序章:深淵を覗く時
これから語るのは、わたしの部下たちについて。少女たちについて。孤独について。
わたしが国土安全保障省の尋問官と取調室に入ると、それまでうつむいて座っていたウェンディ・モイラが顔を上げた。彼女の手首には手錠がかけられている。
「しばらくねウェンディ。気分は?」
わたしは上着の内ポケットから鍵を取り出し、それで彼女の手錠を外した。
「これで最高に見えますダージリン? 一週間以上ここに監禁されてたんですよ」
ウェンディは手錠をはめられていた手首をさすり、それから彼女はわたしの隣にいる尋問官を睨んだ。
「あんたは誰? CIA? 国土安全保障省?」
「そんなことはどうでもいい」
尋問官はそういうとウェンディの正面に腰を下ろした。
わたしも尋問官の隣に着席する。電気スタンドに照らされたウェンディの顔は、少し痩せこけて見えた。彼女がカイナ・トラスクと共に命令違反を犯し、国土安全保障省に拘束されたのは九日前。それから陽の光を見ることもなく、ウェンディはずっと地下の独房で過ごしていた。
「さ、とっとと始めましょう? わたしは洗いざらい全て話すつもりよ。あとはあなた方で好きに裁いてもらって結構」
「言っておくがモイラ軍曹」尋問官は咳払いして「これは軍法会議ではない。まだそこまではいかない。だが、正式な懲戒査問会だ。ここでの発言は後の軍法会議で君に不利な証拠として用いられる可能性がある」
「分かりました、サー」
ウェンディはわざとらしく敬礼してみせた。
「懲戒査問会では真実を述べなければならない。でないと、あなたはかなり厄介なはめに陥るわ。それは十分に承知しているわよね?」
わたしは机に肘をつき、ウェンディをまっすぐ見つめた。
「いま言ったでしょう? 洗いざらい全て話すって。わたしは終わった人間です。この後どんな罰が待っていようとも怖くありません」
ウェンディはわたしを見返してきた。その瞳には覇気が感じられなかった。まるでかつてのカイナ・トラスクのような目――。
「ずっと独房にいたんだけど、改めて思ったわ。独りってこんなに無味乾燥なものなのかって。涙も出なけりゃ、怒りの大声も出ない。物理的な罰よりもよっぽど恐ろしいわ」
「モイラ軍曹。我々は君のカウンセリングに来たわけじゃないんだ」
尋問官は冷たく言い放ったが、ウェンディは肩をすくめただけで反論しなかった。尋問官は手元の資料に視線を落とす。
「ウェンディ・モイラ三等軍曹。認識番号7178412。カリフォルニア州バークレー出身。2046年、アメリカ海兵隊武装偵察部隊に入隊。ヨーロッパ及びユーラシア地域における数々の作戦に参加、戦果を挙げた後、2048年、CIAの隠密作戦部隊、ブラックセルにスカウトされる。そこでの上官がいま君の目の前にいる女性、レイ・ダージリンで間違いないな?」
ウェンディは頷いた。
「君に聞きたいことは二つだ。プロメテウスとカイナ・トラスクの件」
「カイナ……」
かすかに聞こえる程度にそうつぶやいた彼女の表情は少し虚ろだ。尋問官は気にせず話を進める。
「君とトラスク一等軍曹は何故ダージリン長官の命令に背いたのか。そしてプロメテウスの目的は何だったのか。我々はそれが知りたい」
尋問官は机の上に今回の一連の事件に関する資料を並べた。その中にはカイナ・トラスクの写真もあった。写真の中のカイナはどこか冷めた目でこちらを見つめている。蒼く冷たい瞳を持つカイナ――。
この奇妙な、むしろ悲しむべき物語を理解していただくためには、カイナとウェンディの関係について少しばかり説明しなければならない。
カイナ・トラスクはカリフォルニア州サリーナス出身で、ブラックセルにスカウトされる以前は、海軍特殊部隊デルタフォースに所属し、対テロ活動の一環として人質救出や要人暗殺など様々な任務に従事していた。危険を顧みない闘争心の強い女性で、よくいえば戦闘能力が極めて高く、悪くいえば命知らずな兵士だった。また、時おり命令系統を無視した行動も目立ち手が焼ける一面もあったが、最終的に任務を完璧にこなすため多少の暴走は不問とされてきたようだ。「気が短くて手がつけられない最高で最低の兵士」。それが上層部のカイナに対する印象である。
わたし自身も他の上官同様、カイナの技量を高く評価していたし、家柄も学歴も気にしなかった。彼女の母親が幼くして亡くなったことや、父や妹との関係が険悪だったことも。
ウェンディ・モイラはカイナよりも半年遅れてブラックセルに入隊した。ウェンディは七つ年上のカイナをまるで姉のように慕い、あまり他者を寄せ付けないカイナもウェンディは特別受け入れているようだった。何が二人をそこまで引き合わせるのか、当時のわたしには理解できなかった。
確かに、二人はわたしの命令に背いた反逆者なのかもしれない。しかしそれ以上に、彼女たちはわたしの部下だ。彼女たちがどんな想いを内に秘めていたとしても、国家のため、そしてわたしのために命をかけてここまで戦ってくれた。それは事実である。最後にわたしが上官として彼女たちにしてやれることといえば、あなた方に彼女らの物語を伝えることくらいだろう。