第1話
”旦那の弟と結婚しろだなんてね、よかれと思って皆が言ってね。戦後はまだそんな時代だったから仕方がないんだけど・・・私は嫌だったわね”
空襲の火の色か、それとも死体の傷口から出る血の色か
もしかしたら先生は出来事を忘れないために
いつも深紅の口紅をつけていたのかもしれない
***
稽古の日はいつも浴衣や着物の衣紋を大きく開き、一見雑に見える着方だったけれど、腰紐をしっかりしてるからか気崩れすることがなかった。半幅の帯で、貝ノ口結びが多かった先生。
夏でも火鉢が稽古部屋に置いてあり、休憩の時の煙草の灰を落すためとひじ掛けようにしていた。
踊り終わった後は激しい運動でもないのに顔や背中に汗をかく日本舞踊。梅雨時からはジワリとした汗が額からもふき出して浴衣の袂から入る風が気持ちよかった。
扇子を前に置いて「ありがとうございました」と挨拶をする。
それまで正座して細い目で私の踊りを見てた先生は、稽古が終わると顔つきが優しくなり誰もいない時には麦茶を持ってきてくれることがあった。
あれから、もう何十年経ったんだろう。
冷たい麦茶は氷がなくてものどをひんやりと通っていく感覚がわかり、美味しいだけでなくて気持ちまでが潤った。
着物の暦では5月はまだまだ、袷の時期だけれど踊りの世界では浴衣での稽古が許される。浴衣は歴では7月中旬から、だけど、動いたり蒸し蒸しした梅雨前の季節に入ると浴衣でも汗がにじむ位だった。
「足を崩していいですよ」
そう言って先生も火鉢にひじをついて赤色の口で煙草を吸い始め、少しの間、私は話し相手になっていた。そんなことが時々あったのだ。年配の方々は大抵は午前中に集中し、お子さん方は学校が終わってからの夕方、会社勤めの人は夕方遅くにだったから。私が稽古に行く時間は昼過ぎの2時前だった。
***
先生は置屋の娘として生まれ育ち、ただ、「この子は芸の道だけ」と踊り、三味線、唄の練習をして師範をとることを言われていた。
16の時から見合い話が時々くるようになったらしい。
そして、戦中に結婚。
旦那さんは足が悪く、時々ひきずることもあったというが何の病気なのか怪我なのかは私にはわからない。
「僕に赤紙が来た時ってのは、きっと日本が危ない時だから。まず、来ないと思うよ」
足が悪いのを彼はユーモアを交えて、そして、もしかしたら呼び出しがあるのを本当は恐れ、その不安を隠すように何度も先生に言っていたという。実際、体が弱い人達には赤紙は来ることはなかったから。
だけど、ある日、それが彼のもとにきてしまった。
結婚して3ヶ月経った、まだまだ蜜月を過ごしていた時のことだった。
拒否することは勿論出来ない。そして、また彼は妻を安心させるようにユーモアで言う。
「足が悪いんだ。走れっこない。だからね、前線に行くことなんかないと思うよ。僕は足手まといになるだけだからさ」
簡単に衣類や持ち物を風呂敷にまとめて早朝に出発した。
帰宅するのが保障されない場所へと。
夫婦の手紙のやり取りは可能だったが検閲があるし、交通手段が限られているから今よりも届くのは遅い。
最後に書いた手紙には「貴方の、やや(赤ちゃん)がお腹にいます」
***
今回はいつもよりも返事が来るのが遅い、遅すぎる・・・お腹にややがいるのよ。貴方の嬉しそうな顔を想像できるような手紙を早く読みたい。
それとも、嬉しそうに笑ったりすると「浮かれてる」なんて自分の立場を考えろと上官から叱られてしまうのかしらね。
まだ来ぬ手紙を待ち続けた。
あまりにも遅い、かといって戦死の連絡もないから大丈夫なはず、何かあったのだろうか? もどかしさに我慢できずに思い切って駐屯地に出向いた。
そして、上官から「旦那さんは前線地に行きました。行った者は皆・・・」と、無残なことを聞いた。
体を見ることが出来ない?
足を悪くしていたから、あの足が欲しい、あの足に触れたい。体を抱きしめさせて。
本当は幼い頃から周りから何か言われて悔しかったでしょうに、それをはねのけるユーモアと自分を安心させてくれる優しさを2度と感じることは出来ないの?
そんな貴方だから、一生ついていこうと思っていたのに・・・。
愛する人の死に目にあえないなんて。
上官も無言で頭を下げ、帰宅した。
数日して連絡があり、体はすぐに焼かれて成仏したが手ぬぐいに名前の刺繍がしてあるから旦那さんだったのだろう。「どうぞ、お骨を取りに来てください」と。
お骨は・・・誰のものでも良かった。
もう顔を見ることも出来ない、声を聞くことも出来ないし、目の前にあるのは箱に入れられた動かすとカラカラとしたもの。前線に派遣された仲間の誰かのものかもしれないが、同じ境遇の人のものであれば骨なんて結局は誰のものでも構わない。毎朝「ご苦労様でした」と手を合わせたいだけ。
だけど、手ぬぐいは自分が刺繍したもので、きっと首に巻いていてくれたんだろう。これは確かにあの人の小さな骨。
お骨を受け取り帰宅してから崩れるように倒れた。
涙は一滴も出なかった。悲しすぎて出てくれないのか、ただ、茫然とするばかりで。