったら……」
残念ながらそんなものありませんでした。めぼしいものはレゥムの街でタルトに差し出してしまいましたし。
あるとすればパティアに差し上げたプリズンベリルくらいですが、子供から取り上げるわけにはまいりません。
「歯がゆいねぇ……どうしてあたいはもっと路銀を持ってこなかったんだい……」
はて、迷宮ベリル……?
そこでわたしは思い出しました、あの井戸の底に眠る迷宮を。
カスケードヒルの連中は迷宮の産出物、冒険者の所持品を奪って金に換えている。
つまり市場が存在しているので、男爵も確実な値段で迷宮由来のお宝を引き取ってくれるでしょう。
ちょっとくらいの裏技使ってでも、男爵が手配してくれたこの交易品が欲しい。
あの黒い岩塩もリックが喜びそうです。男爵もせっかく持ってきた物を余ったとはいえ、みすみす持ち帰りたくないだろう。
「すみませんが男爵殿、半日ほどお待ちいただけませんか?」
「アンタ、何か心当たりがあるのかいっ?!」
「はい。それにそろそろあの正統派の斬り込み隊長ホーリックス手作りの昼食にありつける頃です。どうかゆっくりしていって下さい」
「別にいいぜ。俺様はよ、カルーアミルクひっかけたあと、もう寝るつもりだったんだ。なのに亡霊が現れてこのザマだ、食って昼寝して待ってやるから早くしろよ惰眠猫!」
ここ大地の傷痕が秘密の交易の中継地点になれば、冬場に食料が不足したとしても取引の儲け分でカスケードヒルから買い足すことが出来ます。
何よりわたしは、あの食い意地のはった一人娘にひもじい思いをさせたくありません。
次の取引に繋げていくためにも、男爵が善意で持ち寄ってくれた交易品の数々を、わたしたちは買い占めなくてはならないのです。
わんわんお!




